イ 工藤平助への報告
もう昼過ぎになる。先生や伯元殿が出かけた後も、己が書生をしていた頃の仕事の段取りの幾つかを松栄殿に教えた。思いの外、時間を要した。
そろそろ出かけねばなるまい。今朝に伯元殿から、工藤殿は今は同じ浜町の御公儀に仕えている医師、木村養春殿宅に家族ともども身を寄せているとお聞きした。
度重なる不幸に如何しているのだろう。火事による被災に再建資金を持ち逃げされたご難、期待を掛けていた長男の死。少しばかりの道とても歩きながらに工藤殿の今が大いに気になった。
思いの外、長塀のある大きな屋敷だ。出てきた工藤殿の開口一番に威勢の良い声が聞かれた。
「おう、いつに戻った。元気そうで何よりじゃ」
「はい。工藤様もお元気そうで・・、一昨日に帰ってきました。
この二日、玄白先生のところに泊めていただいておりますが、昨日に関藩中屋敷に顔を出して帰京の報告をしております。
(出立にあたっては)過分な餞別金を頂き、誠に有難うございました」
「何を他人行儀な。そんなことは良い。ささ、上がれ、上がれ。
吾の災難を知ってな、同じ医者仲間の木村養春殿がお声をかけてくれたのじゃ。御公儀の用意した家が広すぎるとて、一緒に住みなされとの・・・。
他人様の家ではあるものの不便はござらん」
案内された座敷は八畳ほどある。部屋の片隅に小さな仏壇が置かれていた。ご家族の姿が見えないところを見るともう一部屋二部屋をお借りしているのだろう。
「長崎はどうで御座った。吉雄(耕牛)殿にも、外の大通詞、小通詞とも好を通じたか?、カピタンやその側にいる阿蘭陀医者と懇意にできたか?。
彼らとの交友こそが其方のこれからの世のために一番大事なことよ」
対座して座ると、直ぐに問われた。
「はい。お陰様でそれらの方々を多く知ることができました。
医事のことは勿論のことにして、天文、地理、測量、窮理、絵図から目にする物、料理までもがまさに目から鱗(が落ちる)でございました。
吉雄先生のところで学ぶ通詞見習い、内通詞の多いのに驚かされました。給金とて無い彼らは不平不満も言わず、阿蘭陀語だけでなく独逸語、英吉利語なども当たり前に学んでいるのです。
吉雄先生のところに備えある異国の書籍、本の多いのに驚かされました。
また、工藤様と同じように蝦夷の開拓、アイヌ、オロシヤとの交易の利を語る通詞見習い(志筑忠次郎、忠雄のこと)が居たのには驚きました」
「うん。吾の(赤蝦夷)風説考とて吉雄殿の教えによるところも多い。
長崎にそのようなことを語る御仁が他に居ても不思議はない。
されど、それが通詞見習いと有れば、その御仁は若く今後にきっと大成するであろう。そのような者等とこそ好を通じておいた方が良い。
ところで玄白殿の宿題はできたかの?、良沢も関心を抱いていたが・・」
「はい、まだ詳しくご報告をしてございませんが、(玄白)先生に説明できるほどにはへーステルの外治(本)も己で理解できた、翻訳ができたと思っております。
工藤様もご存じの本木良永殿と、それに、その子息、本木正栄殿にも教えをいただきました。
正栄殿はまだ二十一(歳)の若者です」
「其方とは十(歳)程も下になるかの?、とはいえその本木正栄とかいう若者を大切にするが良い。後々にも其方の手助けをしてくれるやもしれん。
前にいつぞや其方に合わせたことがあったかの、吾は今、長崎にも松前(蝦夷)にも行ってきた友、林子平の「海国兵団」の序文を認めておる。
吾は赤蝦夷(赤蝦夷風説考上巻)にオロシヤとの交易の利を説いたが、貴奴はオロシヤの脅威と、そのための我が国の国防を言っておる。
違いがあっても友は友じゃ。意見の違いはあって良い。
ところで女子の方も勉強してきたか?
丸山(遊郭)に学こととて多かったろう。餞別金で足りたかのう?」
「はい。いや・・・。適当に学んで参りました」
応えて、思わず赤面した。
「適当では困る。前にも申したと思うが、女子の身体の特徴を良く知ることも医者には大事なことじゃて。
ハハハハ・・良い、良い。丸山もまた世間を知る一つじゃて」
笑顔の工藤様の顔が大きく見えた。これがご難続きのお方かと思うほどだ。
「(長崎で)伯元殿の状(手紙)にて知った時には驚きました。
元保殿(工藤平助の長男)のご仏前に手を合わせていただいて宜しいでしょうか」
途端に工藤様は声にせず、顎を引いて頷いた。
「親の心、子知らず、勝手に逝ってしまったわ。
小さい時から身体の弱い子じゃった。覚悟はしておってもことが事ゆえにのー」
(ご焼香)
元の席に戻ると、工藤様だ。
「有難う。とは言えこの通り吾は元気じゃて。他の子らも元気じゃ。
五十も過ぎたのに五番目の娘(五女、照子)を授かっての。秋の七草でいえば撫子になるかの。
あや子(長女。この時、二十三歳)とは親子とも言えるほどに離れておる。
ハハハハ、体が元気にあれば生活はまたなんとでも出来よう。前を見るしか仕方があるまい」
気を取り直して語る。側に置かれた脇息が小さな音を立てた。
「今は藩(仙台藩)の勘定方も辞し、ここで元の医者としての門戸を開いておる。
木村殿の紹介等もあり、昔取った杵柄で糊口をしのいでおる。
(仙台)藩の財政とて飢饉の影響が故に、今も大変なことになっておってな、支援を望めぬ」
「(医者としての)工藤様の腕はかねがね良沢先生にお聞きしているところでございます。
また、北の松前(現、北海道)からも南の長崎、薩摩(鹿児島)からも工藤様の所に書生にしてくれと希望者が後を絶たなかったのも存じ上げております。
芸ならぬ、身にした医術は己の身を助くといえましょう。
丁度良い土産を持参してございます。きっとお役に立つかと思います」
風呂敷包みを広げた。
「年齢をとると小便が出ない、出にくいと訴える男の患者が多くございますが、その出を助けるものにてカテーテルというものでございます。
既に長崎で多く使われております。
吉雄(耕牛)先生が、阿蘭陀のを見よう見真似で地元の道具屋と一緒に拵えたものとお聞きしております。
小便の出口に直接に刺し込み、尿の出を促すものでございます。
熱い湯(熱湯)に浸けて殺菌すれば、破れぬ限り繰り返し何度か使えるとお聞きしております」
「直接に刺し込むと?」
「はい。私も驚いたの何の。
されど吉雄先生の治療にてそれを使うところを直に見させていただきました」
「何で、出来ておると?」
玄白先生と同じ質問だ。
「それが先生も道具屋も教えくれません。
先生を良くに手伝っている医生さえも知りません。
地元では動物の皮とも、パタビアから持ち込まれた樹液を煮詰めて作るとも噂されております」