三月も末に、橋本宗吉は江戸に着いた。六つ年下の大人しい青年だ。
一通りの挨拶の後に、彼の言ったことに驚きもすれば、印象にも残る。
「わては、これまでのオランダ語の勉強は独学でんねん。
エレキテルに大いに関心が有っと。その方面の言葉ばかり勉強してきてんねん。
それがどないしたのか、医者である小石(元俊)先生からお声が掛かった。また金持ちで質屋を営みながら天を観測したり、天文学を勉強しているという間重富殿。
このお二人が、わてに、吾らに変わって江戸に行って蘭学を勉強して来んね。自由に蘭書を解読できるようになって来い言うて。
驚きもしはったけど、往復の旅費に江戸に在る間の滞在費、大阪に在るわての両親等の面倒までも看て呉れると言うたで、江戸に来はった。
吾はエレキテルについてもっと知りたか。その蘭書も洋書も江戸に一杯あるとお二方の話じゃったけん・・・の。
わてが蘭書の覚えが早いと言うことで、医学、天文、地理、測量等に係る蘭語の習得に勤めよ、翻訳できるほどになって来なはれと、余計(過分)な期待を寄せてんねん。
来たからには、期待に応えねばと思てますー。
普段は傘作り職人と変わらぬ生活にござった。ここに来るまでは傘に家紋を書くことを主な仕事にしていたけんね」
驚きもした。さてどうしたものかと思ったのも事実だ。吾が田舎から江戸に上ったばかりの頃の先生のお言葉や、良沢先生の所への入門に苦労した時のことが思い出された。
四、五カ月で何が教えられるのか、何が出来るようになるのか。その心地良い響きの大阪弁を聞きながら宗吉の顔をまじまじと見もした。
蘭語と日本語の語順の違い。主語に続き「です、ます」が先に来る異国の語順と、後に来る日本との違い。まさに文の道、長崎で吾が耳にした言葉の路から教えに入った。
蘭語は漢詩に習う語句の順番だ、中国の言葉の順だと言えば、碌に文字も漢字も習ったことが無いからそれも分からんと語る宗吉だ。
たけど、一度教えるとその覚えの良いこと、早いことに感心した。小石殿も間殿も江戸に遣わした理由が分かろうと言うものだ。
単語の収録と暗記、単語の変化、反対語の暗記等、いずれも蘭学階梯に書いたとおりに従って教えた。興味のある所から蘭語に親しめの通りだ。
吾の書き留めてある単語帳を貸しもしたが、彼の持つエレキテルの知識、それにかかわる単語の収録、理解、暗記を吾の宿題とさえした。双方、お互いの利にある。
また、彼の勉学に勤しむ姿は吾の使用人供をも驚かせた。先生(吾の事)よりも寝る時間、休む時間が少ない。姿を見ればいつも文机の前だとお富が感心して言う。
須原屋を通して四月も十三日に司馬殿が江戸に戻ったとお聞きした。見送りもした吾に一報があっても良いものだが、顔を見せもしない。
三年は帰らぬと豪語していたそれもあってのことかと思いもしたが、やはり、蘭学階梯の跋文を他の人に委ねたことが、まだ気に入らないのだろう。
旅日記を書き表すらしいが、吾の長崎行きと同じように幾許かの銭を須原屋から先に貰ったのだろう。
ただ、驚きもした。司馬殿は御禁制のキリシタンの絵をお持ちしていたと(須原屋)市兵衛がそっと耳打ちをした。
吾も長崎で、人は皆平等にして隣人を愛せよ、の教えを口にせずとも崇拝していた町年寄、乙名、通詞達を知っている。世が世だ。司馬殿は絵を書く時の参考にと入手した物であろうが扱いには十分に注意せずばなるまい。
敢えて持って帰ったとは、奇人、変人とも噂のたつ彼だが、今の世に対する彼の反骨精神を見るような気もする。