九 初体験と自戒と
そろそろ申の刻夕七つ(午後四時)になるのだろう。睦月も半ばとなると陽が伸びて周りはまだ明るい。
更科の表通りの戸口は鍵が掛かっていた。まつの手引きで隣の家との間の狭い路地を通って横の戸口から家の中に入った。
二階が住まいになっている、叔父さん達が居るハズだと言う。しかし、階段を上ったけど人の気配はなかった。まつの部屋は奥にある三畳一間だった。
「叔父さん達も何処かに出かけたみたいね。十(歳)に八つの娘だもの、じっとしてはいないよね。
二人を連れて小母さんと何処ぞに行ったのね。
聞いてはいなかったけど、せっかくのお休みの日だものね」
まつは自分で言って自分で納得顔だ。丸めた布団が壁際にある。小さな鏡台がその側にある。横の壁には何時ものまつを知る、縞柄の着物と赤い帯が一緒に掛けられてある。
その側に小さな行李が一つ置かれていた。窓のない部屋だ。入口に立ったまま見渡すのに時間はかからない。
「狭いでしょ、入って」
三畳一間に大人二人が立つといかにも狭い。顔を見合わせるようになった。まつが慌てて自分の懐に手を入れた。
「やっぱり、似合うでしょ」
買って来たばかりの柘植の櫛を髪に挿した。菖蒲の絵のある塗櫛が良く似合う。
だけど、裾からはみ出た白い二の腕が目の前だ。
まつを引き寄せた。驚いた顔をしたけど、胸に入ったまつは目を閉じて顔を上に向けた。
強く抱きしめた。唇を重ねた。ぎこちなく歯が当たる。下半身の分身が反応した。
「愛してる」。一言いうとまた唇を重ねた。まつの胸を通じて温もりを感じる。
着物の上から胸に触ったけど、胸前を割って直に胸に触れた。手のひらに固くも柔らかくもあるふくらみを感じる。固くなった乳首をとらえた。
気を鎮めようとしても無理だ。歩く道々、つい先ほどまでの事を思うとまた勃起する。
戸口での別れの口吸い(接吻)も、敷いたままの紅葉柄の布団も思い出される。
抱かれて涙を見せたまつに、己の行為を止めようとした。まつは首を振った。余計にしがみついてきた。
裸の本当のまつを見ることが出来たのは、それから暫くの時が立ってからだ。髪をなで、頬をなで、軽く口吸いをして、胸のふくらみをまた確認した。
くびれた腰もお尻も柔らかかった。私の帰り仕度に、布団の上に白く浮かび上がったまつの背中が思い出される。
浅草寺の帰り道、まつとの約束通り門前で紅、白粉、小筆などの化粧物と、艶やかな髪飾りに着物を一緒に売る店を覗いた。
まつが欲しかったのは簪や笄ではなく普段の時に髪を飾る櫛だった。
若い売り子の奨める鼈甲や象牙の説明に耳を貸さなかった。もっとも高(高価))すぎて買えるハズも無い。最初から材質は柘植と決め、費用の枠も決めていたらしい。
一緒に聞いていて、櫛の形にも京型とか京丸型とか丸型とかの種類があると知った。説明に売り子の手振りが入り、京型の櫛の角を無くし峰と木口を丸くしたのが京丸型というのだそうだ。
まつが選んだのはその京丸型というもので幅二寸六分、菖蒲の絵が描かれ漆が施された塗櫛と言う物だった。菖蒲の青と葉の緑が鮮やかに浮きあがって見えた。
それから半襟選びだった。売り子が、櫛選びを横に見ていた年増の女に代わった。
小袖の薄桃色地に緑の二つ松葉と小菊の配色を上から下まで繁々とみて、お若いから明るい赤か若草(緑)の無地で十分。よそ様より背丈は有るし、美人ですもの、それでも目立ちますよと言った。
厚みのある草履を履いていたとはいえ、まつは五尺五寸有る私と肩を並べて見える。確かに周りの女子より三、四寸も背丈が有る。まつははにかみながらも嬉しそうな笑顔を売り子に見せた。ホッソリとしていながら手のひらに溢れそうな胸をしている。
和菓子屋にも寄った。叔父さんたちへの土産選びだった。お餅に飽きているわよねと言いながら団子、おはぎ等を避けて手のひらに乗る小さな白梅の花を模した和菓子を選んだ。
見た目にも綺麗で美味しそうに見えた。それも餅で出来ている、中に漉し餡が入っているだろうにと思いながらまつの選択に頷いていた。お代は私が出すよと言ったけど首を横に振った。
それから、もう一度手遊び屋に寄って、福笑いと女出世絵双六というものを買った。これでたみちゃん、はるちゃんと楽しく遊べる、思い出を一杯作れると言った。これで貰ったお年玉は終わり、無くなる。言葉と裏腹に屈託ない笑顔を見せた。
店に時折姿を見せる更科の主の娘が民子と春子という名だと初めてまつに聞いた。
初めての口吸い(接吻に)に唇が今も火照りだす。手のひらにまつの温もりと弾力のある胸の感触が蘇る。興奮が冷めぬまま浅草寺の仲見世のことも、まつのことも思い出しながら屋敷の門を潜った。
自分の部屋に入ろうとして、有坂さんと出会った。
「どうだった、楽しかったか」
「何が楽しかった?」
後ろから甫周先生だ。
「浅草寺にお参りに行ってきました」
有坂さんが、黙って私を見る。
