長く続く白壁に時折一面を黒く塗りつぶした壁が混じる。外観からしても人の目を引く。ドロンコは気にもせず二間ばかり幅の長屋門を潜る。後に続いて石畳の上を行く。
大きな庭園が目の前に広がった。松の木も赤い実の付く南天の木もある。落ち葉を地面に広げた楓の木もあるが、初めて観るおおきな丈の緑の葉を付けた物もある(椰子の木)。
坂を利用した二階建ての大きな屋敷だ。少しばかりの坂を上って玄関口に至る。方角的には東南に当たるのかなと思う。
迎え入れられた玄関口は広く、彩色を施された大きな瓶が右に有る。明らかに唐物だ。龍と鳳凰の絵柄に尖った蓋が瓶のてっぺんに有る。
左側には履物を入れる所とて大きな木製の棚が造作されてある。ドロンコは靴を脱ぐと、その棚に置かれて有った物と履き替えた。
「パントフルス(阿蘭陀語、Pantoffels、スリッパ)、どうぞ」
ドロンコが流暢な日本語交じりで言う。迎えに出た若者は私の顔を見て頷く。ニコリとした。案内された部屋の正面に、白い顎髭を蓄えた老人が卓子を前にして椅子に座って居た。(江戸の)長崎屋で見た顔、吉雄殿だ。その右側の椅子に座って先客がいた。
「連れてきました。大槻玄沢殿でーす。本木は居なかった。出島に出勤ね」
ドロンコが少しばかりの身振りを交えて説明する。
「大槻玄沢と申します。江戸の杉田玄白先生の所で学んでいる者です。
此度は阿蘭陀語を学ぶとてこの長崎に来ました。わずかばかりの期間ですが宜しくお願いいたします。
今は西上町の稲部家にお世話になっております」
「ハハハハハ、そんげん(そう)畏まるな。
江戸で紹介ば受けた時に一度お顔ば(を)拝見しとっけん。良う覚えとるたい(覚えています)。
玄白先生も良沢先生も息災かな?」
返ってきた言葉を耳にして少しばかりホッとした。眉毛にも白髪が混じっている。
「はい。元気にしておられます」
「うん。医学医術の方の事は本木殿に任せるとして、阿蘭陀の諸々はおい(私)の所で学ぶが良か(良い)。
明日からでも通えば良か。細かか決まりは若か者に聞いてくれんね」
そう言って出入口近くに立っている、迎えに出た若者(周倫、内通詞)の方を見た。緊張のあまり気づかなかったけど、出入り口はデゥール(阿蘭陀語、Deur―、ドア)と言う物だ。吉雄殿の後ろはグラツィンラァム(阿蘭陀語、Glazenraam、ガラス窓)だ。
「紹介すっけん(紹介しよう)。
こちらに居られる方は(長崎)奉行所の勘定方にある木村宗次郎殿だ。おい(私)の所で阿蘭陀語ば(を)学んでもおる。
役目に用とて無かろうが、同じに学ぶ者として覚えておいた方が良か(良かろう)」
六十(歳)にはなるだろう顔で言う吉雄殿に、はいと返事をして、木村殿に宜しくと頭を下げた。私より年上と見た。
「さて、挨拶はそのくらいにして、今日ぐらいは酒にすうか(酒にしましよう)。
江戸に上った時には其方の先生方に何時もお世話になっとるけん(なっているでな)」
帰りは暮れ半(午後七時)にもなった。千鳥足の私を心配してドロンコが家まで送るとて付いてきた。出島に帰る時刻は大丈夫かと聞けば、門番もクニプーク(阿蘭陀語、Knipoog、ウインク)ねと言い、目くばせをして笑顔を見せる。
酒だけではない。見たことも味わったこともない料理と、かつて一、二度口にしただけの葡萄酒を勧められるままに飲んで酔いが回った。
驚いた二階の座敷だった。彫刻の施された手すりに感心もしたけど、階段を上って見た部屋の広さは二十畳も有っただろう。
