二 家族を江戸に迎える

 一月、四月、それに一層物価高の世の中になった六月末にも、老母と妻子、弟を江戸に呼びたいと藩に許可願を出した。お聞き届けしてもらいたいものだが八月に入っても未だに返事がない。

 届いたばかりの吉の状(手紙)には、吾が仙台藩に身を移したがゆえに一関の家屋敷は藩に召し上げられた。されど、行く当てもなく肩身の狭い思いでそのまま借家住まいを続けている、周りは今年も冷害の様相だとある。

 吉も母上も打ちこわし騒動の身にある者と変わりない有様ではないか。少しばかりの仕送りをしていれば良いというものではない。

 この家が手狭になっても、早くに側に来てもらった方が良い。その方が安心できる上に、和蘭(おらんだ)(かがみ)の加筆修正も落ち着いて出来る。

 いよいよに覚悟を決めねばと思いあぐねていると、少しばかり嬉しいことが耳に入ってきた。中良(ちゅうりょう)殿(森島中(もりしまちゅう)(りょう)、法眼・桂川甫周の弟)が発刊した「紅毛(こうもう)雑話(ざつわ)」が市中で評判になっていると聞く。

 何時ぞや聞かれるままに話した、吾が長崎遊学の間に口にした阿蘭陀料理の数々を紅毛雑話に書き表したらしい。近くに、会ってその本を手にしてみたい。

 

 とうとう、この九月始めに四度目にもなる帰郷の許可願を藩に申し出た。一関にては諸事万端を片付け、家内の者ども連れ上らんがために(いとま)を五十日下されと認めた。

 だけど今までと同じだ。月も(なかば)になるのに何の沙汰も無い。(たま)り兼ねて今日に工藤様を訪ねた。松崎様をよくご存じゆえ、吾の申し出について何かお聴きしていることもあるかと訪問した。

「成る程の。今月も十七日か。

いや。(わが)()も藩に遠くなっての。誰ぞからもそのことは耳にしておらなんだ。

 藩の台所が厳しいには違いないが、其方の家族の江戸(のぼ)りの費用を賄えぬほどではあるまいに・・・。

 思い切った手も無いでは無いが・・・。

 今、あや子(工藤平助の長女)が来ておっての。この家(借家)に戻ってきたいと言っておる。姫((あき)()姫。仙台第七代藩主、伊達重村の子)のお輿入(こしい)れにお供して井伊家にご奉公しておったが、姫の夫君、井伊(いい)(なお)(とみ)殿が急な病でこの七月に二十八(歳)の若さで亡くなられての。髪を落とした姫(井伊家では(まん)姫)はまだ十八(歳)と聞いておる。

 哀れじゃのう。それからに、あや子にも容易ならぬ子細があるらしくて、この際ご奉公を辞退してここに戻って来たいと言っておる。

 奉公に出て十年。あや子も(とし)年齢(とし)(二十六歳)じゃ。身を引かせて何処ぞに縁付かせてやりたいと思っての。松崎に()うてみようと思っていたところじゃ。

 其方の事、どの様な扱いにあるのか()()に聞いてみよう」

              

「さぞ、お疲れもうしたでしょう。これが、()が家です。直ぐにも床を延べますゆえお休み下され。

(辻)駕篭に馬とはいえ()()ゆえに、また慣れぬとて大分(だいぶ)に御身体に(こた)えたでしょう」

うかが)う母上の顔は青白い。五十の坂を超えての長旅は持病の神経痛ゆえに余計に身体に(こた)えたろう。

母上は力なく吾が家を見上げた。

よし)もまた二歳(ふたつ)になる陽之助((しげ)(えだ)。後の大槻玄幹)の手を引き、時に背負い、一緒に馬、駕篭に乗りはしたものの百二十五里余の道程(みちのり)はさぞ長かったろう。

 母上と同様に旅姿のままに借家の屋根を見上げる。しかし、その顔は、陽之助の右手をしっかりと握ったまま喜びに微笑んでもいるように見えた。

 陽助は目を見張っている。顎の無精ひげが伸びている。想像していたよりも大きい家とでも思ったか。

吾は、着いた、()れた!、家族の顔を見ながら安堵したとしか言いようがない。お富やお京、末吉など一緒に付いてきた使用人の表情もまたぐるりと見渡した。

 

「いやー、お姿を拝見して安心致しました、心配しておりました」

「吾よりも、先生は息災か?」

「はい。お元気です。先生は今、伯元先生から届く状(手紙)が何よりものお楽しみにございますが、大槻様がそっとに田舎へ行った、帰郷したと知って、それはそれは先生の心配も大変でした。いやー、良かったです。

 お戻りになったとお聞きして、早速に、様子を見て来い、確認して来いとの事でした。 

これは、先生からの御志(おこころざし)にございます」

竹籠の中を覗くと、杉の枝葉に挟まれて(うろこ)が見える。

「今朝に房州から届いた鯛だそうにございます」

 久しぶりに会う松栄はニコリとした。江戸に住む若者らしいさっぱりとした姿だ。袴の裾の折り目が正しい。

暫く見ぬが、馬田殿も元気かと問えば、(天真)楼社中の皆様が頼りにしています。医術を教えることは出来ぬが阿蘭陀語の教えに皆が唱和している、評判が良いと語る。

 夜には何やらせっせと和訳に励んでいると馬田殿の近況をも語った。