ウ 前野良沢の励まし
行きかう道々、親に手を引かれる着飾った子等の姿を見た。もうすぐに袴着の日か(陰暦十一月十五日(満月の日)、現代の七五三)。
茂槇も来年にはそうなるかと思いながらに門を通った。
「ご無沙汰しております。息災であられましたか」
「うむ。机に向かっておって目が霞んだりすることもあるが、お陰で元気でおる。
其方のお陰で和蘭熱ともいうべきか。世は何もかも蘭語に学べ、異国に学べじゃの。生活がままならぬとても庶民の目は異国にも地球にも、星にも向くようになったわ。
蘭語は一層のこと医学医術だけではなくなったの。庶民の目にも世界が広がった。良い事よ。蘭学階梯の発刊は良きことじゃった」
「先生の教え、ご支援、和蘭訳筌があったればこそにございます」
「あの蘭学階梯の中に吾の事を大分に書いてくれたの。
その所為もある、吾に何かと頼んでくる御仁(主に大名、藩主)が急に増えた。
数学や星にかかる物とても翻訳を頼みに来る者とておる。
其方が、「己の興味のあるもの、手掛けているものから翻訳にかかるが良い、飽きも来ない、持続して取り組むことが出来よう」と呼びかけ説いておるが、吾が数学や星にも詳しい、興味を抱いていると思っての事かの・・・、笑える話じゃて、ハハハハ。
されどそのお陰で、吾の翻訳に取り組む外国の書の幅も広がりおる。
(翌寛政二年、前野良沢はオランダ人、グラッフ(Graaf)著の書の一部を翻訳。城、砦の平面図とその数字、数学等に係る「和蘭築城書」をまとめた)
其方の周りも余計に忙しくなったろう。
芝蘭堂の方は如何じゃ。(経営が)上手くいっているか?」
「はい。お陰様で塾生も増えて御座います。
今日は、吾もまた一つ新しく取り組むことについてご報告にまいりました。
先生の教えご支援がより一層必要になると思い、お願いに来たところでございます」
「それはまた何じゃ。其方の翻訳の力は吾も認めるところじゃ。
今に教えることとてあるかの?」
「はい、先日、玄白先生の所に顔を出したれば、ヘーステルの外治書の翻訳も大分に出来たゆえ解体新書の改訂に取り組んで欲しいとのお言葉でした。
驚きもしましたが、ターヘル・アナトミアはあの通りの大書。解体新書に現したるはその半分にもすぎんと先生自らのお言葉でした」
「それはまた・・・」
「原書の翻訳は国家の裨益(助け)になる。これからの世のため人のためにも、逐一、翻訳されてあるべきとの仰せでした。
翻訳を任せるに塾生の皆々を率いて、必要とあれば天真楼の塾生を使ってもよい。士業殿も参加させて良いとのお話でしだ。
先生の命なれば、また世のため人のためになればと吾はその決心をしたところでございます」
「玄白も容赦ないのう・・・」