三 長崎帰りの報告
ア 杉田玄白への報告
着替えて関藩の中屋敷(愛宕下田村小路。港区西新橋二丁目)に急いだ。
もう昼八つ(午後二時)になるだろう。昨日は長話になったけれど奥方様もさゑさんも少しは満足してくれただろう。
先生や伯元さん、天真楼社中の皆さんへの土産物は部屋に置いたままだ。汚れ物の類だけの頭陀袋はこんなにも軽かったか。
部屋は半年も前のそのままだ。畳の上が薄っすらと埃っぽい。後で掃除をせねばなるまい。
それからに、関藩医者溜まりに顔を出した。ただいま長崎から帰りましたと曽根殿(一関藩侍医、江戸番)にご報告した。不機嫌な顔が有りありだ。
「口上書の件。上役から連絡があった。子細は分からぬが、言われたことを伝え置く。
即刻に藩邸に戻れとのことじゃ」
他に何ぞ御用がございまするかとお聞きしたが、特に用とてない。其方が来た、戻るよう伝えたと報告をしておくだけだと語る。
吾の移籍話はとうに知っていよう。己の事以上に弟(陽助)の関藩登用の話が整ったのかお聞きしたかったが、口に出来ない。
その曽根殿は、口調とは裏腹に後々に改めて長崎話を聞かせてほしいと頬を緩めた。人の良さを隠せない。
「玄白先生が所に戻って相談のうえ、今後の身のあり様をご報告させていただきます。
何分にも長崎留学は先生の宿題を抱えての事。(江戸に)戻ってその報告のためにと机に向かってはおりますが、容易に片づく物にあらざればまだ片付いておりません」
藩長屋に泊まることもせず、先生を思いながら、また築地の先生(前野良沢)が所にも帰京のご報告に行かねば、工藤(平助)殿のところにも顔を出さねばと気にしながら浜町に戻った。
先生も伯元殿も昨日と同様に暮れ六つ(午後六時)を過ぎたばかりに帰宅した。吾も松栄も一緒に夕餉に呼ばれた。
馬田殿に少しばかり気が行ったが、今日から賄いの小母さんのお世話になるだろうと思った。
食事が済むと、伯元殿のお心使いで改めて先生に長崎生活を報告することになった。松栄もそのまま同席するようにとお声がかかった。
関藩の長屋に身を移して以来、久方ぶりに見る先生のお部屋だ。懐かしいが、先生の身の回りを世話することになる松栄が毎日掃除することにもなる部屋だ。
「長崎はどうだった。カピタンや(阿蘭陀)通詞等との交友はあっても、(長崎に)行ったことが無いゆえに其方の話が楽しみじゃ」
先生の右方に、一歩控えて伯元殿が着座した。半年ばかりの間により逞しくなったように見える。藤沢宿まで見送ってくれた伯元とは別人にも見える。蓄えた顎髭ばかりの事では無かろう。顎髭は凡そ一年前に藩医(小浜藩)の身にもなった証かとも思う。
「長崎に着いて凡そ一か月は稲部半蔵殿,松十郎殿親子の所にお世話になりました。
それから十二月も半ば過ぎに、本木良永殿の所に引っ越しております。その時から本木殿にへーステルの外治の翻訳のご指導を受けたところでございます。
凡そに理解できたと己では思ってございますが、先生には改めて整理清書してからご報告させていただきたいと思っております」
「外治の事を、より深く知る勉強にはなったであろう?」
「はい。長崎にて目にすることが出来た同様の書もございます。それで理解が進んだところもございますが、何よりも本木良永殿、正栄殿親子のご教授が無ければ翻訳も理解も出来るものではございませんでした。
お二人には深く感謝を申し上げて参りました」
「うむ?、本木殿の倅にもお世話になったと?」
「はい。まだ二十歳そこそこの若者ですけれども、親の教えでしょう、阿蘭陀語を達者にしておりました。
通詞には阿蘭陀人の口述を覚え、真似て会話をするようになった者が多くございます。筆記となると出来ぬ者が多うございますが、本木殿も正栄殿も和蘭の書を読み、理解し、中川先生や甫周先生のように蘭語をもって筆記することも、阿蘭陀人に質問することも出来ます。
吾が江戸に戻る段になって、正栄殿は、吉雄(耕牛)先生がこれからの通詞として期待している若者の一人として挙げた名にございます」
「知らぬがゆえに聞くが、長崎にはそのような若者が、人材がどれほどに居るのかの?」
「数は存じ上げませぬが、お連れした松栄や、志筑忠雄殿等の名が挙がってございます。
志筑殿はまだ二十五、六(歳)、天文、窮理(物理)などを得意の分野にしております。吉雄先生にも本木殿にも学んでおります。
地元の若者だけにございません、実に諸国、諸藩から若者の多くが長崎に至り、吉雄先生の所に学んでおりました。それが医学、語学だけの事では無いのです。
天文、究理、地理、測量、それに鉄砲、大砲の類の武器の製造、扱い方から、生活に必要なものの生産、育成、養生に絵画や生活様式等々までもが和蘭に学ぶ対象になっておりました」
「まさに、蘭学に学べ、異国に学べじゃな。世の中が変わるか・・・」
「儒学、国学、農業の振興だけではこれからの世を語ることは出来ません。その様に感じております」
「ご時世がご時世だからの、大きな声では言えぬが、其方も世の中を、世界を見てきたということじゃの。
諸国、諸藩の若者が国(藩領内)に帰って異国の教えるところを口にすればいずれ世の中は大きく変わって行くだろう・・・、その時が、何時に来るかじゃの」
「はい。ところで、今日に関藩からお呼び出しがかかり、行ってまいりました。藩長屋に直ぐに戻れとのお達しでした。
それで、留学は翻訳に係る師匠の宿題を抱えての事なればそれを整理整頓して、報告してからに戻りたいと申し上げてきたところです」
「ハハハハハ、うん。其方の移籍は確かなことじゃ。
帰京したと知れれば仙台藩からの呼び出しもまた日を置かず、直ぐにも予想されるところじゃ。
関藩には、医書の翻訳に係る報告には特と談合、話し合いが必要となる。片付き次第に藩邸に戻るゆえ、その間、お聞き届下さるようにと口上書を出すが良い」
「吾も、それが良いかと思います」
先生のお言葉に、伯元殿が相槌を打った。