十三日、今日も天気は良いらしい。旅に難儀なものは雨風だ。広がる青空に何よりも安堵する。まだ(またた)く星が残るが、出立した。

「島田に着くのは五つ(午前九時)頃、そこの何処(どこ)ぞで、川渡りの前に朝飯にしましょう」

  藤七殿の言葉に頷く。江戸でも聞く難所中の難所、大井川の川渡りを思うと、まだ見ぬとて胸が躍る。

「何、この先、瀬戸の立場(休憩所)にソメイイ(・・・・)もございますれば、それを買って歩きながら食べるのも乙なもの。

行儀が悪い如何(どう)のと言いますまい」

   多四郎殿が言う。何のことか私に分かるハズも無い。

しばらく行くと瀬戸川と言う川が有り、その橋の側の休み処で若い娘子(むすめご)ソメイイ(・・・・)はいかがかと行き交う旅人に声を張り上げていた。

「買ってきます。追いつきますから先に行ってて下さい」

   言うが早いか、粗末な小屋掛けに走った多四郎殿だ。

   やがて竹の子の皮包みを両手にして追いついた。まだ暖かい。

「食べなされ」

  言葉どおりに開けてみると、黄色い小判の形をしたおこわ(・・・)だ。

「乾燥させて売っているものだが、朝早いとて出来立てホヤホヤ。

  干(     ほ)し上がっているものとどちらが良いかと聞かれて、出来立てを頼みました」

   蒸したもち米を黄色く染めてある。嗅ぐとクチナシの匂いがする。

クチナシの実は消炎、解熱、利尿等の効果がある。足腰の疲れをとるのに良い。

「良い買い物をしてきましたね。

旅の疲れをとるのがこの黄色く染めているクチナシの実」

   多四郎殿の顔を見て言うと、下がり眉の丸顔が一層大きな笑顔になった。

「ご馳走になる。クチナシの実はサフランと同じ成分を持つ。故に黄色い」

   言いながら、藤七殿が(そめ)(いい)を口にした。

「へっ?。クチナシの実がサフランで・・・」

  分かったようで分からないまま多四郎殿が感心したように頷く。

「サフランはアヤメに属する。

  クチナシの実とは似ても似つかないが、サフランと同じ成分を持っているのだ」

  流石に流石に薬種屋(くすりや)の解説だ。本草家でもある中川先生と親しい間柄を思わせる。

それぞれの思いも口も違ってはいても、三人の足は前に進んでいる。

 

 染(  そめ)(いい)を手にしてから半時(約一時間)。藤枝(ふじえだの)宿(しゅく)に入った。

 まだ六つ半(午前七時)前なハズだが、継ぐ駅は下る(江戸に向かう)にも上る(京に向かう)にも多くの荷物と人馬とで混雑していた。

 街の中程に城への大手口と有る。長い宿場だなと思いながら通り過ぎ、島田ヘ二里八丁の石の道標(しるべ)を見た。側に一本杉だ。

小さな屋根の中に赤い前掛けをしたお地蔵さんが立っていた。旅の無事を祈って、三人がそれぞれに手を合わせた。

島田(しまだの)宿(じゅく)に入ると、直ぐに飯を食えるところを探した。

途中に(そめ)(いい)を口にしたけど歩き出して(およ)そ四里。腹が減ったと実感する。ここも駅は人馬と荷物でごった返している。

こうとなれば飲み喰い処を探すとて苦労は無い。駅の近くに有ったうどん(・・・)、蕎麦、めし、酒肴と欲張った看板を出している処に入った。

 店の中は、川越えする、したとて自分達と同じように旅姿の人、人だ。

「いやー、足止めを食らわずに済んだ、その分美味(うま)い物が食べられる。

長雨に(たた)られて十日(間)も川留めにあったことがある。所持金を使い果たしてえらい目にあったことがあるでの」

「梅雨時や秋の長雨の時に旅をするものでは無いよ」

 他人(  ひと)様の会話を耳にしながら、三人とも焼き魚に飯とした。少しばかりの酒を口にした。

これが江戸より二十三番目の宿(しゅく)島田(しまだの)宿(しゅく)。世に聞く大井川かと妙に興奮する。私の思いは何度か行き来しているお二人とはまた違うのだろう。

 目にする大井川は三瀬(さんせ)だ。こちらが京に上る列で向こうが江戸等に下る列だ。人、人の列が出来ている川瀬で順番を待つ。

三人で計って肩車にすることにしたけど、二日前の雨が人足の駄賃を押し上げていた。一人川札二枚、八十八文を要する。

「お役人様が決めたこととて、川渡りの駄賃は水嵩次第で何処でも基本的に同じでございます」

 札(  ふだ)をもって川会所を出ると多四郎殿が言った。私が会所の中で驚いた顔をしたのを見逃していなかった。

慣れと言う物は恐ろしい。あれほど酒匂(さかわ)(がわ)で今度は蓮台だと思う程に冷や汗が出たと言うのに、また、酒匂川よりも水嵩が出ていると言うのに、褌一つの他人(ひと)様の肩に身を委ねた。 幸い、世に聞く程には大井川に危険を感じなかった。

