中村座の前は人が溢れ返っていた。由甫さんと一度この前に来たことが有るけど、その日と比較にならない。人、人、人だ。

考えてみれば、藪入りの今日は丁稚(でっち)手代(てだい)番頭(ばんとう)であろうと女中であろうと職人であろうと雇われている者は休みだし、雇っている方も店を閉めて休みだ。

 いかにもお金に困らなそうな身なりをした男女だ。それが芝居小屋に掛かる役者の看板絵を見上げ、木戸に並ぶ。

浅草寺門前で見たよりももっと身なりを整えた町人、商人、旦那にお侍に派手な模様の振袖、留袖、小紋に髪飾りをしたご婦人だ。

市川(いちかわ)海老蔵(えびぞう)(じょう)」や「尾上菊五郎(おのえきくごろう)(じょう)」と役者の名前が書かれた(のぼり)が芝居小屋の通りに何本も立ち、演目を示す看板と幾つもの(はな)提灯(ちょうちん)が小屋の軒に掛かる。

 屋根の上の四角い櫓は御上に許しを得ている芝居小屋を示すものだと、出かける前に有坂さんにお聞きした。

女連れなら切り落としの席を選ぶな、高いと思っても平土間の桝席(ますせき)を確保しなさい、有坂さんの出がけの忠告だ。

藪の今日のあたりだと、明け六つ(午前六時)に始まる芝居小屋にそもそも入れるかどうか危ういとも言っていた。

 木戸賃の書き出しに目をやって驚いた。立ち見席の切り落としが六十四文に、桝席のうちでも一番安いところなのだろう、切り落としのすぐ上に描かれた平土間(相席)百七十二文とある。

てっぺんは銀十五(もんめ)(一分金、一両(現代の約十万円)の四分の一)だ。更科で食べる蕎麦一杯が十六文。己の顔に血が上るのが分かった。

 まつ(・・)は木戸賃を理解したのだろう、袖を引っ張った。門前の店を見て歩きたい、私に似合う髪飾りを選んでと言った。

 

 戻り道、自分に腹が立った。安易に考えていたのが情けない。同時にこんなに世の中に格差が有って良いのかと、ぶつけどころのない怒りが込み上げてきた。まつ(・・)が私の懐具合を推し測った。

「普段使う櫛を選んでね、この着物の半襟はどんな色が似合うかしら」

最初に来た時よりも嬉しそうに話す。

「二人だけで歩く方が観劇よりも、もっと楽しい」

 浅草寺の仁王門を(くぐ)るとまつ(・・)が笑顔を見せて、お参りしましょうと言った。

「これが因果地蔵よ」

さっきは素通りした。

ここに地蔵があることさえ目に入らなかった、己の怒りが収まりかけていたけど、何の因果か分からずに手を合わせた。

 それから歩き出した。そぞろ歩きとはいかない。肩を触れ合うほどの人混みにまつ(・・)は時折私の袖を握ったり、背中の方に回って羽織の裾を握ったりした。

 店を左右に見るにも人の頭越しになる。こうなったら、ゆっくりと目の前の店を覗くことに決めた。

 最初に見た店はいかにもお土産屋という気がした。浅草海苔、お菓子類に混じって江戸前の煙管(地はり煙管)に何故か数珠(じゅず)が置かれてあり、役者や美人画の絵草紙までもが店に並んでいた。

煙管(きせる)は京や大阪に負けない出来ですよ。旦那様に一ついかがですか」

売り子の言葉にまつ(・・)は嬉しそうな顔を見せた。

 まつ(・・)がしきりに役者絵を見始めると、中村里(なかむらり)(こう)だと言う揚巻(あげまき)姿の役者絵をまつ(・・)に勧める。澤村宗(さわむらそう)十郎(じゅうろう)の白酒売、市川団十郎の助六という絵も並んである。髭の意休(いきゅう)中村(なかむら)仲蔵(なかぞう)と言うのも有る。