天袋も違い棚もある書院風に造作された所も有れば、見たこともない見事な細工が施された障子の入る所も有った。
赤、青、黄色等の色の入ったグラツェンラ―ム(ステンドグラスの窓。阿蘭陀語Glas in lood raam、)も有った。
長押には誰ぞ分からぬ人の肖像画が太目の木枠に入れられて何枚か飾られて有った。その木枠にも彫刻が施されていた。
また、壁の一画に大きな天象図が掛かり、その側からビードロ(ガラス細工)の枠に入った異国の風景や帆船等の絵が何枚も掛けてあった。周囲に置かれてあった家具も本棚(書架)も見事な彫刻が施されていた。
本棚に洋書が並び、家具の上に載る日時計とて金色に輝き立派なものだ。地球儀にもう一つの玉(天球儀)が置かれてあった。見たこともない植物が大きな壺に飾って有った。 床は磨き上げられていた。工藤(平助)殿や(木村)兼葭堂でみた洋間とは全く違う。
また、卓子、椅子、出された食器、フオーク(阿蘭陀語vork、フオーク)、レぺル(阿蘭陀語lepel、スプーン)やコプ(阿蘭陀語kop、コップ)、どれもこれも施された彫刻や彩色に目を奪われた。
見て来たばかりの二階の感想をドロンコに言った。
「耕牛は二十五(歳)で大通詞、ずーっと親分ね」
三、四十年も大通詞をしていると聞いて驚いた。
「唐人の友達も多い、唐人屋敷も見ている、出島で阿蘭陀人の生活を見ている、阿蘭陀屋敷を見ている、唐人、阿蘭陀人が日本に持って来た物に一番接している、当たり前ね」当然だと言う。
「(日本の諸国から)長崎に人が多く来るやろ(来るでしょう)。あの二階ね。部屋を見せれば阿蘭陀の文化、異国の文化解るね」
言葉で言うより、見せて教えているのだと語る。
宴の終わり近くになって、明日からにでもおい(私)の所に通えば良かと再度有難いお言葉を頂いた。それで友達も出来る、唐も阿蘭陀という国も良く分かる。阿蘭陀人の生活も言葉も知る近道だと語った。そして最後に言われた言葉が耳に残る。
「若かと言うとは良かのう(若いと言うのは良いのう)・・・弟子達にも大槻殿にも、これからの世ば(を)背負ってもらわん(ね)ばならぬ」
ウ 名所巡り
二十六日。朝餉の後、今日は家にいるという半蔵殿に前髪を剃ってくれるよう頼んだ。本当に良いのかと聞かれたけど、丸坊主にした方が身が引き締まる。昨日初めて訪ねた家での醜態に反省もあると言ったら、笑いながら酒もほどほどにと言い、首を縦に二、三度振った。飲みつけない葡萄酒の為だったとは言えない。
頭を丸めたところで、約束通り昼四つ(午前十時)丁度にドロンコが迎えに来た。先日に貰った日時計が役立っている。今日一日、ドロンコの案内に任せて長崎見物だ。
「先に諏訪神社ね、そこから近い松ケ森天神(松森天満宮)を見て、寺町の道沿いに興福寺に行って鍛冶屋町の崇福寺に行くよ。
興福寺も崇福寺も唐のお寺ね。行って驚くね。それから籠町の大徳寺ね。
近くにある、遊ぶ、飲む丸山町も寄合町も今日は行かない」
ドロンコは最後に含み笑いをした。江戸でも耳にしている丸山遊郭に私とて興味がないわけがない。
稲部家から諏訪(神社)は近かった。歩きながら今日の道順の凡そを聞いているうちに社が見えてきた。
杉と雑木林に囲まれた階段を上り大門を潜る。砂利が敷かれた大きな庭からまた階段だ。上った先の正面に神明造りと言うのか住吉造りと言うのか社殿が鎮座していた。大きなしめ縄が軒にある。手水舎で手を清め、参拝に回った。
「戦の神様、魔除けね、海の安全を祈る場所、沢山の恵みに感謝する所」
