有坂先生のお話からして、声を掛けて来た昨日の老人はきっと良沢先生なのだろう。しかし、目の前のご婦人の言葉にまた戸惑った。

「先生は在宅しております。されど体調がすぐれず、今日の所はお引き取り願いたいとの言伝(ことづて)で御座います」

着物の柄は替わっているけど、申し訳なさそうな顔をするのは昨日と同じだ。

「ご在宅と言うことですね。何とかお会いできないでしょうか」

「病は簡単に治るものではございませんでしょ。

 今日も中川先生の書簡をお持ちになっているかと存じますので、それをお預かりいたしましょう」

「いや、昨日も申したように、状は必ず先生に手渡すようにと言付(ことづ)かっておる。

 また、先生のご返事も是非にいただきたいのだ」

「それはまた困りましたね、如何(いかが)致しましょうか」

「ご在宅が確かな故、お加減が良くなるまでしばしここでお待ちしたいが宜しいか」

( やまい)は簡単には・・・・」

と言って、後に続く言葉を飲み込み、口を閉じた。

 周りが暗くなり始めてからも一刻(約二時間)は経つ。腹時計からももう(とり)の刻(午後七時)を過ぎたろう。

帰りの街の灯も段々に落ち、歩く人とて無くなれば野良犬に吠えられる。目明かしに怪しまれるだけだ。腰を上げざるを得ない。

 先生は勿論、引き下がったご婦人の姿も二度と見ることはなかった。式台が冷たく感じるようになってきた。

 

(参考図ー、A,日本橋浜町(杉田玄白の住居、天真楼の有った所)。B,鉄砲洲(前野良沢の住居の有った所)。C,日本橋本石町(カピタンの江戸参府の折の宿泊所、長崎屋の有った所)

               十 朽木(くつき)(まさ)(つな)

流石(さすが)(にぎ)やかですね。いや、出入りする人の姿かたちは今の世の先を行くものなのでしょうか。女子(おなご)の髪の結い方も(かんざし)も 気を引きますね。

 男も女も身なりの立派なこと。大店(おおたな)の前は何処もこの賑わいですね」

 由甫さんの目が驚きをもってきょろきょろする。私とて同様なのだが、あちこちの方角を確かめた。顔を知っているとはいえ楼(天真楼)で一言二言の言葉を交わしただけの朽木殿だ。

 有坂先生に目の前の四方のどの道を通って来るのか聞いていなかった。また、お供連れで来るのか、普段一人で行動しているのかも聞いていなかった。

 良沢先生の門下生だ、元節も机を一緒にする日が有るかもしれないね、長崎屋に来る阿蘭陀商館長等とも交遊の有るお方だ、いずれ一藩(いっぱん)のお殿様になる方だとお聞きして、近頃は朽木殿に畏敬の念を抱くと同時に今後親しくお付き合いさせていただかねばと勝手に決めている。

 あの後の日にも三度良沢先生を訪ねたけど、病を理由に門前払いだ。何とか会う方法を、会うための手立てについて朽木殿にご意見をいただければとも思う。

 (ひつじ)の刻八つになるだろう、越後屋の中から羽織袴姿に(こしら)えた十五、六人程が出て来て(たな)の前の大通りに並んだ。かと思うと、後からゆっくりとした歩様で出て来た中肉中背の上品な顔立ちの男が左右に分かれたその真ん中に立った。

 井桁(   いげた)に三の字の屋号紋の羽織に袴姿で身なりを整えている。由甫さんも私も初めて見る光景だ。たちまち自分達の周りにも二重三重に野次馬が出来た。

「あれが越後屋の今の(あるじ)だ」

声のする方を見ると、朽木殿が何時の間にか側に立っていた。慌てて由甫さんの袖を引っ張り、ご挨拶をした。

「左右に立つのは普段は腰から下に前掛けをしているはずの番頭達だ。

 大槻殿に建部殿だったね」

 二人に殿(どの)付きだ。脇差を腰にしたお侍二人がその後ろで深く頷いている。朽木殿の身辺を守るために同行して来たらしい。

 間もなく左の方角から来た黒塗りの駕籠が越後屋の前で止まった。他人(ひと)の肩越しに見る担ぎ棒の真ん中には七曜(しちよう)(もん)が入っている。

 紫の御高祖(おこそ)頭巾(ずきん)で髪と顔を隠した御婦人が降り立った。御主人を守るように供連れの腰元四人が寄り添った。

「今日のこわごわ会の主賓(しゅひん)だね。老中田沼(たぬま)(おき)(つぐ)殿の愛妾(あいしょう)で神田橋のお部屋様と呼ばれているお方だ。源内先生の友人、千賀道有殿があのご婦人の仮親(かりおや)だ、

