二十七日。今日は一日かけても(グリーンランド)地誌に載る一角説の部分を筆写せねばと朝早くから机に向かった。

昼近くになって約束通り鍼医者が来てくれた。背中から胃の辺りのツボに打ってもらった。灸も出来るとて、世間話に少しばかり休んで灸もして貰うことにした。

 知らず知らずのうちに疲れもたまったのでしょうとの言葉に頷きもした。お灸の温かさに眠気を覚えた。

 一刻(  いっとき)足らずして玄城殿が帰ると、日野屋藤七殿が来た。長崎には何時頃に向かうのか、船の手配は出来ているのかと心配してくれる。有り難いことだ。

「江戸から(状を出して)頼んでおいた通りに兼葭堂から一角に掛かる本をお借り出来た。今、主(小西長兵衛)に机をお借りしてその筆写と翻訳をしている。それが終わり次第長崎に向かうつもりだが、まだ始めたばかり。これから四、五日は掛かる。

 長崎にはその進み具合によるが、出立は霜月(十一月)も三、四日になるかと思う。主には今朝方そのこと(旨)をお伝えして、改めてお世話を掛けるとご挨拶をした。

 一角の草稿が出来れば、六物(りくぐつ)の刷り上げ発刊を江戸に在る須原屋に託せる。先日、江戸との連絡を取ってくれる山本町の須原屋に、一角の草稿が出来次第連絡すると、(須原屋)太郎(・・)兵衛(・・)殿の父御(ちちご)言伝(ことづて)を頼んできたばかりだ」

「へえ、分かりました。

先生(玄白)にあんじょー(うまく)面倒を見てくれと言われてますさかい、今先の出立と船の手配がめっちゃ(非常に)心配になったよってに・・・。

 その時になったらまたお伺いしまひょ。小西殿に宜しうお願いしておきますー」。

 僅か何日か前の帰省に、藤七殿の語り口はすっかり上方訛りだ。故郷に戻った安心感がそうさせるのだろう。江戸言葉よりも柔らかく心地よい響きがある。ふと、(自分の)田舎の訛り言葉だったらどうなると思って、ニヤリとしてしまった。大阪弁とズーズー弁で事のやり取りを話したら、意味が通じ合うのか?、面白くも思う。

 昼飯を頂いた後、長兵衛殿が堂島の米市場に案内すると言う。朝飯を食いながら昨日の兼葭堂の話をしたのが失敗だった。今日一日、筆写と翻訳に集中したいと思っていたがそれで予定が狂った。折角の御厚意を断れない。

 平野(町)から淀屋橋に向かう途中に兼葭堂を見かけた。しかし、見知らぬ二人の(つれ)と一緒ゆえに声を掛けずに通り過ごした。

 主(長兵衛)は兼葭堂を指して浪花(なにわ)の知の巨人と言われているお方だと語る。毎月十六日には淀橋横町の片山(かたやま)北海(ほっかい)と言う方の居宅、()松館(しょうかん)に集まり、それぞれが持ち寄った詩歌の論評や添削を受ける、兼葭堂は長くその集まりの中心人物で、主も次郎兵衛殿も権兵衛殿も参加しているのだと言う。

 雨月(  うげつ)物語(ものがたり)を世に現わした(せん)枝崎人(しきじん)殿も参加している。かつては片山先生の混沌(こんとん)詩社(ししゃ)で漢学、詩歌を学び広島藩の学問所を作った(らい)(しゅん)(すい)殿(頼山陽、思想家、文人の父)や、佐賀藩の藩校・弘道館で教鞭をとる古賀(こが)精里(せいり)殿なども参加して居たのだと胸を張る。

 剪(  せん)枝崎人(しきじん)の名を聞き返して、書を刊行したときの名で上田(うえだ)(あき)(なり)殿のことと知った。他は初めて聞く名だ。

 米市場は堂島新地と言われる所だった。土佐堀川の北浜の通りに有った市場が往来の邪魔になるとて今の所に移転したのだと言う。米会所だと言う辺り一帯は商業地だ。大小の船が行き交い、積み荷を降ろす人足、小舟に俵を積む人足で賑やかだ。

 主は、ここは元々米商人等を相手にする遊郭が有った所、遊郭は堂島の北の外れの曾根崎川((しじみ)(かわ))の先に移された、そこが曾根崎新地で近松門左(近松門(ちかまつもん)()衛門(えもん))の曾根崎心中の舞台だと語る。 

 市場の喧騒をしばし見学していると、大坂は天下の台所ゆえ天満の青物市場にも百閒堀川の(さぎ)(しま)とかいう所の()喉場(こば)魚市場にも行って見るかと誘われた。しかし、筆写も翻訳もせねばせねばと頭の中にある、遠慮した。