 

 岸越しに見えた金谷(かなやの)宿(しゅく)に着くと、藤七殿が次の日坂までは山坂が続く、難所も難所と言う。三人とも馬に跨った。

宿場(しゅくば)(はず)れに一里塚があった。江戸へ五十三里、島田へ一里、日坂へ一里二十四町と有る。まだ五十三里かと、京の都までの残りを思った。(残り七十三里)。

そこから金谷を離れて間もなく、急坂の途中で馬子が馬を休めた。

「振り返ってみなされ」

「いやー、凄い、凄い、絶景ですね」

馬子は得意顔だ。私の感嘆に多四郎殿が応えた。

「ここから見る富士と連なる山々。見事なものでしょう。眼下に大井川ですからね。

川の大きさも川瀬の広さもここからなら分かるでしょう」

 川面の所々が陽を浴びてキラキラと光り、その川瀬に人馬の動きが絵の様に見える。また、金谷(かなやの)宿(しゅく)の屋根という屋根、連なる(いらか)は陽に光り輝き、さながら貝殻の如しだ。

「歩いている時は分からない。遠く離れてみて初めて物事が良く分かる。

世の中の何とやらと同じですよ」

 藤七殿の言う(たとえ)が良く分からない。人生の何処ぞでの体験、いや経験則から言っているのだろうが、分からないまま、また馬上の人となった。

 

 坂を上って程なく菊川と言う所に着いた。昼飯には早いとて食べずに通り過ぎたが、菜飯と田楽が名物らしく、それを示す旗が揺れていた。

 馬の背から聞けば、大根の葉を混ぜ込んだ米めしに豆腐の味噌田楽だと馬子が応える。

そこを抜けるとまた急坂で、鬱蒼と茂る林の中は馬でも転げ落ちそうなくらいだ。

ヒヤヒヤしながら通りすぎると、少しばかりのなだらかな地に餅飴を売る店が七、八軒もあるのに驚いた。その右手の先に寺が見える。

 馬子は、ここが小夜(さよ)の中山だと言う。馬に水を遣り、暫し休憩とした。

 多四郎殿が馬子の分まで餅飴を買って来た。水飴を餅に(くる)んだ物だ。疲れをとるにも気分転換にも良い。

だけど、それと裏腹に馬子の語る話は悲哀に満ちていた。

「この先に夜泣き石がある。

見えるあの(きゅう)延寺(えんじ)に安産祈願に上ってきた(わか)(よめ)がこの峠を越える途中に山賊に襲われた。殺された。

だけども、若嫁のお腹の切り口から子が生まれた。

子を抱けぬ母親の魂は傍らの石に乗り移った。それが夜泣き石と言われるものだ。

赤子は泣き声に気づいたお坊様に拾われた。

お乳の代わりに水飴を与え、お坊様は大事に大事にその赤子を育てなさった。

この餅飴を子育て飴というのもそれじゃて。

立派に成長した子供は、その後に事情を知って母親の仇を討ったと伝わっておりますでな」

 母親は臨月だったのだろう。お腹の切り口からではあるまい。ショックの余りではあるが赤子は産道から生まれたのだろう。

日坂は名の通りその後も山坂上へ下への繰り返しだった。馬もさぞ疲れたろう。

 日坂の駅で馬を乗り換えた。掛川までも馬で行くことにした。途中、秋葉山へ通じる街道の入り口という所に銅で出来た鳥居と常夜灯が有った。

 そこの茶店で一休みだ。藤七殿が今夜の宿は袋井(ふくろい)にしましょうと言う。

多四郎殿がニヤリとした。そして言う。

「掛川は上品な宿場。昔からお殿様の教えも有って飯盛り女も遊女も無し。規律の厳しい宿(しゅく)として旅行く人に敬遠されたところ」

「昔のお殿様とは?」

 私が聞いた。

山内一(やまのうちかず)(とよ)の代からとか・・・」

 多四郎殿が笑顔を作りながら、首をかしげながら応えた。

「えっ、では百五十年余も前から・・・」

 私の言葉に藤七殿が黙って頷き、そのことばかりでは無いけどねと言う。顔は笑い顔だ。茶店の前は人馬の乗り継ぎの場所でもある。

「ここから袋井へはまだ凡そ三里(約十二キロ)ある。引き続き馬にするか?」

 藤七殿と多四郎殿は二人乗りにて馬に跨り、私は歩きとした。

(いち)(うま)に二人が乗るのをヤグラ(櫓)と言うのだと初めて知った。一人(ひとり)(いち)(うま)より駄賃が安くて済む。

私は歩く元気もあるけど、やはり懐具合優先で考えた。京都、大阪、その先、船に乗って長崎だ。長崎滞在の費用とてある。まだまだ先がある。

 途中、松並木が長く続いた。袋井(ふくろいの)宿(しゅく)で宿を探し、若松屋を見つけた時には暮れ六つ(午後六時)を過ぎていた。