「一人は詰まらんだろう。女子でも連れて行ったか?、由甫が置いて行かれた、出かけたのを知らなかったと言っていたぞ」
それからニヤリとして、因果地蔵にお参りして来たかと聞く。浅草寺の山門と地蔵を思い出した。
「はい」
「何の因果か元節さんに惚れてしまいました。この恋が叶いますように」
唐突に甫周先生が声色を使った。因果地蔵と呼ばれている意味がそれで分かった。だけど、同時に女子連れであることもバレた。
「戻って来たら顔を出すようにと先生が言っていた、一緒に行こう」
有坂さんの言葉に従った。甫周先生はまたニヤリとして、右手を振りながら背を向け玄関口に向かった。
戻って敷居の外に跪き、内に声を掛けた。有坂さんは私の後ろに立ったままだ。
お声があって中に入ると、先生の指し示す座布団に座らせていただいた。温い。先ほどまで甫周先生が座って居たのかなと思った。
「歌舞伎は面白かったか?」
どう答えたら良いのかと、一瞬戸惑った。
「歌舞伎も良い。大道芸を見て回るのも良い。年齢が年齢だもの色んなことに興味を持つのは良いことだ。
されど、世俗のそれに溺れて己を見失ってはならんぞ。室(妻、登恵)の呉れたもので足りたか?」
「・・・・」
何て答えたらいいのだろう。自分の持ち金と奥方様に頂いたお金で有坂さんが忠告してくれた中村座の一番安い桝席をまつの分も確保することは出来た、だけど、他に使うためのお金には足りなかった。
先生はその答えを期待していたのではなかった。
「今まで甫周と話していたところだ。主(源内)の亡くなった家に居られまいて、荒井(庄十郎)殿を築地の甫周殿の所でお世話することになった。
その引っ越しの手伝いに明日は朝から有坂と由甫と其方の三人で行って欲しいのだ。
それから、良沢殿から連絡があった。其方の遊学期間の延長について工藤平助殿が何かとお世話をしているらしいが、その返事はどの様になっている?
其方を預かっている身ゆえ、そうとなれば私からも工藤殿にご挨拶しておかねばなるまい」
平身低頭した。報告していなかった。工藤殿から確かな返事があってからと安易に思っていたのが間違いだった。私は先生の処の書生だ、冷や汗が出てくる。
「私だけではなく甫周や淳庵も荒井殿も、この有坂も長く工藤殿とお付き合いさせていただいておる。良く知っている仲だ。
話は一関藩に関わること、送りだしてくれた建部清庵先生に関わることだ。由甫はどうなる」
頭を更に畳にこすりつけた。
「清庵先生に、改めて二人の遊学期間延長を藩に上訴してくれるよう文を送った。良い返事を期待するしかあるまい」
なお一層のこと頭を畳にこすりつけた。
「この後に工藤殿から何やら得る情報が有れば吾にも教えてくれ。工藤殿にも良沢先生にも何卒良しなにと、お礼を申し上げておかねばなるまい。
親しき中にも礼儀ありじゃて、のう」
先生のお言葉を身の縮む思いで聞いた。
一緒に部屋を辞すると、有坂先生の部屋に寄った。由甫さんを呼んできて明日の出かける時刻、仕度等を三人で確認した。
それが一段落すると、遊学期間の件を由甫さんに話した方が良いのかどうかと迷った。それを察したのか、有坂さんが私に分かるように首を横に振った。そして、源内先生にかかる話しを始めた。
「平秩(東作)殿はご公儀に目をつけられるのを覚悟のうえで先生の亡骸を引き取ってくれた。しかし、そうとても埋葬する寺を用意出来なかった。
それで、助けの手を差し伸べてくれたのが先生と親しかった将軍侍医の身にある千賀道有殿だ。
千賀殿が己の菩提寺でもある橋場(台東区橋場ニ丁目)の総泉寺に先生の亡骸を埋葬した。
今、墓碑を建てるにあたって先生(玄白)が私財を拠出せんとしている。
しかし、罪人の墓碑とは何事だとまだ御上のお許しを得られていない」
語る経過を少し驚きながらに拝聴した。千賀殿の名は越後屋であのエレキテルを初めて体験した時の朽木殿の話に・・と思い浮かべていると、次に続いた話にもっと驚いた。
「世間では今、源内先生は生きている、存命だと噂されている。
老中田沼意次殿が殖産振興の上で、己の政策推進のうえで源内先生を贔屓にしていた。
かつまた己の妾の仮親でもある千賀殿の頼みと有って、当の源内先生を死んだことにして秘かに越後の三条に匿っているとの噂だ。
そのために、田沼殿が牢番の輩から上も下もの数十人に賄賂を握らせた、牢日誌を改ざんさせたとあらぬ噂が出ている。真偽は定かではないが・・・」
私を見る由甫さんも驚きの顔だ。源内先生がお亡くなりになって凡そ一ケ月になる、あの日に仮の仏壇で燈明を上げたのだけは確かだ。
部屋に戻ると、今日一日の事が思い出された。父に教えられた役儀謹慎の事の一節を思い出し、遊興がごときは難く慎むべしと口ずさんだ。
だけど、まつとのことは遊興ではない。人が人を好きになるのは自然の摂理だ。
男が年齢になれば勃起するのは当たり前だ、異性を求めるのは健常なのだと思う。そして、遊学期間延長の話をこそ大いに反省しなければならないなと自戒した。