第六章 新たな江戸の生活

             一 杉田玄白と馬田清吉との対面            

「はい、どなたサ・・・・、大槻様!」

「はい。ただいま帰りました。先生は御在宅でしょうか。・・・ああ、連れはお二方(ふたかた)とも長崎からです」

吾の姿を確認して、それから後ろに続く二人に目を遣ったさゑ(・・)さんだ。

明六つ(午前六時)に長旅の最後になる(わらびの)宿(しゅく)(現、埼玉県蕨市)を発って四つ半(午前十一時)になる。

 先生の屋敷が近ければとて段々に興奮を覚えながら、道々に、これが日本橋、浜町、目の前に見える川は大川(現、隅田川)と、江戸を初めて見る二人に教えた。

 二人は大川の大きさにも日本橋の大きな太鼓橋にも、また行き来する江戸の人の多さにも驚いていたけど、目にする先生の屋敷の大きなことにも驚いた。

 このまま三田の薩摩屋敷(薩摩藩上屋敷)に向かうと言う、元綱殿を三人で見送った。

 

 さゑ(・・)さんの声を耳にした(せん)さんと八曾(やそ)さんが顔を出した。三歳になる八曾さんは誰かといぶかしげな顔だ。吾の顔とて真面(まとも)に覚えていないだろう。

 扇さんも確か十二(歳)になるなと数えた。僅か半年なのに出立前よりもぐんと背も伸び、胸のふくらみも少しばかり見られる。

 足を洗う三人の水桶をさゑ(・・)さんと扇さんが用意してくれた。冷たさよりも、ことのほか気持ちが良い。長旅が終わったな、江戸に着いたなと実感した。

 案内された座敷に入ると余計にホッとした。半年前まで何度も出入りした部屋だ。

 奥方(登恵)様がお顔を出した。先生が何時も座る所から離れて横に座る。

(ぬし)の居ない座布団の対座に私が座り、後に馬田殿と松栄殿が並んで座った。

 帰京の挨拶をしてお二人を紹介すると、先に着いた状(手紙)から先生にお話を聞いている、と笑みを見せた。

 お盆を手にした()()さんと扇さんの後に八曾さんまでが続いていた。登恵様の横に三人が並んで座ると、貰ったばかりのお茶で喉を潤した。

 長崎での生活を少しばかり話し、先生がお戻りになるまでこのまま待たしてもらうことにした。

四人が退席すると、改めて部屋の片隅にそれぞれの荷物を置かせてもらった。 

 それから三人で道中にあった諸々の話にもなったけど、これからのこともある。先生のお子様は二人。上が扇さん、下が八曾ささん、子等の横に居たのが玄白先生の妹、さゑ(・・)さん。扇さんはいずれ伯元殿の嫁になる人、ほかに同じ屋根の下に書生、別棟に阿蘭陀医学を学ぼうとて諸国から来た寄宿生が居ると披露した。

 

 夕刻まで三人とも座敷で足を伸ばしてゆっくりとさせていただいた。

 先生と伯元さんが(天真)楼での診療から戻って来たのは暮れ六つ(午後六時)を過ぎてからだった。

 着座すると直ぐのお言葉だ。

 「杉田玄白です。こちらが息子の伯元。長旅でお疲れでしょう」

 吾よりも、馬田殿、松栄殿に配慮したお言葉だ。

 いささか慌てて馬田殿が吾を窺った。黙って応答した。馬田殿、松栄殿がそれぞれに自己紹介とご挨拶を申し上げた。お二人のその後に言葉を添えた。

 「お二方は強くこの江戸での生活。勉強を希望しております。

 粗方(  あらかた)は状でもお伝えして御座いますが、何卒(なにとぞ)、先生と伯元殿のお力添えをお願いいたします」

 「細かいことはまたの機会に話すとして、松村殿は今宵から伯元がかつて使っていた部屋を使うが良い。其方の部屋だった隣となれば何かと都合が良かろう。

 また、馬田殿には空いている寄宿舎の一室を用意して御座る。

手狭かもしれないが江戸にてはそれで我慢してもらうしかない」

 話しながら先生は伯元さんの方も見た。同意を確かめるものだ。

伯元殿が頷きながら言った。

 「この杉田家と天真楼の日々の有り(よう)は明日にも皆さんにご紹介の後、お話し致しましょう。

まずは玄沢殿と部屋の案内、寄宿舎にご案内いたしますれば旅の荷を解かれ、ゆっくりするが良いと思います。

その後に、ささやかではござるが別室に歓迎の食事を用意して御座います」

 「勿体なくも有難きご配慮、何卒(なにとぞ)、今後二人を宜しくお願いいたします」

 馬田殿が応えた。松栄殿も頭を下げる。緊張した中でも二人はそれでホッとした顔を見せた。

 伯元殿が部屋を案内するに、かつて自分が使っていた部屋の今の入居者(書生)に二、三日、寄宿舎の方に移ってもらったのだと語る。

 吾から、ご配慮かたじけないと感謝を言い、明日の夕刻までには関藩(一関藩)に一度顔を出さねばなるまいと吾の行動予定を伝えた。

 

[付記]:今日から「小説・大槻玄沢抄」の後編を投稿させていただきます。第六章からになります。

 投稿するに当たって、月水金の週3日、1日の投稿紙数が400字詰め原稿用紙に換算して10枚(4000字)前後とするか、それとも、この小説以前の時の投稿のように、ほぼ毎日投稿、1回の投稿は400字詰め原稿用紙で5枚(2000字)前後とするかでちょっぴり考えました。

 その理由は、スマホで読んでる方が半分、パソコンで読んでる方半分とアメーバ事務局の解析通知を受けていて、週3日の投稿にしてからは殆どの方がパソコンで読んでいると変化が伝えられていたからです。

 通勤途中や仕事のちょっとした休み時間にでも読めるようにと考えれば、以前の投稿方法かなと思います。

そもそも旧パソコンの不具合で週3日に変更したことを考え、また、それに加えて小生の体力的なことも新たに考慮して、投稿のルールを原則、月曜日から金曜日までの毎日、1回の投稿紙数は400字詰め原稿用紙で5、6枚(2000~2400字)とさせていただきます。

 

 お休みを頂いた6,7月でしたが、この間もそれぞれの月に100を超えるアクセス(読者)数を頂き、心から感謝しております。

 今後とも宜しくお願い致します。

 

 なお、8月10(土)、11(日)の両日に「一関市、藤沢野焼祭」の開催が予定されています。一晩かけて焼きあがった陶器作品に、大賞や市長賞の外に存命中祭りの開催にご協力下さった岡本太郎氏や池田満寿夫氏の賞も用意されております。是非に参加、もしくは見学にお出かけ下さい。(ホテル、旅館が無く農家民宿が2軒あるのみ)一

 同時に高校生を対象にした作品募集、「熱陶甲子園」、フォットコンテスト等も予定されております。詳しくは岡本太郎氏の寄贈作品も出てくる宣伝版をネットで検索して確認して見てください。