「そうか、そういうことがあったか。思ってもいなかったわ。
馬田、いや石井恒右衛門殿の阿蘭陀語の力は図抜けておる。
先生が教えてもらおう、翻訳の手伝いをしてもらおうと言っていたけど、すでに(天真)楼に学ぶ社中の皆々がその恩恵にあずかっておる。
石井殿はいずれ其方の父上同様、何処ぞの御大名から声がかかろう。
長崎通詞の皆さんが世に必要とされる時が来ておる。其方もまたこの江戸で医学、蘭学はもとより世の中のことも、今は関係がないと思っていようがご政道に係ることも学べるものは貪欲に学んでいくが良い。
ところで、養子縁組は通詞の皆さんの中には結構あるものなのかの?」
「はい。キリシタンご禁制の一件で平戸から長崎、出島に回った通詞のお家柄というものに地元では高砂とか肝付、石橋、秀島、名村に、西、志築、横山、貞方、猪木、元(本)木の名が上がります。
後に続く者が息子であればよし、なかなかに跡目を継ぐほどの子が出来ずに養子を迎えることも少なくありません。
大槻様が親しくなったとか言われる志筑忠次郎(忠雄)様は、本木先生宅のすぐ側の商家から志筑家の通詞八代目に目されて(見込まれて)養子になった方にございます」
「えっ?、あの稽古通詞の志筑殿も養子と?」
「はい。そうです。忠次郎様は本木(良永)先生を師と仰いでおります」
「うん、それは知っておるが。志筑家の養子とは・・・。
彼の語学力、天文、地理、窮理(物理)にかかる知識と翻訳の力には驚かされた。側にある商家とは・・?」
「はい。本木先生宅の隣になります中野家です。中野家はあの伊勢・松坂の三井越後屋の長崎代理ともいわれ、輸出入する品々も多く扱ってございます」
「そのような出自とは・・・」
聞きながらに、お世話になった本木宅とその隣にあった大きな中野家の家屋敷と暖簾を想像した。
「体が弱いとか聞きもした。またそのようにも見えたが、あの語り口からして、何、今からも周りの期待に十分に応えるものじゃて。
そうか、知らなんだ。本人は何も言わんでの・・・。
片づけが終わったら一風呂浴びに行こう。汗臭いままに帰すわけにもいかないからのう。
もうひと踏ん張りじゃ」
浜(浜町)の先生から至急に来られよと、お声がかかった。どのような話か。
これから塾に迎える有馬文仲殿が己にとって初めての弟子になる。朽木候が所の藩医なれば、朽木候にまた借りができたようなものだが、有難い。
先生からも、誰ぞの紹介かも・・・と思わぬでもない。
「おう。よくぞ来てくれた。伯元も同席させて貰うでな。
早速じゃが、実はのう、其方も知っておる小石元俊殿の事じゃ。
京から届いた状に江戸に出る。暫く滞在する。医術についてまだまだ意見を交わしたいとのことじゃ。
それ故、まずには住まいのことが問題になる。そこで其方を呼んだのじゃ。
頼みたい。小石殿が江戸にいる間、其方の所に住まわしてほしいのじゃ。
学ぶことも話すことも手伝うこともあろうかと、小石殿が江戸におる間は伯元もまた其方の所で寝起きするようにしたいのじゃ。
吾と話すこともあるが、其方も伯元も小石殿に学ぶことも大いでの。
漢方のことはもとより、腑分け、解剖、蘭方医学の事も良く知る小石殿に教えを乞うことがこの江戸で出来るのじゃ。
急な話で悪いが、如何じゃ?。
滞在期間に係る費用の事は吾の方で都合する。面倒見る。
応じてもらえぬかの?」
「いつまでに江戸におられると?」
「そこがまだはっきりせんが、春までは居ると思わねばなるまい」
「して、来られるのは小石殿と・・・」
「うん、状では門弟を一人連れてくるとか。小石殿の年齢も年齢だし一人旅は危ないからのう」
あの時、田舎にある母上と、吉と、まだ見ぬ倅と弟を思った。幽蘭堂の経営の姿かたちが整ったら一刻も早く母等を江戸に迎えたい。
そう思ってもいただけに、申し出の返答は少し考えさせてもらってからでも良かったのかもしれない。しかし、一通りお話をお聞きして、己の口を突いて出たのは即座に、かしこまりました、だ。
「寒傷論」など漢方の医説に、実体験を基にした諸術にかかる話を聞くことができる、今後のために大いに役立つだろうとの先生のお話にその場で同意して来た。
歩く道々、やたらと町人同士の立ち話姿が目に付く。こういう時は、大概はよからぬ噂だ。谷風が負けでもしたか。何処ぞで大相撲が開かれていると聞きもしないが。それとも芝居小屋に何か話題になる演目でもかかったか?、目に付く役者が出てきたか?