 千賀殿は囚獄医(しゅうごくい)の身から将軍侍医(じい)にまで出世した。玄白先生と同じ浜町に二千坪も有る豪勢な屋敷に住んでいる」

私も由甫さんも驚きながら、越後屋に入っていくご婦人達の後ろ姿を見送った。

「さて、我々も参ろう」

朽木殿の誘いの言葉があったが、自分が何か場違いの所に行くような気がした。

 案内された奥座敷は四十畳は有る。一間ばかりの床の間を前にして座布団が三枚置かれ空席のままだ。そこに主賓が座るのだろうと想像した。

 案内された席はそこから弧を描いて左に、測量で言うところの九十度と言うのだろうか。床の間に近い方に朽木殿が座り、その左側に私と由甫さんが並んで座った。目を先に遣ると、襖を外して更に二十畳ほどの部屋が開け放たれているのだと気づいた。

 凡そ六十畳ほどに座布団が輪に七、八十枚置かれたのだろうか。既に着席している参加者は七三の割合で男の方が多い。左側の開け放たれた障子の間からは通って来たばかりの幅広の廊下が見え、その先は中庭だ。

松の木や楓の木が茂る中に石燈籠と築山(つきやま)と池の半分が見える。池には太鼓橋が架かり、その下を泳いでいた鯉の姿が今はここからは見えない。

 座ったまま源内先生とエレキテルなる物を探したけど、その姿形(すがたかたち)を見ることが出来ない。朽木殿は自分の座る位置から右隣の三人先に座る小太りの商人風の男を指さし、それからその男の側から出ている何やら紐のようなものを指さした。

「源内先生はおそらく隣の部屋だ、そこにエレキテルが置かれている」

私にそっと耳打ちする。紐のようなものは畳の上を這うようにして朽木殿や私の後ろの方に伸び、少しばかり開いている襖の間から隣の部屋に続いていた。

「あの小太りの男がまずは真っ先にエレキテルの餌食になる」

越後屋の(あるじ)が先に立って二十畳ほどの続きの間の方から入って来た。

後ろに化粧したご婦人二人が続く。あの御高祖頭巾を外した神田橋のお部屋様と腰元のうちの一人なのだろう。床の間を後ろにお部屋様が真ん中の座布団に着座すると、左側に越後屋の(あるじ)、右側に腰元が席をとった。

見る横顔に二人とも色の白い(ひと)だと思う。お部屋様にかかる越後屋の(あるじ)の紹介は何も無い。

「まだ残暑の残る中、また御忙しい中を今日、この日のエレキテル体験会に皆様ご参集いただき誠にありがとうございます。

 また、日頃から私ども越後屋の呉服、その他の品々をご愛顧賜り、この席をお借り致しまして重ね重ね御礼(おんれい)を申し上げます。

 我(  われ)らが平賀源内先生の手によるエレキテルが世に紹介されてかれこれ二年になりましょうか。エレキテルは(すこ)やかな身体を維持させるもの、皆様にとっても私目(わたくしめ)にとっても大切なものと思っております。

 今日のこの席で七回目の体験会開催を数えております。今、世間ではあれこれ噂し、こわごわ会と言っているように聞き及んでおりますが、体験したことも無い方々の下世話な話でございます。

 私目がくどくど申すようなことではございません。何度か体験させていただきまして、火をとりて病を癒す器、その効果たるや、お陰様を持ちまして五十近い私目は今もって何の病一つ抱えておりません。

 今日も、初めてご連絡申し上げさせていただきました方々を始め、皆様誰一人として欠くことなくお揃いでございます。源内先生の方も隣の部屋に準備が整ってございます。 

それでは皆様、両の手をお隣の方々と握りあって下さい。いかようにも構いませんが握り合った手が(ほど)けないようにお願いいたします。解ければエレキテルの効果も半減いたします。

 今日のこの場限りはお隣が男とて女とて恥ずかしがる必要はございません。知らぬお方の手を握ることが赦される絶好の機会でございます」

輪になっている間から少しばかりの笑い声が漏れ聞こえた。肝心の源内先生の姿形(すがたかたち)の紹介はなかった。

「皆様、整いましたでしょうか。それでは早速に平賀源内先生の発明されたエレキテルをご賞味あれ、早速にご体験下され」

 最後の言葉は参加者の気持ちを盛り上げるように一段と高い言い方だ。それが隣りの部屋に詰めるであろう源内先生への合図でもあった。

 場が静まったかと思うと、一瞬だ。ビビット来て一斉にワッと声を出す老若男女だった。私も由甫さんも朽木殿も驚きと共に隣の人の手を離し、その両手を胸の前に投げ出した。 

 座を飛び上った者もいる。神田橋様も腰元も同じだ。皆がただ驚き、口々に驚いた、ビビッと来た、今のは何だったのか。姿が見えなかった。誰かが身体を(つね)った、叩いた、いやビリビリとした。いや音はしなかった。今のは何だと座は大騒ぎだ。

 真っ先にエレキテルの餌食になったのはあの小太り男どころではなかった。

 

[付記] 大槻元幹(玄沢の長男)の記した「先考行実」の中に、前野良沢に蘭学勉強の入門の許可を得るため玄沢が訪問したのが「五,六度に及べば病を称して遇(あ)うことを得ず」と有ります。