 黒髭茫々のいかつい顔だけど、役者に詳しくない私にはどれほどの人気役者なのか見当もつかない。

煙管も役者絵も何も買わずに店を出た。

 

「可愛い、入りましょ」

まつ(・・)の声が先になった。覗いたのが手遊び屋だ。子供向けの店なのは明らかだ。張り子の狛犬が幾つも並び、でんでん太鼓や色も鮮やかな風車が店の中に造られた(わら)(たわら)に何本も差し込んである。

その手前の棚には狐の面やウサギ、タヌキ等の面が幾重にも重ねられてあった。紙を練って型にはめて作られたものだろうけど結構な()が付いている。

 平たい紙の絵に見とれると、まつ(・・)双六(すごろく)の絵だと言う。江戸の名所と言われる所や、東海道五十三次の宿場を(さい)の目の進む所にしてある。

 帰る予定はないけど田舎に在る(しげかた()(弟、幼名は陽助、十三歳)を思って江戸名所絵双六を買った。六十四文もしたのには驚いた。

 (あめ)売りや(つじ)(うらな)いが参道の辻と言う辻に立っている。何処も大人から子供までが人だかりを作っていた。薄汚れて寒そうな袈裟を着た托鉢(たくはつ)坊主(ぼうず)に一、二文の小銭を入れようとして、まつ(・・)に袖を引っ張られた。

「寺社の建立(こんりゅう)修理の寄付集めにはお奉行様(寺社奉行)のお許しが()るの。辻に立つ坊主は物乞いよ。(にせ)坊主。叔父さんに教えてもらった」

構わずに二文、薄汚れた鉢に入れた。

 そこから近くに良い匂いをさせて焼き芋屋が店を出していた。引き札に「栗より(九里四里)うまい十三里(芋)」と有る。振り返ってまつ(・・)を見た。

「お腹がすいたけど、休んで食べられるところの方が良い」

店の並びに目を遣ると、三軒先の左側に蕎麦処、天ぷら飯、と軒に旗をぶら下げた店が他人(ひと)の頭越しに見えた。

並ぶ店の前に行くと、良い匂いは隣の天婦羅屋だ。天婦羅屋の方が気になる。

「このお店のお品書き、どんな蕎麦が有るのか見てみたい、食べてみたい」

まつ(・・)が先に言った。蕎麦屋に入ることにした。

店内は三坪(畳六畳)ほどに四つの卓と椅子が並び、その先が調理場らしい。

壁に貼られた品書きを見ると蕎麦 代十六文、あんかけ 代十六文、あられ 代二十四文、天ぷら代三十二文、花まき 代二十四文、しっぽく代 二十四文、玉子とじ 代三十二文、上酒一合 代四十文と有る。まつ(・・)の店では鴨南蛮 代四十八文も有るなと思い出した。

 まつ( ・・)の所では注文したことも無い、あられ、花まきとは何のことだ、とまつ(・・)に質問した。

あられ(・・・)はかけ蕎麦の上に焼き海苔を敷き青柳(バカガイ)の貝柱を散らしたもの、冬の(あられ)にみえるでしょ。

花まきはかけ蕎麦の上にちぎった焼き海苔を散らばしたもの・・・」

そこまで言うと、まつ(・・)の口調が変わった。活き活きした顔を見せた。

「ねえ、ねえ、如何(どう)思う?、山芋を擦り下ろしたとろろ(・・・)蕎麦、大根を擦り下ろして具にした蕎麦、田舎の餅を入れた蕎麦、(わらび)やゼンマイ、タラの芽を入れた春の山菜の蕎麦、秋に獲れるきのこ(・・・)、銀杏を入れた田舎蕎麦、そんなのが有ったら評判になると思う、きっと人気が出るお蕎麦屋さんになる」

 

 お代を払って店を出た。まつ(・・)美味(おい)しかった、自分の分を払うと言ったが、今日は私で良いのだと言った。ふと、お小遣いを奮発してくれた先生の奥方様が頭に浮かんだ。

