一夜明けても周りは騒々しいままだ。今朝にお通さんの姿が見えない。

 不安に思って表に出ると、寄ってたかって人、人。隣近所から耳に入ってくるのは、何処ぞの米屋が打ち壊された、暴徒が散々に米を手にして去って行った、いや、まだ他の米屋が襲われているとの話だ。

 数年続きの冷害に(浅間)山の噴火、大洪水と続く災難に農地を捨てて江戸に来たものの、安い日雇い賃金に狭い長屋暮らし、そこに途方もない米の暴騰とくれば貧乏暮らしも限界だ。江戸市民の不満は募ろうというものだ。

 吾の姿を見つけた印判職の家主が側に来た。(せわ)しなく行きかう人々を見ながら言った。

「危のうござる。中に入りなされ」

 言われるままに小門の内に入ると、語りだした。

「ご存じでしたか?ここのところ連日お奉行所の前は人だかりでござった。

お米の暴騰にたまりかねて人々が押し掛け、お救い願いを出すようになった。

それなのに御奉行所は、「精を入れて稼ぎ、何とか食いつなげ」と、世の中の今を無視して馬鹿げた申し渡しだけでござった。

人々の必死の嘆願にお役所、お役人は素知らぬ顔じゃ。

銭が無くて払えず借家を追い出される、米を手に出来ぬでは行き場もなければ餓死する者も出てくる。

 大川(隅田川)に身投げする者が日に日に増え、その身投げする人が出ないようにと橋番人を増やして監視を強めるなど、役所のやり方は本末転倒じゃ。

 一昨日に赤坂中の米屋という米屋が打ちこわしになったと聞いておったが、昨日(きのう)今日(きょう)には京橋、この辺り(日本橋)じゃ。喰うものも無くて命に係わることとて早々に騒ぎが収まることはなかろう。

 米の高騰、もっと上がるもっと上がると商人どもの米隠し。天下の台所、大阪も米不足に商人(あきんど)の米の買い占めだそうな。

去年(こぞ)の米の不作は日本(ひのもと)、何処に行っても同じじゃ。遅かれ早かれ他国もまた打ちこわしの大騒ぎになるじゃろう」

 聞かずとも興奮気味に語る家主だ。話をつづけた。

「田沼様が失墜して、その後の政争に明け暮れる役所。役人は何をしている。何処を見ている。

恐ろしい世の中になり申した」

 艶の良い顔とさっぱりした身なりの家主だ。今の世のあり方を批判しているが、己は高見の見物の姿、形だ。吾とても同じだ。見物人でしかない。

 家主は語るほどに、いつしかお奉行所お役所、お役人様の「お」の字も「様」をも取っ払っている。

 医者である前に人であらねばならぬ。先生のあのお言葉をも思い出しもしたけど、今の吾に何ができよう。

事情通の家主は、庶民の手にする銭の価値が大幅に下がっている、今まで一両を手にするのに四千文だったのが五千五百文になっているのだと言う。

 後に続けて(きん)如何(どう)(ぎん)が如何のと言ったけど吾には分らぬ。思い出したのは、福知山公(朽木昌綱)が世界の貨幣のあり様を調べている、収集しているとかだ。

 その後に続いた話の方が分かりやすかった。日雇い人足の駄賃が二(もんめ)、凡そ百八十文。去年に百文で一升超える米が買えたのに今は百文で二、三合しか買えぬと言う。喰う物の確保さえ難儀な上に借家住まいに銭無しなのだ。

 お通さんの溜息の理由(わけ)も知れた。その日暮らしの者、その家族は飢えて暮らすことになる。借家を追い出される。

米屋に札差、両替商等が打ちこわしの標的にされるのも当然だろう。四年前(天明三年)に目にした田舎の大飢饉の惨状と仙台藩で起きた阿部清騒動が思い出される。

 お役所は何をしているのだ。為政者の事を思いもするが、吾もまた何が出来るのかと己に問えば出来ることとて無い。情けない。

 

 四日目にしてお通さんが顔を見せた。

「どうした。風邪でも引いたか?無事だったか、お子らは元気か?」

「はい。何の連絡もせず、ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません」

 少し頬がこけたようにも見える。お通さんはそれからこの三日間の事を話した。

 あまりにも酷い米の高騰に、呼びかける者の誘いに乗って奉行所にお救いを出すよう皆と一緒に嘆願に行ったのだそうだ。

お救い下されと打ち立てた旗の下に声を掛けずとも段々と人が集まり、数えられない人の数になった。百人やそこらではありません、町の木戸という木戸を壊し集まり、数千人にもなったのですと言う。

 だけど、お上は『精を入れて稼げ』だけの申し渡しで、集まった人々は不満やるかたなく御用商人の家に向かった。その時には皆も己も興奮状態だったと語る。

 商家に着くと、人々は米、麦、大豆から野菜、醤油、油までも路上にぶちまける、川に放り投げるで商人どもの制裁にかかった。商家の門、壁、障子、畳に床までの打ちこわしになった。だけどそれが段々に、腹も減っている、捨てるのは勿体ないで、盗賊まがいに米に銭、衣類までも盗むという事態に変わって行った、吾とて持てるだけの米を、目の前の米を手にしたと語る。

 お通さんは言った。

「家に帰って手にしてきたお(こめ)を見ていると、その姿に子供が怖いと言いました。己が大分に恐ろしい形相をしていたのでしょう。

 ふと、吾の手が後ろに回れば、この子たちはどうやって生きていくのだろう。そう思うと反省とともに子等に盗みはダメだ、人様にご迷惑をおかけしてはダメだと言いながら涙が出て止まりませんでした。

 貧しくても貧乏しても、己の怖い形相を子に見せてはいけない。思わず二人を抱きしめて泣きました。

昨日は丸一日、ただただ家に引きこもっていました」

 聞きながら、今も騒動の続く江戸市中を思った。お通さんは嘆願行為に出ていた。吾よりも行動している。己に何が出来るかと日和見な自分を反省せねばなるまい。

 お通さんを(とが)めだてする気など毛頭ない。ふと、田舎にいる妻子等がどうあるのかと思われ、身も震えた。

 お奉行所は、急遽、お救い金を支給すると言う。驚いた。町方の皆を対象にするというから施しは凡そ三、四十万人にもなるのだろうか。米を買う金とて一人に銀(さん)(もんめ)二分(にぶ)とか。総額二万両、米俵にして七千俵分にもなるとか、また、各町の名主が代表して受け取ると聞いた。

 町のあり様と言えば、木戸という木戸に自警の見張り番が立ち、買い物にも往診にも容易に出歩けない。