旅籠を出立した七つ(寅の刻、午前四時過ぎ)の時から薄曇りの空だ。雨は落ちてこない。腹ごしらえもして(うま)(こく)も半ば(正午)になる。目の前の利根川は北上川と同じように川幅が大きい。ここ数日の好天に恵まれて穏やかに流れている。

 中田の渡し場の小屋の一隅に対岸の栗橋まで駄賃が一人八〇文と有った。一人とは何歳の子供赤子まで言うのだろうかと余計なことを考えた。

 船頭の手引きで渡し舟に乗ったものの、左右に流れる川面を見ていると恐怖を覚えた。泳ぎが得意ではない。もっと泳げるように少年の頃に何で練習しておかなかったのだろと後悔の念が少し湧いた。

 見ると由甫さんも緊張の色が顔に出ている。いや、乗り合わせたお侍も商人も婦人も子供も声を出すものは居なかった。時折吹く風が舟を揺らす。

 川の中程からは対岸に見える栗橋(くりはの)宿(しゅく)の渡し場の小屋にただただ目を遣ることにした。

 

 房(  ほう)川渡(せんのわた)し(利根川)も関所も何事もなく無事に通過した。ホッとすると名物粟餅の小旗が軒先に揺れている茶店が目に付いた。

「ここから幸手(さっての)宿(しゅく)まで凡そ二里。(さる)(こく)(午後五時)のうちには旅籠に入れんべ(入れますね)」

明後日(あさって)には江戸だ、ワクワクするね」

二人とも笑顔が出た。注文した粟餅とお茶で元気を貰った気がした。

 栗橋宿から幸手に至る街道筋は松並木が連続していた。その松並木の間々から権現堂(ごんげんどう)(がわ)と言う川を左手に見ながら進んだ。時折、荷を運ぶ船が見える。

「北上川を行き交う船よりも数が多いす(し)、大きいね」

「江戸に行くんだべ(行くのだろう)。あの荷が江戸に着くのと俺達が江戸に着くのとどっちが早いべ(早いだろう)」

江戸入りを(はや)る気持ちが言葉に出た。

 幸手宿に着くと、権現堂川の河岸に船を見ながら(はた)()を探した。

「ええ、()いています」

 日光参りの季節にはまだ早いと言う話を聞きながら、明日の朝の出立の予定を伝えた。

 夕飯前に一風呂浴びようと由甫さんを誘った。手引き女子が言ったように泊り客が少ないのだろう、大きな風呂場に先客は三人だった。それでも湯に入ると日光街道との合流点らしく東照宮詣で帰りの話が耳に入って来た。

 陽明門の飾りつけ、彫り物は聞いていたよりも立派だった、大したもんだ、驚いたと言い、見ざる言わざる聞かざるの三匹の猿や眠り猫の彫り物を本物みたいだったと言い、柏手を打ったら本当に天井に描かれた龍が吼えたと言う。

「行きたかったですよね」

由甫さんが言う。その言葉を聞くまでもなく、何時か必ず行って見なければと思った。

露天風呂の湯に、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。

「利根川を無事に渡れてよかったですよね。この雨も朝までに止むと良いけど」

「うん」

返事をしながら、渡し舟に乗った時の中田(なかたの)宿(しゅく)の渡し場が思い出された。

「良い天気になることを祈んべ(祈ろう)」

由甫さんを洗い場に誘った。お互いの背中を洗いっこした。父上に背中を流してもらったなと小さい頃を思い出した。

 

 昨夜の雨は凄かった。時折、雨戸の外はピカッと光っていた。寝床で春を告げる雷だと思いながら、利根川越えが無事だったことを改めて良かったと思った。

 見上げる空は嘘のように晴れ渡っている。間もなく辰の刻(午前八時)になる。遅い出立だけど、それでも予定通り(とり)の刻(午後六時)前には草加(そうか)宿(のしゅく)に入ろうと二人で先の到着時刻を確認した。

 一つ手前の(こし)()(やの)宿(しゅく)の方が大きな宿場だ。だけど関藩(一関藩)が参勤交代の時に常泊しているのは草加(そうかの)宿(しゅく)だ。草加を選んだ方がかえって安心だろう。

 また、草加宿なら日本橋まで残り凡そ四里、その日の疲れを余り感じないうちに江戸に着く。何が有っても関藩の中屋敷のある愛宕下に陽の明るいうちに到着するだろう。旅程計画書作成の時の亮策さんの説明を思い出しながら草加宿を目指した。