 経木(  きょうぎ)の上に載せたおはぎ、黄な粉餅、団子、桃の色をした道明寺を売る店があった。

「何か買うか?、叔父さんへの土産にするか?」

「荷物になるから帰りにね」

次の人だかりのする辻で、背伸びして覗いた。木枠を真っ赤な色に塗った小さな店が出ていた。側に唐辛子、()(げん)(ほり)中島屋の旗が有る。唐辛子屋だと伝えると、まつ(・・)はその人混みを分けるように入って行った。

 少しばかり(あき)れていると、何やら売り子に聞き、話し、戻って来た時には三角に折られた紙が二つ入る紙袋を手にしていた。

「一味と七味の唐辛子を買ってきた。一味は唐辛子だけね。七味は唐辛子と山椒、麻の実、ゴマに私の言う通りに(乾燥させて粉にした)みかんの皮とシソの葉と生姜を混ぜ合わせてくれた」

 薬(  や)(がん)(ぼり)は自分達のような医者と薬師(くすし)の多いところだ。唐辛子が薬の調合と似ていると聞いたことは有るけど、粉薬と同じように三角の紙に包まれているとは思いもしなかった。

 また少し歩いて、横道に誘う、(よう)(きゅう)と書かれた立て看板があった。二重丸の赤絵の真ん中を黒矢が射抜き、千客万来と有る。覗いて見たい気もしたが素通りした。その先に出会茶屋が並んで見えた。

 

 境内はまた人、人、人だ。お参りは済ましているから飴売り屋を覗いたり、音曲のある見世物を見て回る。何処もかしこも人だかりだが、改めて親子連れが結構いるなと思う。 

 大きな獅子頭に続く唐草模様の布の中に四人もの足だ。唐草の(たっつ)()(ばかま)に白足袋、草鞋(わらじ)で足元を固めている。(あで)やかな振袖姿の女子がその獅子頭の前に立って胸前の大きな扇子を左右に打ち振る。

 その近くでは紫の頭巾を被り、(たすき)をした独楽(こま)回しが鮮やかな手技を見せていた。傘の上で回る独楽の回転が速くなると周りは拍手喝采(かっさい)だ。

 少し歩くと、今度は、ああ目出度いな目出度いなの声が先に耳に入って来た。大きなお面に大きな頭巾を被って大黒様の恰好をした男三人が金色の大きな打ち出の小槌を打ち鳴らして踊っていた。側で大江戸大神楽(おおかぐら)(のぼり)を手にした男も大黒様のお面に(たっつ)()(ばかま)だ。 

 次の人だかりからは、オーとか、お見事の掛け声が上がっていた。地面に片膝ついた(たっつ)()(ばかま)の男が先に見えたけど輪の真ん中には猿がいた。首に紐の掛かる猿が演じる軽業(かるわざ)や人の仕草を真似た道化(どうけ)に客の拍手と笑いが起こる。

しばし見とれて、まつ(・・)と一緒に手を叩き、笑った。

 江戸に上る途中に見たガマの油売りの口上と紙を何枚にも切って見せる技も目にした。また、赤色の頭巾と半纏(はんてん)黄格子(きこうし)(たっつ)()(ばかま)姿で南京玉すだれを演じ、目の前に置いたお椀に小銭を集めている。側に「唐人(とうじん)阿蘭陀(おらんだ)南京(なんきん)無双(むそう)(たま)すだれ」と染め抜いた旗を立ててある。境内で阿蘭陀(・・・)の文字を見るとは思わなかった。

「どういう意味?」

「分からない。(から)(中国)から、その先の阿蘭陀(おらんだ)から伝わって来た玉すだれという意味だろう・・」

「へーっ」

「誰も、唐にも阿蘭陀にも行ったことが無い」

「ハハハハ、そうよねー」

そこを離れ、少しばかり人混みが途切れると一通り見て回ったなと思う。

お茶でも飲むかと口にした。茶屋が続いていたけど甘酒あり〼(ます)の旗が軒に揺れる店に入った。