 それでもお(はつ)天神(てんじん)大融寺(たいゆうじ)と回って戻って来た時は暮れ六つ(午後六時)で、足元がすっかり暗くなっていた。

 夜中に遠くで半鐘の音がした。心配ないと家人の言うままに、また机に向かった。

 

 二十八日。朝飯を貰った早々に木村殿から手渡しの便りが来た。夕刻に一献差し上げたい是非に来てほしい、色々と話すことも有れば今晩一晩お泊りいただきたいとある。

 驚いたけど兼葭堂その方に興味が湧いてきていたところだ。壺井屋とある法被(はっぴ)を着た小僧に、暮れ方には必ずお邪魔すると伝えてくれと言伝(ことづて)を頼んだ。

 昼前まで机に向かった。翻訳しながら段々に分かって来たけど、江戸で見た本とそう変りはない。一角は鯨の一種、その牙と言うのか(つの)と言った方が良いのか、それを砕いて煎じ薬とするのだ。解毒、鎮静剤としての効能があると書かれてある。

 全部を訳すのにまだまだ時間が掛かる。少しばかり休んで、先生(玄白)宛に大阪に無事に着いたこと、京で柴野(しばの)栗山(りつざん)先生にお預かりした状を渡したこと、また紹介の有った木村兼葭堂殿にお会いできたこと、何よりここまでの道中、日野屋藤七殿によくお世話いただいたことを認めた。

 また、中川先生宛に、予定の通り兼葭堂から一角に掛かる本をお借り出来た、翻訳を始めた、出来た草稿は出来次第こちらの須原屋に託すと認めた。

 文机を前にして後ろにひっくり返って休んでいると、女中が顔を覗かせた。慌てて起き上がると、お茶をお持ちしたと言う。

それから、先ほどに堺の日野清から主と大槻様宛に鯛や秋刀魚(さんま)(たこ)など季節の鮮魚(さかな)の贈り物が届いた、有り難く収めさせてもらいましたと主の言伝だと言う。小腹の()いたところに大福は良かった。

 

 予定より少し早かったかも知れないが、暮れ六つ前に壺井屋を訪問した。

「どげんしたと(どうでしたか)。お貸しした地誌は役立ちそうでっか?」

「はい、江戸で見た本と内容はそう変りはないのですが、一角は鯨の一種、獣ではないと確信できました。これから丁寧に翻訳していきたいと思います」

「私の頭ではまだまだ翻訳できないところも有りますよって、大槻様の翻訳が楽しみでんなー。

 江戸から阿蘭陀語の翻訳に名の有るお方、しかも解体新書を世に現わした杉田先生(杉田玄白)のお弟子さんが長崎に行かれるーお聞きして、無理を承知の上と覚悟して先生に是非にお寄りしていただけるようお願いしたところでございますー。

 先生には、へえ、藩公のお供で小浜に来られた折りにちょくちょく手前どもの所にお寄りいただいておますー。

 また、吉雄耕牛先生外、長崎のわげ(・・)もん(・・)和解(わげ)、通詞)の方々にもお寄りいただいておりますれば、(わて)(私)も阿蘭陀語、異国の医学、文学、風俗等にぎょーさん(たくさん)関心を抱くようになったところでございますー」

腰を低めて、柔らかい物腰で語る。

「大槻様が一角にご関心があるとかで、中川(淳庵)先生からの状に、持ち合わせの本を大槻様に貸して欲しいとの便りでした。

返って、おーきに(あるがとう)と、嬉しく存じた次第ですー。

 中川先生も小浜にお帰りになった際には、お寄りいただいてますー。

 外に、大槻様の周りの方では、お亡くなりになりはったけど平賀源内先生にもお泊り頂いておりますー」

木村殿のすーすーすーが心地よく聞こえる。私を安心させるために、私の知る周りの人の名を出す。余計な神経を使わせないようにと気配りしていると覚えた。有り難いことだ。

 木村殿は、名は(こう)(きょ)(あざな)()(しゅく)、今年で五十(歳)になると改めて自らを紹介した。それから自分の書斎に酒肴を運ばせた。

 舌鼓を打ちつつ、一角の話から江戸の話しになった。氏は天真楼に集まる人々に関心を寄せた。それが一段落すると、自分の趣味だと語る書画骨董から俳句、詩歌に話が及んだ。聞いていても飽きない。見させていただいて、己もまた縄文や弥生の土器等を集めてみようかと思ったくらいだ。

