十六日朝。曇空だ。うつらうつらするうちに何時か寝たらしい。吐き気はしない。

夜が明けたらしい、炊事を担当するらしい水夫が、朝飯の用意が出来たと触れ回る。

大丈夫ですかと藤七殿に声を掛けられた。

 甲板に出ると藤七殿の説明に聞き入った。夜のうちに十余里も来たらしい。見える浦々に帆掛け舟、小舟が数多(あまた)留まっている。

「右に見えるのが、二見(ふたみが)(うら)

 大きな岩と小ぶりの岩との間に注連縄(しめなわ)を渡してある。これが江戸にも有名な夫婦岩かと眺めた。

「見事、お見事、これが夫婦岩・・・」

 側で多四郎殿の声が大きい。先に居た旅人達も感心しながら眺めていた。

「夫婦岩は陸から海に向かって見る方が絵になります。

注連縄の間に旭日が海から(のぼ)る景色を見られますからね」

 藤七殿の言葉に誰もがその光景を想像したらしい。ほーとか、おーとか言いながら首を縦にして頷いている。

私は富士山と伊豆の山々を照らしたあの旭日の光景をも思い出した。

「正面に見えるのが(あさ)(まが)(たけ)で、山の上には立派な金剛證寺(こんごうしょうじ)というお寺がございます。

左に見えるのが志摩(しま)の半島。大きく見えるのが(とう)()(じま)、その先、左に少し見えるのが(すが)(しま)

 朝(      あさ)()に登って寺の辺りから一望する半島は青く広がる海原と、春には点々とする緑の島々でそれはそれは見事なものです」

「いやー。山に登らずとも、まずは(おか)に一泊して明日の朝には朝陽を背にした夫婦岩を見に来るべきでしょう」

 多四郎殿の声がまた大きい。天気が良ければ良いが・・と私が言えば、

「いやー、これから行くお伊勢さんに神頼みですよ」

 多四郎殿の興奮が止まない。

 藤七殿に聞けば、注連縄(しめなわ)の長さは凡そ十八間(約三十二、三メートル)、重さ十貫(約三十七、八キロ)にもなると言う。

そして、二見(ふたみが)(うら)は二つあると言う。驚いて聞き返すと、伊勢の二見浦に桜井の二見浦(二見ヶ浦)だと語る。桜井は筑前藩(福岡県)だと言う。 

 伊勢の朝陽の夫婦岩に対して、桜井は陽の沈む夫婦岩でその様も見事なものだと語る。諸国を歩いて薬種を手にしている藤七殿ならではだな、と感心もした。

 説明をしながらも、私の顔色を窺った藤七殿だ。

「何、陸に上がれば元気も出ます。食べる所とて一杯ございます。

無理にこの船で朝餉を済ます必要もございません」

「代わりに私が大槻様の分まで食べますよ」

 横から多四郎殿が口を挟む。

 伊勢の(おか)が見えても暫くの時が経った。船は揺れる。

 やがて大湊(おおみなと)という所に着くと、船主にお礼かたがた暇乞(いとまご)いをして小舟に乗り移った。

景色の良い入り江だ。海の底が見えるほどに水が澄み、魚の泳ぐ様が良く見える。そこここに釣り舟が多く出ている。

 船頭二人に客七人を乗せた小舟はセタ川(勢田川)という川を漕ぎ上るのだから容易な事ではない。大湊にめし処は有ったけど、舟に乗り移るとて朝餉をとる暇がなかった。

 空( す)きっ腹を覚えるのは胃の調子が回復したことの(あかし)だが、途中にも小舟が岸に寄ることは無かった。 

田尻という所を過ぎ、二軒茶屋という所に漕ぎ着いた時には夕刻(午後四時)にもなっていた。

 茶屋名物だという餅は実に美味しい。腹が空いていたというばかりではない。これが宇治茶だと説明する藤七殿の言葉を聞きながら、こし餡を中にしたきな粉餅を四つも食べた。

 暫しの間、休息した。

「そろそろ腰を上げても宜しいかな?。

この先、田舎(いなか)(みち)を二十丁(約半里、二キロ)ばかり歩き、着いた妙見町(みょうけんちょう)(伊勢市尾上町(おのえちょう))が今日の宿になります」

 船旅が丸一日近かった所為(せい)も有る、デコボコした道とて(おか)を歩く方が良いと思いながら藤七殿の声掛けを聞いた。

 

 十七日。朝早くにお伊勢参りに行く人、人で和泉(いずみ)屋の狭い土間は一杯だ。それだけでも気がワクワクしてくる。貴重品だけを背にして三人とも菅笠(すげがさ)(かぶ)った。

 笠は陽除けよりも今は暖を取るための一つだ。何時もより(あわせ)を一枚余計に着こんだ。表に出ると、星も月もまだ空に有る。

今日も良い天気になるらしい。

 ここから内宮(・・)まで四十丁(約一里、四キロ)あると聞いて少しばかり驚いた。もっと近くに泊った方が良かったのではと思った。

 道々、二見ヶ浦の日の出を見ることが出来ないと分かると、多四郎殿がしきりに残念、残念、ここまで来て見れないというのは心残りだと繰り返し言う。

 船から見ただけの夫婦岩が思い出された。

 

