静かな声が掛かった。尻ぱしょりに草取り用なのだろう、小さな鎌を左手にして足元をしっかりと草鞋履きに固めた老人だ。少し土の付いた手ぬぐいを両肩に回している。今までの作業を思わせるように着物の脇と胸前に汗が滲んでいた。
「前野良沢先生にお会いしたくて来た。先生は御在宅か?」
「ご用件は何でございましょうか」
「小浜藩、藩医、中川淳庵先生の状(手紙)をお持ちした」
「先生は今お出かけにございます。よろしければそれをお預かりいたしましょう」
書簡は私にとって宝物だ。素性も知らぬ老人に渡すわけにはいかない。
「この屋敷と其方とはどのような関係なのか・・・」
「先生の身の回りをお世話させていただいております」
「さすれば先生の凡その帰宅時間を聞いておろう。何時頃に帰宅する予定なのか?」
街並みや景色を見ながらとはいえ、ここまで来るのに凡そ半刻を要した。また何時でも容易に(天真)楼を抜け出してくるわけにはいかない。
「暮れ六つにはお帰りになるでしょう」
その言葉を信じた。楼を出た時刻からしてもう申の刻を過ぎたハズ、後、半刻(約一時間)もすれば帰宅するだろうと計算した。
「ここで待たしてもらってよいか」
玄関口の式台を指さした。座らしてもらって待とうと考えた。何が何でも今日にお会いして弟子入りの許しを得ねば、阿蘭陀語を学ぶ機会を得ねばとそれだけが頭の中に有る。
老人が去り、それから少ししてお辞儀をしながら目の前を横に通り過ぎるご婦人だった。
暫くして、そのご婦人が私の手元にお茶を運んできた時は驚いた。
しかし、本当に驚いたのもがっかりしたのも、その後に続いた言葉だった。
「先生に御用がってお越しになったとお聞きしましたが、先生は往診した先様のご厚意に甘えて今夜は帰らないそうにございます」
「えっ」
先の老人の言葉は何だったんだと思いながら、ご婦人に先生とどういう関係にあるのかと問いただそうかと思案した。だけど、先に言葉を投げられた。
「先生に宛てた小浜藩、中川淳庵先生の状をお持ちしたと聞いております。宜しければそれをお預かりしたいと存じますが、如何致しましょう」
逡巡した。単に中川先生の状をお預かりしたのであれば、目の前のご婦人によろしく頼むと預けても良い。しかし、書簡の中味は己の弟子入りの紹介だ。次の機会に確実に先生に渡した方が良い、同時に顔見せして、ご挨拶した方が良いに決まっている。口に出た言葉は自分でも意外だった。
「書簡は必ず先生に届けるように、見届けるようにと言付かっておる。故に、明日、日を改めてお伺いする。
明日は先生は御在宅の予定か?。お戻りになると思って宜しいか?」
後段は詰めよるような言い方になってしまった。
「明日の朝にはこの屋敷の手伝いの者が先様にお迎えに上がります。
お戻りになりましたならば、余程のことが無い限り、昼過ぎには在宅するようにと先生にお伝えしておきましょう」
申し訳なさそうな顔に見える。それ以上に追及しても仕方なかろう。時刻を決めた方が良い。そう思って明日は申の刻、夕七つ(午後四時)にお伺いする。先生によろしくお伝え下さいと言った。
日が暮れるのは日一日と早くなっている。九月の暮れ六つともなると周りは薄暗い。
来るときには気づかなかったのに、灯りの入った軒先の提灯が旅籠屋だ、居酒屋だ、蕎麦屋だとその所在を伝えていた。道々、それを眺めながらも半分は気落ちしたままだ。
道端に虫の声を聞きながら、初めて見る大きな武家屋敷や八丁堀の北町奉行所の大きな看板と屋敷塀の長さにも驚いた。田舎で見られる光景ではない。
やがて浜町の知った軒々を目にして住まいが近くになると、有坂先生に如何報告しようかとそればかりが気になった。
翌朝、朝餉に顔を合わせた有坂先生が、声を掛けて来た。
「昨日、中津屋敷で会った老人はどんな顔をしていた?、童顔の顔ではなかったか?