 氏が去った後、家人に灯火の油を継ぎ足させ、夜も九つ半(午前一時)まで机に向かった。区切りの良いところで床に横になると、翻訳本を自分でも一つは発刊してみたいと語った木村殿が思い出された。

 

 二十九日。顔を見せた木村殿が、よく眠れましたかと言う。朝餉をご一緒しましょうと誘う。朝を告げるのは女中か誰か家人に任せてもよさそうだが、それが木村殿の性格なのだろう。

 食事が終わると、当然の様に書斎に招かれた。今日一日、時を開けております。大槻様さえ良ければ日がな一日お話したいと言う。

 翻訳のこと、長崎出立が何時になるだろうと頭をよぎったが、はい、お付き合いさせていただきます、あれこれお話をお聞きしたいと、頭よりも口の方が先に了解した。

 早目の夕餉をご馳走になるまで実に話があちこちに飛んだ。漢方薬や医学医術に書画骨董などで支那(しな)(中国)から日本に伝わってきた物、(しゃ)()(タイ)から入って来た物、信長(織田信長)の時代にポルトガルから入って来た物、今に阿蘭陀から入って来る物、蝦夷や琉球にこの日本(ひのもと)の諸国諸藩から大坂に集まって来る物に、また耳にするそれぞれの国の風俗習慣や奇談にまでも話が及んだ。

 この国の歴史上の人物に今の世の歌人、俳人、役者、学者に将軍、耳にするお武家様の人物評にもなった。木村殿の博学なことにも交友関係の多いことにも改めて驚かされた。

 主(長兵衛)殿に帰宅したと告げることが出来た時は宵も五つ半(午後九時)にもなっていた。夕餉もまた御馳走になってきたとお伝えした。

 

 三十日。朝から良い天気だけど後一日で神無月(かんなつき)も終わり、明後日には霜月(しもつき)になるのだなと思うと、江戸を通り越して田舎(東奥一関)のことが思われた。

 もう寒さが厳しかろう、母上、妻子(つまこ)は元気で居るだろうか、弟は順調に勉強しているだろうかと気になる。

 それでも今日一日は机に向かわねばと、朝から一角の翻訳に取りかかった。

 昼四つ半(午前十一時)頃になった。少しばかり腹も()いてきた。

「御精が出ますな。仕事の進み具合はどないがな(如何(いかが)かな)?」

(  ふすま)()いたばかりに、長兵衛殿の声だ。

「ええ、なかなかには・・・、でも、解らないわけでもござらねば、もうすぐに(翻訳は)何とかなりましょう」

 振り返ると、微笑みを含んだ顔をしていた。

「もう、かれこれ昼八つ(午後二時)にもなればお腹も空きましょう、少しお休みなはれ。(お休みください)

 いや、実は今日は娘が一歳になるお目出度い日でもござりましてな。

 むかわり故に祝いの膳を用意して御座います。大槻殿にも是非に席を同じにしていただければとて、お誘いに参りました」

 付いて行くと、床の間を背に着飾られた娘子が母親の横に特別に用意された座布団の上できょとんとしていた。集まっているのは親戚縁者だと聞く。

 並ぶ高膳(たかぜん)には焼いた尾頭付きの鯛が乗り、酒までもが用意されていた。

 娘子は何のための宴か分かって居るハズも無かろうが、時折、母親の膝の上に乗ったりして片言でアーとかオーとか声を大きくした。

 足元がまだ覚束ない娘に風呂敷に包んだ一升餅を背負わせる。初めて観る祝いの儀式に少しばかり驚いた。

 一生(一升)食べ物に困らないように、幸せに暮らせるようにと親の願いが込められているとお聞きした。まだ見ぬ、生まれて二月(ふたつき)ばかりになる田舎の陽之助を思い描いた。

 暫し歓談し、咄嗟の和歌を披露した。

 むかわりも 難波(なにわ)の春に名にしあふ 昔を今にさくやこの花

 めでたさよ けふむかわりの祝い酒 飲んで(よわい)ものびる薬や

 出来は兎も角、(あるじ)(長兵衛)殿に感謝の盃を改めて頂いた。それを機会にして座を引かせていただき、戻って翻訳の机に向かった。

 夕方に権兵衛殿から胃に良いとて()(あずさ)の葉が一斤(百六十匁)届けられた。煎じて飲むのが良いと言伝も添えられていた。

 それからまた後に、次郎兵衛殿が来た。お疲れでしょう、疲れをとるには酒が宜しいでしょうと言う。

 その誘惑の方が翻訳仕事に勝ってしまった。主も交えてまた酒席となったが、小西一族皆さんのお心遣いとおもてなしに本当に心から感謝する。