 やがて大鳥居に大橋が目に入って来た。藤七殿が、あれが宇治橋だと言う。

目の前にして、大きさなら江戸で見る大橋とて同じと驚かないが、後ろに続く鬱蒼とした森を見ると、お伊勢参りに来たのだとまた気が躍る。

「間もなく日の出でしょう、この辺りが宜しいようで」

 藤七殿の指示で大鳥居を正面に見る位置に立たされた。他のお伊勢参りの人々とて肩を寄せ合って暫し立ったままだ。

周りが段々と薄明るくなってきた。空を見上げる。

「間もなくです、正面を見ていて下さい」

 藤七殿が言う。不意に、おーという驚きの声が周囲から上がった。

大鳥居を枠にして、見える橋と森の向こうに旭日(あさひ)(のぼ)った。

見せたかったのはこれだった。藤七殿が事前に何も言わなかったのが良い。

「これまた見事で・・・」

 多四郎殿はそう言ったきりだ。目の前の森と旭日の織り成す神々しい光景に身が引き締まる思いがする。

 

 歩き出して気づいた。橋のそこここに物乞いが多く居る。驚いた。この時期、着の身着のままでは寒かろうにと思う。

藤七殿が無視されよと言う。投げ銭を一人に遣れば吾も吾にもとなると言う。多四郎殿も頷きながら、横目にした。

 長い橋を渡り、玉砂利の道を行くと時折木漏れ陽が足元を照らす。暫し歩いて藤七殿の言う通りに右手になる川の石畳みに下りた。

「この石畳みは桂昌院殿(五代将軍徳川綱吉の生母)の寄進によるものだそうです」

 川は五十(いす)鈴川(ずがわ)だと言う。対岸の木々までは距離がある。広々としてゆったりと流れている。川底が見えるほどに水は澄んでいた。

「参拝前に手を洗い、口を(すす)ぎ、身を清めましょう」

 水は冷たかった。

 土手を上り、藤七殿を先頭にして鬱蒼とした参道を行く。その先に(こう)大神宮(たいじんぐう)が有った。

(やしろ)(あま)(てらす)大御神(おおみかみ)を祀っております。

朝廷と大御神(おおみかみ)が関り有る神宮と覚え置き下され」

 藤七殿の説明を聞きながら、神代の時から、日本(ひのもと)の始まりからと思うと身が引き締まる。朝が早いのに、すれ違う人の波が何処に行っても途切れなかった。

 

 社の中をあちこち半時(約一時間)ばかりの参拝だった。改めて和泉(いずみ)屋を眺めると、そう大きくもない宿だ。よくもあんなに人が泊まれたものだと、今朝がたの土間を思った。

「もうかれこれ四つ(午前十時)になります。食事が整っているとかで、直ぐに済ませて出立しましょう。

今度は戻ってきません。忘れ物の無いよう仕度して下さい。

これから外宮(・・)を参拝してそのまま松坂を目指します」

 藤七殿の声掛けに、改めて忘れ物が無いか確認した。吾らと同じ道を辿るのだろう、荷物を横にして、同じ朝飯にありつく宿泊客が多く居た。

 

 和泉屋から外宮までは十丁(約一キロ)とて無かった。

参拝を終わったところで藤七殿が、外宮は天照大御神の食事を司る神(御饌(みけ)()(かみ)豊受(とようけ)大神(おおかみ))を祀るところ、それゆえ本来ならば外宮をお参りしてから、朝に先に見た内宮をお参りするのが順序だと言う。

            五 京への道

 山田の町を離れ、宮川という川を渡しで渡る。

着いた小畑(小俣)という所はお伊勢参りの宿場として有名なのだそうで、旅籠や木賃宿を多く目にした。

 誘う引手の女子の言葉に構わずそこを通り過ぎ、明野ケ原(あけのがはら)明浄(みようじょう)ケ茶屋、櫛田(くしだ)の川を越えて松坂に至った。

四里余の道だったけど、右手に見えた伊勢の海は何処も風光明媚で休む度に気晴らしになった。

松坂も宇治山田に劣らぬ都会だと覚える。

 藤七殿が案内したのは、町の中程になる三井が本家だと言う大家(たいか)だった。

「江戸にも京にも大阪にも呉服屋や両替商を構える豪商、三井の発祥の地です」

 軒下から道まで丸に井桁三つ家紋の入った大きな暖簾か出入り口の左右に掛かる。

多四郎殿が、あやかりたいものでと言う。暫し、感心しながら外から見るだけにした。

 

   それから一里(約四キロ)ばかり先に進んで、六軒茶屋の小津屋(おづや)という所に泊ることになった。

藤七殿が、何やら年増の引手女子と暫し話をしていた。

「この先、小さな宿、旅籠ばかりにて、明日には奈良に向かう多四郎殿と行く道が分かれます。

それ故、今宵はこの宿(しゅく)で楽しみましょう。

先ずはお風呂を貰って・・・」

「結構なことですな。流石(さすが)に気が利きますな。

旅の恥はかき捨てとも申しますれば、そのように・・・。

お心配り有難う御座います」

「酒肴はご一緒して、それから先は別々の部屋で・・・。

部屋は幸いに都合つくとて・・・、玄沢殿、宜しいかな・・・」

 最早(  もはや)良いも悪いも無かろう。言葉を飲みこんで、良しなにと応えた。