「あの屋敷には椹の厚い板で作られた大きな湯殿がある。江戸市中広と雖もそのような湯殿を二階に持つ屋敷は無かろう。
その湯に浸かった何処ぞの藩候も居るそうじゃ。
湯殿から見える庭の景色は確かに四季折々何時見ても見事だろう」
「あの・・・二階に湯殿ですか?、先生も既にお入りになっている?」
「球卿は桜が好きでの。それを聞き知った諸藩の気の利いた奴らが、あの二階の増築の際にお祝いだと言って桜の木を贈り届けた。
それを二階から見えるように植樹したのだそうだ。また、楓や蔦、ナナカマドなど四季によって葉の色の変わるものを意識して植えたと聞いておる
吾も桜の咲いた頃と神無月(十月)の終わり頃に、二度、湯に浸かわして貰った。
湯は下から手桶で何人かの使用人が運ぶ。分かりきったことで手間ひまが余計にかかる。しかし、球卿は失敗した失敗したと言いながら笑っていた。
何が失敗なものか、桜の木や楓を贈った藩候等に、貴藩からいただいた桜でござる、楓でござると耳打ちし、藩候等は湯に浸かりながら眺め、満足し悦に入る。
そして、その後の酒肴の舌鼓と、呼び寄せた深川芸者や幇間の余興に、後々、見事、見事、大儀であった、満足じゃと、要した費用を上回る返礼が届くのだとか。
球卿はその金子を有難く頂戴して、医者に限らず広く人材を育てるために使っておると申していた。
したたかな金作りのからくりを聞いても、なかなかに真似のできることではない。大した男よ」
「先生の付き添いとはいえ今日私をお呼びいただけたのも、帰り際に、困った時にはいつでも来るが良い、勉学のための資金ならいつでも出すと工藤殿が話されたのも、その人材育成の一つでございましょうか?」
「うん、それよ、それ。確かに奨学金であろう。有り難いことじゃ。
しかし、そればかりと思ってはならんぞ。其方の歳は幾つじゃ」
「この年に二十四(歳)になります」。
「今日は御座らなかったが、一番上の娘御は十八(歳)と申しておったろう。年恰好が丁度、似合いじゃ」
「えっ」
「球卿は、其方を見込んで居るのだろう」
私の顔をギョロリ見る。提灯の明かりが先生の顔を余計に大きく映し出した。
「冗談、冗談、冗談じゃ。ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハ。
持たされた手土産は鯨肉と申しとったの。鯨を知って(い)るか?」
「いえ、聞いたことはございますが、見たことも食べたこともございません。
本当に二十尺もあるのでしょうか。そんな魚がおるのでしょうか?」
「うん、二十尺どころか三、四十尺も有る鯨を捕えたと聞いたこともある。
話は何処までが本当か分からぬが、背中から七、八尺も高く塩を吹くとか言う。
口から飲み込んだ海の水を背中にある穴から吹き出す魚だと聞いた」
「化け物ですね」
「その化け物は、頭から尻尾まで捨てるところはないと聞いておる。
吾もまだ見ておらぬが、研究の材料に大いになる物だと思わんか?」
「研究の?・・・」
「球卿が申していたではないか。蝦夷の何処ぞでもしているらしいが、紀伊の太地に房総の和田、石巻の鮎川がその漁をしておると。
石巻は其方の仙台藩じゃもの、鯨の真実を追究するのに格好の材料を得やすかろう。
吾等は鰹や秋刀魚、今日ご馳走になった鮃も食べるところは身と言っておるが、球卿は鯨の食べるところを肉と申していたな。
それだけでも面白いことだと思わぬか?。
鯨の種類、鯨の食し方に活用の方法、鯨を効率よく捕える方法等は世のため人のためにも研究の対象になろう」
考えさせられるお言葉だ。思わず手に持つ風呂敷包みを見た。どんな味になっているのだろう、歯ごたえはどうなのだろう、いただいた時に見た、鯨の肉が高価な和紙に包まれていたことにも驚いた。
私が一番気にしていた遊学期間延長の話はその後どうなっているのか、源内先生にかかる思い出話と墓の話に、玄白先生の今の様子、近頃話題になっている世間話に口を挟むことは出来なかった。
しかし、流石に工藤殿だ。玄関口で先生と私が帰りの足元を拵えると、手土産を持たせながら私の心を見透かしたように、この月の終わり若しくは来月早々には遊学期間の沙汰が有ろう、心配するな、とお話をいただいた。
それを信じるしかない。
八 浅草寺参り