杉戸(すぎと)粕壁(かすかべの)宿(しゅく)を通り越した。もう少しで越ケ谷宿という川沿いに鰻、鮎、川魚と板に書いた茶店があった。

「良い匂い。まだ(また)腹が減った。何か食べて行くべが(行きませんか)」

「もう未の刻も半ば(午後二時頃)だね。ここからだど(あと)二里ぐらいのもんだべ(ものだろう)。(とり)(こく)(午後五時)前には十分に草加宿に着く。よす(良し)、食べるが」

 幸手の旅籠に作らせた握り飯は一刻(約二時間)前に食べた。茶店を当てに出来ない山道続きでは持参した握り飯を食べる時を見計らねばならない。だけど今は、街道筋にいろんな茶店を見ることが出来る。

鰻を焼く香ばしい匂いが余計に食欲を誘った。由甫さんの提案にすぐに乗った。

 

「荒川です」

桜の花が描かれている前掛けを腰から下にした女子はそう応えた。

「江戸に行くの?」

「うん、そうだ」

「何をしに行くの?」

前にもどこかの若い女子にそう聞かれたなと思う。

「医業の修行だ。阿蘭陀医学を学びに行く」

横から由甫さんが応えた。

「阿蘭陀って何だ?」

「何だって、阿蘭陀は阿蘭陀だ、よその国だ」

「よその国のお医者様になるの?」

「いや、阿蘭陀と言う国の医術が江戸に入ってきている。それを学びに行ぐ」

「ご禁制ではないの?、それでも良いんだいが(良いのでしょうか)」

「世の中が変わりつつある。人の命を助けるのに漢方も阿蘭陀も無い」

驚いた。由甫さんの口からその言葉を聞くとは思いもしなかった。

 日本人であろうと紅毛人であろうと人の身体の造りは同じだ。人の命を助けるのに漢方も阿蘭陀も無い。先を行く阿蘭陀医学の教える医術、知識を学び、そこに漢方医学の良いところを生かしていく時代が来ている。茶店の女子との会話に、何度か聞いた清庵先生や亮策さんの言葉を思い出すとは思いもしなかった。

 

 越ケ谷の宿の南の木戸口近くから途端に人馬の数が増えた。行きかう人、人の中に子の手を引く親の姿も多く見られる。

茶店の女が、越ケ谷には本陣に四つの脇本陣が有る。大きな宿場町だ。(いち)が立つのは二と七の日で、今日が二の日。人が一杯出ていん(る)べ、と言っていたのを思った。

「この宿場をゆっくり見物しながら行くべが(行こうか)」

「はい」

由甫さんの元気な返事だ。軒の暖簾や屋根の上の看板を見上げて大きな呉服屋や造り酒屋や米問屋の店の名を確認したりした。

また、蕎麦(そば)処に飲み屋、八百屋(やおや)肴屋(さかなや)、飾り小物屋に髪結(かみゆい)(どこ)、湯(風呂)屋、薬屋、草鞋屋(わらじや)鍛冶屋(かじや)等々が続いていた。

鳴り物入りで人を呼び寄せ、子供の好きな菓子や飴玉を辻で売る者が居た。また、()双六(すごろく)(どろ)面子(めんこ)をその日その場だけの店に並べる小商人(こあきんど)も居る。

 その中で驚いたのは三つ折れ人形とか言うものだ。腰、ひざ、足首が折れ曲がって着物を着せ替えることが出来るようになっていた。人の身体のそれぞれの機能を想像させるもので妙に感心した。

 

[付記] 昨日にも書かせていただいたように、来週から月、水、金で投稿させていただきます。今日この時間の投稿(午前6時15分)となったのも、パソコンのレスポンス等の不具合、小生に分からない無駄な時間の浪費のためです。ネットでアメーバブログに到達するのに1時間半も要しました。

 税金の支払いや、ネット検索、ブログ投稿、テレビの専門チャンネル等々を某社一括の管理に集約しているためかと思いもしますが、前日に問題なかったのに同じ行為をして1時間半も無駄が発生するとは・・、納得できないけど、小生自身がメカに弱いためそれ以上の事が言えません。既に、今日もこの時間までにアクセスをして呉れた読者の方にお詫び申し上げます。