其方が帰った後に、昨夜よくよく考えてみた。何、良沢先生は居留守を使ったのだろう。其方が有ったという老人は先生自身ではなかったのか?」
返事に戸惑っていると、有坂先生の言葉が続いた。
「先生らしいね。解体新書が世に出てからというもの、弟子入りを願い出る者が押しかけていると聞いている。
其方を見てその一人と思ったのかも知れない。おそらく庭に植えてある薬草の手入れでもしていたのだろう」
「えっ」
確かに自分は弟子入りを願い出る者だ。その一人だ。そう思いながら有坂先生の顔を見つめた。
「中川先生の書簡と伝えてもそのような対応に出たとあれば、先生のお許しを得るのはなかなかに容易ではない。辛抱強く何度でも訪ねることだ」
向かい合う何時もの席で由甫さんは黙って箸を進めている。耳は有坂さんと私の会話に集中しているだろう。
「もうお食事は済んだのですか。お行儀よくできましたか?」
給仕を務めるさゑさんの言葉に振り向くと、さゑさんの目の前に玄白先生のお子さんが二人並んで立っていた。
「はい、済みました」
こくりと顎を引いて応える五歳になる長子と、闊達に動き回る年子の長女、扇さんだ。
「こちらはまだお食事中ですよ。皆さんのお出かけにはもう少し間がありますね」
さゑさんがやさしく語りかける。
「はい」
そう返事をしながら、扇さんが由甫さんの側で食卓を覗き込む。良く食べてますね、としたり顔で言う。何時もおしゃまな扇さんだ。
ホッソリした長子は後でお見送りしますとさゑさんに言い、扇、まいりましょうと声を掛けた。少しばかりの間姿を見せた二人だけど、重くなりそうだった私の気を紛らせた。
有坂先生が言うように、お会いした老人は白髪が混じりで皺も有ったけど確かに童顔だったように思う。
「今日も申の刻、夕七つから七つ半前(午後四時から五時の間)に訪ねることにしてあります。お会いできるかどうかはともかく、とにかく楼を抜け出ねばなりません。
皆さんにまたご迷惑をおかけするようになります。玄白先生にそのように申し出ざるをえません」
「私からも状況を話しておくよ。先ずは会えることを祈る。良沢先生が承諾下さればなお良いが・・・。うん、話が変わるけど、源内先生が近く日本橋越後屋の奥座敷をお借りして「こわごわ会」を開くそうだ。
良い機会だから元節も由甫もエレキテルがどんなものか、見て、体験してみるが良い」
そう言いながら笑顔を作った。
「本当ですか、それは面白い。是非に体験したいものです。
越後屋はいつも表から眺めるばかりでしたので、中を覗けるとあればそれだけでも興味がわきます」
先に由甫さんの言葉だ。私も了解して言った。
「エレキテル。聞くだけで実物を見て居ないし、またそれがどのようなものか知らない。
他人が言うように本当に身体に良いものなのか、疲れが取れると言うのは本当なのか、是非に体験してみたいです」
「九月二十五日、未の刻、昼八つ(午後二時)から越後屋に参集し、申の刻(午後四時)までには終わると聞いているが、そんなに時を要しないハズだ。
源内先生には三人が参加すると伝えておくよ」
「ご一緒してくれるのですか?」
「いや、私ではない。左門様だ。塾で見かけたことも有ると思うが、朽木昌綱殿だ。
何度も聞いてはいるけどまだ身をもってエレキテルを体験していないと左門様だ。その機会を得ることを期待していた」
「あっ、玄白先生の一等最初の講義が終わった後に、由甫さんに建部清庵先生と一緒の苗字だが関係があるのかと聞いて来た人。私は朽木と申すと名乗り出た人だ」
「顔は知っているのだね。それなら安心だ。時を決めておいて、二人が左門様と越後屋の前で待ち合わせることにしてもよさそうだね。
左門様は源内先生とも何度か顔を合わせて知っている仲だから、こわごわ会参加の席の確保は容易なことだと思う。
左門様は、解体新書に感化されて医術のことも知りたいと二年前に天真楼の門を叩いた。知り合って日は浅いが、阿蘭陀語は二十三、四(歳)の頃から既に良沢先生に学んでいたとかで、医術の専門用語に戸惑いながらも新入りの塾生の中で最初から阿蘭陀語は達者だった。
いずれは丹波福知山(兵庫県)の藩主になるお方だ。昨年の三月には将軍様(幕府十代将軍、徳川家治)に拝謁したと聞いている。年齢は確か甫周先生と同じだ。
永年良沢先生に阿蘭陀語を学んでいるお方ゆえ、良沢先生のことを何かと聞き置くのも弟子入りに役立つと思う。
そうか、そうか、これ幸いだね。朽木殿と何か御縁が有るのかも知れないね」
有坂先生は閉める言葉を自分で言い、一人で頷いた。