薄桃色地に二つ松葉と鮮やかな赤、黄、白に桃色の小菊のある小袖に身を包んだまつをしげしげと見た。落ち着いた青色の帯も良く似合う。模様の無い茶色の縞柄の木綿に赤色の帯と襷をしている何時ものまつとは違っていた。
更科を出ると、どう?、似合うかしら、と少しばかり姿を作り、叔父さんが着物を新しく作ってくれた、小遣いを呉れたと言う。
蕎麦屋の主が、まつの叔父に当たる人だと初めて聞くことだった。
藪入りだと言っても、遠く離れた親元には帰れない。今日は何処ぞの神社でもお寺でもお参りに行って来るが良い、と送り出してくれたと言う。
勿論、今日は元節さんと一日一緒だと言って安心させて来たと言う。語る笑顔が何時もより可愛い。唇が何時もより少しばかり赤い。梅の花をあしらった髪飾りが良く似合う。
歩き出すと、かすかにまつの化粧の匂いがした。横に見て、まつの胸はこんなに大きかったかなと余計なことを考えた。そして、自分自身が前を見て胸を張った。
江戸に来て、初めての女子連れが嬉しくも有る。
まつに内緒で秘かに芝居見物を当てにしている。前に更科に行った時、まつが百千鳥娘道成寺を演じたという二代目瀬川菊之丞の役者絵を見せてくれた。
お客さんに貰った、もうこの役者さんは死んでしまったんだって、可哀想、でも綺麗でしょ、と大いに喜んでいた。
芝居小屋の掛かるところに行ったことは有るけど、中に入ったことは無い。歌舞伎は見たことも無い。己もそうだけど、まつはいつか見てみたいと言っていた。
まつの絵にこれが二代目瀬川菊之丞かと少し驚いたけど、
甫周先生にお聞きした源内先生の男色(同性愛)の相手だったとは口が裂けても言えない。
今は三代目瀬川菊之丞が人気を博していると聞いた。
芝居小屋と言えば猿若座堺町(台東区浅草六丁目辺り)の中村座に、葺屋町(中央区日本橋人形町三丁目辺り)の市村座、木挽町(中央区銀座六丁目辺り)の森田座の三座だとこの一年余に知った。由甫さんと一緒に小屋の掛かる前を通ったことも見たことも有るけど、どの芝居小屋にも入ったことは無い。
三座の表通りは何時も賑やかで艶やか着飾った人の往来も激しいが、その裏で、経営が厳しいとか興行権が他に移るとか各座にかかる良からぬ噂も耳にする。
まつと一緒に居たい長く歩きたいと考えて、私の所からもまつの所からも一番遠くにある中村座に行くと決めた。その後に浅草寺に寄ろうと誘った。
まつは浅草寺をお参りできるし、門前に出ている茶屋や蕎麦屋に土産屋を覗いてみたいと喜んだ。私はまだ足を踏み入れたことも無い浅草寺門前の裏手にある出会茶屋(現代のラブホテル)を想像していた。
途中になる浅草寺前までは四半時(三十分)と掛からなかった。まつは健脚の部類だなと思う。そのことを口にすると、山育ちだものとケラケラ笑う。
睦月(一月)も半ばだけど門前を行き交う人の多さに改めて驚いた。何方も身はまだ正月を思わせる装いだ。若い女子は田舎では見たことも無い派手な模様の着物に髪型に髪飾りだ。
「ねえ、ねえ、やっぱり浅草寺に寄ろう。少しばかり寄ろう」
まつの誘いを断れなかった。着飾って往来する人々を見ていて、自分もその中に入りたいという気がした。
境内で焚かれていたお線香の煙で身体を清め、まつと並んで一緒に金龍山浅草寺にお参りした。
右に見える五重塔を見上げながら、何を願った、何をお願いしたと聞きながら本堂の階段を下りた。まつは何も答えずにお札を売る場所に小走りになった。
「大当たり。良かった、良かった。大吉よ」
御籤を引いて大当たりと言うのか?と疑問がわいた。まつは笑顔を見せる。それから読むのに夢中だ。まつは字が読めるのだと初めて知った。
門前は菓子や土産の物に玩具の類を売る店が多い。あちこちに人の固まりが出来ている。
まだ巳の刻、昼四つ(午前十時)を過ぎたばかりなハズだ。朝が早かったとはいえ昼飯には早い。芝居小屋の方が気になる。まつの袖を引っ張った。
「店を見るより、先に中村座に行こう、芝居見物をしよう」
まつは首を横に振った。
「ゆっくりと見て歩きたい、折角来たのだもの、お買い物をしたい」
「先に買い物をすると手荷物が増えるだけだよ。(土産は)後の方が良い。芝居が終わった後にまた寄れば良い。時間は有るよ」
浮かない顔をしたまつだけど、それでも納得したみたいだ。