ドロンコが横で言う。そして、自分達もまた無事に日本に来れたことを感謝し、日本を離れる時にまた海の安全を祈る場所だと言う。
階段を下りながら、この諏訪社の秋の大祭がくんちだと言う。今度長崎に来るときは必ず秋ねと言う。江戸に有っても長崎の秋祭り、長崎くんち、龍踊は耳にしているけど、次に来る日があるのかどうか分からない。くんちの意味を問えば、ドロンコは知っていた。
「くんちは九日の事ね。九月九日のお祝いにあるね」
重陽の節句に由来するのだと語る。
松ケ森天神は諏訪神社の裏手になる。直ぐ近くだった。驚いたのは天満宮の軒端を飾る欄間だ。欄間は天満宮をぐるりと外囲いしていて、良く見るとその図柄は職人尽くしになっていた。鍛冶屋職人や菓子職人、船大工等の働いている姿が薄板に彫り込まれてある。珍しくも有り、感心もした。彫りの出来栄えとて良い部類に入るだろう。
興福寺への道々、昨日の事の話にもなった。
「書院風造りに見事な細工の障子、赤、青、黄色等の色の入ったガラス窓、壁や棚に並ぶ異国の珍しい物々、耕牛先生のあの二階の部屋には驚いたよ」
「ワカラン、ワカラン部屋にござる。理解でけん(理解できない)」
そう言ってドロンコは笑った。ワカラン、理解出来ないと言う日本語をドロンコは本当に解っているのかと思いもしたが、続けたワカランの説明に自分の方が本当に解っていなかった。
唐は中華とも言う。華は唐人たちが最も文化の進んだところと自負して使うらしいと言う。その華に日本の和と阿蘭陀の蘭、三文字を合わせれば和華蘭になるのだと語る。その洒落言葉を理解して思わず(私は)笑った。あの阿蘭陀屋敷と噂される部屋が文化融合の一つなのだなと改めて思った。納得した。
天満宮から大川(現、中島川)だと言う川に架かる橋を渡り、八幡町、麴屋町という所を通って興福寺に行った。派手な色合いではないが興福寺の山門も伽藍も朱塗りだ。
「唐の寺の中でも一番古い。キリスト様ダメね。トウジン(唐人)はお利口。お寺を作って自分達はキリスト関係ないと言った」
ドロンコは幕府が耶蘇教徒を弾圧したので自分達は耶蘇教ではなく仏教徒だと、それを示すために唐寺は造られた、興福寺はその中でも一番古いと言いたいらしい。
釈迦堂(大雄宝殿)始め、目にする伽藍の柱、梁などは皆唐物だ。唐の出の工匠の手によるものでなければこうは出来まい。
伽藍から見える境内もかなり広く、置かれてある唐物の石仏が見える。
興福寺から鍛冶屋町の崇福寺に至るまでの間に幾つものお寺が有った。どれもこれも行く道の右手にある風頭山という山の麓になる。寺の町という名の通りだろう。着いた崇福寺もまた赤い門だ。
「竜宮門ね」
「竜宮?」
確かに絵草子で見た浦島太郎の竜宮城だ。真ん中に二つの瓦屋根を持つ門が有り、その右左に一つ屋根の門がある。阿吽の狛犬はその三門の手前に鎮座している。 ドロンコは日本の御伽噺を知っているのだろうか。浦島太郎は知っているのかと少しばかり驚きながら聞いた。
「絵見たね。知ってるよ。赤い三つの門がこのお寺の良い所ね、いかにも唐でしょ」
ドロンコの言う通りだ。この山門を見ただけで見たことも無い唐の国を思う。二つの屋根の間に見える赤い欄干と「聖壽山」の金文字の扁額もまた異国を思わせる。周りの松の緑が一層赤門を引き立てていた。
座禅堂や釈迦堂(大雄宝殿)を見て回ったけど、海の安全を守る媽祖と言う神様も祀られていた。銭儲けの為か故郷を追われてかは知らねども海を渡り、(日本に)来るとて大変なことだったろうと思いが行く。