一夜明けて七つ半(午前五時)に板戸を叩く音がした。開けると、松栄が立っていた。

「何かすることが御座いますれば」

「いや、今日一日。ゆっくりされよと先生と伯元殿のお言葉があったではないか」

「はい、そのようにお聞きもしたども(・・)・・・。それに甘えても()()()と(良いのかと)、思いもして・・・」

「何、心配は要らない。もう少し休んだ方が良い。

 今日は馬田殿を誘って朝餉の後に風呂屋に行ってゆっくり湯に浸かろう。身体を休めよう。

 旅の疲れを取るのが今日一日の仕事と思うが()い。杉田家の朝餉は一年を通して何時も六つ半(午前七時)じゃ。

 それにの、伯元殿の昨夜の話からして、吾が元に居たこの部屋に其方が住むようになると思う。其方の部屋には一時寄宿舎に移った者が戻ってこよう、書生だろう。最初が肝心ぞ。同じ書生とて先輩は先輩じゃ、挨拶を良くにするが良い」

 松栄が自分の部屋に戻った後、これなら彼は書生も務まる。心配は要らないなと吾一人で納得した。

 

 身体は疲れているものの、起こされたがゆえに眼が冴える。旅の汚れ物はまだ部屋の片隅だ。それを見ながら、ふと考えた。

(長崎)遊学に係る金銭的な支援は関藩からとうとうに無かった。されど身はまだ関藩にある。(江戸に)戻ったと伝え置かねばなるまいが、移籍もまた確実のようだ。ここは、戻ったものの、体調不良につきしばらく養生してからご報告に上がると伝えてもよかろう。口上書を認め、使いの者に頼もう。

(口上書を)書き終えると、頭陀袋から土産物を取り出し、広げてみた。これが奥方様への()土産(みやげ)。これがさゑ(・・)さん、これが扇さん、これを八曾さんに・・・。

 後は排尿を助けるカテーテルと小刀等手術器具の(たぐい)だ。先生や日頃お世話になっている中川先生等への御土産(おみやげ)だ。

二重三重に包んで少しばかり持ち帰ったフラスコやコブ(コップ)に(旅の)途中に壊れた物は無い。

 すぐにも江戸に持って帰りたかった書籍も多く有ったが、重いゆえに背にして来ることは出来なかった。残念にも思うが、後に無事に届けば良い・・・。

           ニ 帰途の中山道を語る

            ア 京を発つ          

 馬田殿、松栄殿と一風呂浴びて部屋に戻った。お互いに今日はゆっくりしようと語り、二人と別れてもう昼近くになる。

 開放感もある。疲れが出てうつらうつらしていると、さゑ(・・)さんが顔を出した。

良かったら旅の話を聞かせて欲しいという。

 長崎までは無理だけど、機会が有れば善光寺参りでもお伊勢参りでも一度は旅に出たいと言う。座敷で奥方様も待っていると聞く。 

 土産品を渡すのにはちょうど良い(機会だ)。扇さんと八曾さんの分も手にしてさゑ(・・)さんの後から座敷を覗いた。

 来てくれるものと予想していたのだろう。お二人の前に、少し離れて座布団が用意されていた。菓子の器も置かれてある。

「お疲れさまでした。疲れは少しは取れましたか?」

奥方様だ。

「はい、湯に浸かって来ただけに、旅の(あか)(あせ)を流して身は大分に軽くなりました。

 少しばかりですが御土産が御座います。是非にお(おさ)めください・・・。

 これが京で買った夫婦(めおと)(はし)にお茶碗、木曽路で買ったお盆。先生と奥方様にと御用意させていただきました。

これが、さゑ(・・)さんへの京土産、丸櫛です。

 これが扇さんへのビードロ(ポッぺン)です。この長いガラス(くだ)に息を吹き付けるとガラス球の底がへこみ、口を離せば底が元に戻ってペンともポンとも音がします。

 八曾さんの分と二つを土産にしようかとも思いましたが、ガラス細工でもあれば壊した時に危ないかと、八曾さんには長崎の絵双六を土産にさせていただきました」

 お二人の目は包まれたままの品物に行った。開けてみても良いかと言う奥方様に、はいと応えた。

手にして喜んでくれるお二人の姿に、良かったとも思う。わずかばかりの品でも長旅で背負ってくるのは容易な事では無い。