丸い顔に離れ眉、優し気な目、京都でも見たお顔に変わりはないが、頭を丸めている。長旅を考えて髪を落としたものだろうか。小石殿は先生の言葉に頷き、二度、三度ばかり首を縦に振った。

「しばらく、厄介になるでの。慣れぬ江戸とて他人(ひと)より余計に迷惑かけると思うが、後ろに控える真狩元策共々宜しく頼む」

   既に、吾の所に滞在することに話がついている様子だ。

「はい。先生にお話を頂いて、長くご一緒にあれば小石殿に教えいただくことも多くあると、吾も嬉しくお話を頂いております」

六物(ろくぶつ)新誌(しんし)なるものも、ゆるりと教えて下され。

   吾もまた学んで来たといえども古来の医方の謬惑(びゅうわく)之論を排斥して、欧羅(ヨーロッ)()の教えるところの医の良き所を学ばねばと思っておる」

 後に控えている真狩殿が師の言葉に頷いていた。

 

 八畳の間を小石殿に、六畳の間を真狩殿の起居の場として明け渡した。吾と伯元殿がもう一つの八畳一間を使い、残る六畳二間のうち一間を通いで来る者達への蘭語教授の場とも吾らが小石殿に学ぶ場ともした。

   何かの時にもう一間、六畳を空けておけるのはまだ良い方だろう。田舎に在る母上や妻子等を迎えんとて己の懐具合よりも広い家を確保したが、それが先に小石殿達のために役立ちそうだ。

   先生のご配慮で、日々二食を用意してくれる通いの賄の後家さんを確保できたのも良い。吾一人で日々の食事を如何(どう)したものかと思い悩むこともない。

 時折、さゑ(・・)さんと(せん)さんが顔を見せてくれる日はなおのこと良い。お二人が来たときは決まって夕餉は豪勢なものだ。

先生のお心配りなのだろう持参する魚に卵に豆腐に山芋などに、季節の野菜に時折、鴨や山鳥の肉が届く。

   吾も士業(伯元)も先生の意図は分かっている。阿蘭陀、阿蘭陀と洋の翻訳、医学ばかりを追求してきたが、そもそも吾ら二人は病そのものの捉え方、幾多とある病の根源を十分に理解出来ていない。故に漢方であろうと蘭方であろうとその施術の前に、病の捉え方等を基礎から学ばせようとのお考えだ。

   本科は伯元(士業)、外治は玄沢と期待しているものの、まだまだ基礎に係る理解が足らざれば漢方の事も腑分けのことも実践を踏まえて知る小石殿は二人に良き師となると判断しての事だろう。

 

   周りの色づいた木々の葉は大分に地に落ちた。されど世間には陽の上るものもある。十一月一日、一ツ橋家から将軍家の養子に入っていた徳川家斉殿(十五歳)が十一代将軍になると決まったらしい。

   老中首座に松平定信公とか。事の事実が発生して何日経とうと、お上の事を知るのは瓦版が一番だ。朝から声を張り上げ売り歩く瓦版屋に人が集まる。

   読売は一枚が四文(現代に換算して約五十円)。時折、街角に立つのは四方八方に声の通りが良いと瓦版屋とて計算してのことだろう。

 

   久しぶりに(天真)楼に顔を出して、それから夕に士業殿ともども先生宅にご一緒した。時候が時候故に七つ(午後四時)を過ぎたばかりに周りはもう闇だ。

「どうじゃ。慣れたか?。小石殿のお話は大いに参考になろう」

「はい。参考どころではございません。季節が冬だというのに己の未熟さに毎日が汗です。冷や汗です。

小石殿は古医方の大家なれば、説くところの寒傷論も、また、その論の教えるところの調剤、調法も良く知ることが出来ました。

   気の病(障害)だけで人の病は語れぬ、目に見えぬ病の元がある(現代でいう病原体)と説く温疫論もより理解が進んだと思ってございます」

   欧羅巴の医学を学ぶにも、古来積み上げられてきた漢方もまたより知り置く必要があるのだと吾も士業も小石殿によって大いに思い起こされている。

   先生の、屋根を同じにして学べ、大いに参考になるは最もな計らいなのだ。