「修学」の項には、国の言葉を子供達に教えるのにどのようにしているかとまずは和蘭のことを書き、それから長崎の通詞達の和蘭語習得の方法を紹介しながら、江戸にあっての学び方、和蘭語習得の方法を書き現した。長崎遊学で知ったことどもを念頭に置いた。
和蘭には「ABCブック」があり、長崎の通詞達もそれを使い文字、読み方、書き方の基本を知り、それから「サーメンスプラーカ」と言う会話集(蘭学階梯には平常の談話を集めたる書とある)で習う。その理解の上で更に文章の書き方等を先輩や朋友、蘭人に教えを乞い、その功を積む。
江戸にあってはそのようなことも出来ないゆえ、まずは怠りなく単なる言辞(成語、今日でいう単語)を多く記憶すべしと説いた。
翻訳しようとすればそれが大事なことで、そのうえで助語(助詞)等に気を配りながら文章の前後上下の意味するところを知るべしと認めた。
(蘭学階梯には、助語等に心を著け、其文章前後上下の語脈を貫通し語路の連続等の趣を熟し得べしとある。)
へメル(hemeℓ)は五字を以って「天」、アールド(aarⅾ)は四字を合わせて「地」を意味する。
(蘭学階梯のこの項にアールド(aarⅾ)とあるが、和蘭語の綴りはaarⅾℯで、ℯが抜けている、筆者)
これを例として小冊子を作り、成語(単語)の頭文字ABCD・・の二十五文字ごとに整理する。先に蘭語で書き、その後に日本語の意味する訳字を書き置く。そうすれば四、五百の成語を暗記することも、また蘭書を読み、文義を理解することも容易く出来るようになると書いた。
「譯辤」の項では、いきなり本を訳し理解しようとても難しい故に、初めはその本の注釈欄にある成語の意味を知ること、あるいは短い文章に着目して訳してみるが良いと書いた。整理しておいた小冊子の成語から訳を試み、前に整理したものの中に無い語句なれば新たに追加して記録し、後で師(先生)や先輩に教えを乞うことが肝要なのだ。
「譯章」には、成語(単語)を良く知れば一文を通して意味を探れ、その後、師にそれで良いかと聞いてみよと書いた。
志那の書と異なり蘭語の初学の者にとって、その翻訳は難しい。蘭語を悉く倭語(日本語)漢語にして読み、理解しようとすれば却ってその意味するところを間違ったりする。(蘭学階梯に、その意義を失うとある)。
大方の翻訳が出来れば、後は文の意味するところを考えて(その旨を心に会得して)訳を為すべきだと認めた。それが翻訳の仕方の基本になる。
(蘭学階梯に、これその大法なりとある)
和蘭の教える天文、地理から、あらゆる技芸、薬物、鳥獣等の類までも右の通り意味するところを探って訳すべきだと考える。
「釋義」には、マーリンやハルマなど蘭人が著した辞書がある。その注釈を見て理解出来れば良し、それが出来ない時にも志那の字と同じようによくよく考えて理解せよと書いた。例えば志那の字書に「軽」とあって、その注釈に「重からず」とあれば、「重くない」ことを「軽」と覚えるがごとしだ。
蘭語に「アホンド」と言うのがある。その「アホンド」の注釈には「エインデハンデンダーク」とある。「エインデ」は端っこ、終わりを意味し、「ハン」は助けの字(助詞)にて「デンダーク」は「今日の日」を意味する。すなわち、今日の日の終わり、「アホンド」は日暮れと理解できるのだ。この類にて注釈欄を知るべしと書いた。
「類語」の項には、まず蘭語は大凡五万語あると認め、我々が日頃見聞きする言葉を例として挙げて初学の者の参考とした。天、地に始まり、日月、東西南北、赤、青、黄色に黒、春夏秋冬、人、男、女、父母、子など三十二種を例として、その綴り方に読み方の仮名をふり、日本語訳を記した。
「成語」の項には読みと訳をつけて例文を記した。その方が初学の者にとっては理解が進むだろう。また蘭語に対する関心が余計に湧くだろう。
蘭化先生から前にも活用せよとお話があった故にそのお言葉に甘えた。十の例文のうち八つは蘭化先生の著した和蘭訳筌に載る。その例文によって蘭語の大方の文体、章句の語路を知ることが出来よう。また文の意味するところの大要を知ることが出来よう。
短い例文は、イキ(我)、べン(は)、ユ、デイーナル(臣僕)、(JK,ben、⒰、dienaar)、「我ハ君ノ臣僕なり」だ。上の者の使いに事を奏すべしとなり、上の者への敬いを表している。
また吾の気に入っているのは、フルゲメツキング(足る)、ガ、アト、ボーヘン(勝る)、レイキドハ(富)、(vergenoeging、ga、at、boven、Lykdom)
「足ることを知るは富に勝る」だ。