既に口上書を出したと言い難いが、それを機に話を長崎留学の事に戻した。

「吉雄先生のお陰で、初めて人体の解剖を見ることが出来ました。処刑された罪人の(むくろ)でございましたが絵図と変わりない人の臓器を初めて目にしました。

解体新書、阿蘭陀書にある通りで、今更ながらに驚きもしたところです。

 また、別な日には吉雄先生ご自身が診察しておられる所も拝見させていただいております。

その際に、尿の出が悪いとて下っ腹をパンパンにした患者にカテーテルなる物を使って尿を引き出すところを見ております。

これまた大変に驚いたところでございます」

「解剖を吉雄殿自身が行ったと?」

「いえ、先生や吾を含め刑場に十五、六人の医者が集まりました。

門下生でしょう、その中のお一人がメスを入れております」

「カテーテルという物はどのような物かの?」

「はい、今日は先生と伯元殿に長崎土産としてそれを持参してございます」

お二人の目の前に、風呂敷包みを広げた。

「はい。この(くだ)を小便の出口に直接に刺し込み、促します」

(なん)と。これを直接に刺し込むと?」

手にして驚く。伯元殿も、もう一つを手に取った。

「はい。これらは吉雄先生が異国のを見よう()真似(まね)で地元の道具屋と一緒に(こしら)えたものとお聞きしております」

離れて控えている松栄の方を見た。彼が頷いた。

「驚いたの何の。されど、先生の治療にてそれを使用するところを(じか)に見させていただいております」

「痛くはないのか?。(なん)で出来ておると?」

「はい。患者は平気な顔をしておりましたれば痛痒(つうよう)は感じなくて済むようでございますが、先生も道具屋も教えて呉れません。

動物の皮とも、阿蘭陀船が持ち込んだパタビア(現、インドネシアのジャカルタ)の特異な木から出る樹液を煮詰めて作った物ともお聞きしております。

 いずれにしても元は阿蘭陀、国で既に広く使われている医療器具だそうにございます」

カテーテルを手にして先生と伯元殿が顔を見合わせている。

「長崎は世間のお話以上に異国の物であふれていると知りました。

同時に日本(ひのもと)は世に、世界に遅れていると思いました。

唐の教える医術、本草だけではない。欧羅(よーろっ)()の医術、本草をもっと学ばねばと大いに思ったところです」

()()ろっぱ(・・・)?」

 伯元殿が口にした。

「はい。長崎の通事たちは阿蘭陀(おらんだ)独逸(どいつ)()(らん)西()西班(すぺ)(いん)葡萄(ぽると)(がる)等を一まとめに欧羅(よーろっ)()と申しておりました。

通詞達が異国の書から勉強しているのは語学だけでなく天文、地理、窮理、測量から算術、絵画等々に至るまで広うございます。

これからの世に長崎通詞たちの登用、活用が必ずに必要になると思います。

 薩摩の島津公が、お連れした松栄殿のお父上、(まつ)村元(むらげん)(こう)殿をお抱えになったことも成程と合点がいくところです。

島津公は今、何やら、西洋の書の翻訳を進めているとお聞きしております。優れた武器を得るためや大きな船を得るためだけにあらず、産業振興、(おの)が国(藩領内)を豊かにするために西洋に学んでいるとお聞きしております。

 馬田殿は荒井(庄十郎)先生同様にこの天真楼に学ぶ寄宿生等に阿蘭陀語をご教授してくれるだけでなく、吾が長崎で知ることのできた西洋の諸々を語り、皆々の目を世界に開けさせてくれるでしょう。

 江戸にて己に何ができるかと本人は一抹の不安を口にしておりますが、彼の通訳、翻訳の力、博学はなかなかのものです。

吉雄先生に宜しく頼むとのお言葉もいただいて来ております」

「うむ。伯元とも話したが、馬田殿には当面は吾らが教えてもらおう。

寄宿しておる者達は解体新書に触れ、西洋の医学を学びたくて諸国から集まった者達だ。阿蘭陀語に大いに関心のある者の集まりゆえ大喜びするであろう。

 江戸でも最近は阿蘭陀の書をゆるゆるに見られるようになったがゆえ、教授出来るほどの馬田殿が側に来てくれたことは大いに有り難い。

 また、名を明かすことは出来ぬが、吾や朽木候のところに何処ぞに阿蘭陀語の出来る者、翻訳出来る御仁はいないかと、話を持ち込む御大名(おだいみょう)もおる。

 機会があれば、馬田殿を誰ぞに紹介する手配も御座ろう」

「宜しくお願い致します」

「ところで、京で柴野(しばの)栗山(りつざん)殿や小石元(こいしげん)(しゅん)殿にお会いできたようだが、お二方は達者で居ったろうな?」

「はい。先に状(手紙)にお伝えした通りでございます。行きにも帰りにも柴野先生、帰りに小石先生にお会いしております。

お二方とも達者でおられます。先生からお預かりした状(手紙)をお届けたしただけなのに柴野殿には過分な饗応を頂きました。

 また、失礼な物言いかもしれませんが、小石殿は観蔵(腑分け、人体の臓器を見る)を良くし、四十(しじゅう)(なかば)にあってもなかなかに向学心のある方とお見受けしました。近くに江戸(くだ)りをもとのお考えをお持ちでした。

 行きに日もなく京見物も出来ませんでしたが、帰り道とて、小石殿には京の街中をあちこち見物させていただきました。土産物を売る町家さえも覗かせて頂いております。

 また、先生(玄白)のお陰で、大坂は木村兼葭堂に小西長兵衛殿、長崎は吉雄先生、本木良永殿、カピタン()に大変にお世話をいただきました。

 誠に有難うございました」

「ハハハハ、(われ)の知る友人、知人とて、行き先々に会うのは其方にとって年寄りばかりじゃったろう」

「なれど、いずれの方々もこの世に益をなしている方々でございます。

皆様に教えられることとて多くございました」

 四つ半(午後十一時)過ぎにもなった。明日(あす)(つか)えてはならじと伯元殿の言葉が無ければ話は尽きなかったろう。御年齢(おとし)を召した先生を思いやる伯元殿に、祝言は先のことでも杉田家の(わか)(あるじ)になったなと思う。

 戻って各々の部屋に分かれる(きわ)に、明日からこそ七つ半(午前五時)起きと心がけよと松栄殿に伝えた。己もまた明日はその時刻に起きよう。