久しぶりにぐっすりと寝た。今日の予定の次の須賀川宿まで六、七里。明け六つに発っても未の刻には須賀川入りだ。
握り飯を背にした。旅籠の表に出ると青々とした空が広がっていた。暖かい日差しが待っていた。それだけで元気が出る気がした。由甫さんを見ると、顔の艶が良い。
「良い天気だな、空気が美味い」
「うん、美味い、元気が出ますね」
由甫さんが深く息を吸いこみ、応えた。
いつの間にか後ろに立っていた女中と昨日の夕に足を洗ってくれた女の子がクスクス笑う。
「道中お気を付けて」
お辞儀と励ましの言葉だ。倍以上の元気を貰った気がした。
街道外れの薬師堂の側が本宮宿の木戸だった。会津街道への追分でもあった。もう巳の刻四つ(午前十時)になるだろう。
腹が減ったなと言いながら郡山宿に入る手前の街道筋の大きな松の木の下で握り飯を広げた。
喉を潤す。見上げた空は雲がない。日差しが身体を暖める。
「良い旅籠ですたね。須賀川宿も良い旅籠に当たると良いべ(ですね)」
「後半分の道程だね」
由甫さんの言葉に頷きながら返した。商人やお侍さんが通り過ぎる。馬子が引く馬だけが重い荷物を背に足元を見ながらカッポカッポと歩みを進める。
何の鳥か分からない。頭の上で一声鳴いて飛び立って行った。春の訪れを感じた。
郡山の宿場に入った。安積神社、妙法寺を街道筋に見て過ぎた。道標に金透坂と有ったところから小田原宿も日出山宿もさほど離れていなかった。須賀川宿の一つ手前の笹川宿からの方が道程が長かった。二里近くは有っただろう。
須賀川宿の北門の木戸をくぐると八百屋や鍛冶屋や茶店、呉服屋が並び、城下町と言うよりも町人街を感じさせる風情に故郷の一関を思った。また、旅籠が思いのほか軒をなしていた。どの旅籠も湯、宿と思い思いの看板を出している。
そのためか、本宮宿よりも手引き女子の声が穏やかに感じた。街道筋にも温泉の匂いがしてくる。
陽射しと温泉を感じながら額の汗を拭い、代官所、本陣屋敷前を通り過ぎて数寄屋造りに門構えの有る大きな旅籠を選んだ。
宿賃が高そうにも思えたが、亮策さんの金をけちるな、疲れを取るには温泉が一番の忠告を思い出して、勇気を出して戸口を入った。
手引き女子が、お二人さんご案内と奥に声を掛け、やはり十歳になるかならないかの女の子が湯桶を持って現れた。
年季奉公の子なのだろう。草鞋と足袋を脱いだ汚れた足を一生懸命、丁寧に洗ってくれる。気の利いた客なら駄賃をあげたのかもしれない。私にその知識が無かった。
案内された部屋は二階の東北にあたるという隅の六畳一間だったけど、昨日までとは変って畳のすえた匂いがしない。衣文掛けの側のお盆に宿の浴衣と帯と手ぬぐいが置いてあった。由甫さんも私も思わずオーっと声を出した。
「お風呂は何時でも入れます。何処まで行くと?(何処までお出でですか)」
私が応えた。
「江戸へ行く」
「何しに行くと?」
思わず由甫さと顔を見合わせた。
「医業の修行に行く」
「イギョウって?」
「医者の修行だ」
由甫さんが、代わって応えた。
「お若いのにお医者様になるのけ?、二人ともだんべが(でしょうか)」
突然土地訛りの言葉に変わった。その方が良い。俺達も田舎っぺだと思いながら、私が、そうだと応えた。
「何年修行す(する)んだべ、立派になってまた是非この宿に寄ってけろ(下さい)」
女中はさして気にもせずに言ったのだろうけど、その言葉が改めて考えさせられるものになってしまった。
何年修行を積めば良いのか、己自身が納得出来るようになるのに何年かかるのだろう、藩から許可の出た遊学期間は二年。その二年の間にどれだけ学ぶことが出来るのか、何を身に付けることが出来るのか。
飯は何時頃、特別に注文する料理はあるか、酒はどうする、朝の出立は何時頃になるのか、持参する握り飯を用意するのかと女中が由甫さんに聞いて引き下がって行った後も、旅姿を解くことも忘れて畳の上に座り込んでしまった。
阿蘭陀医学を学び、実際に実用の場で生かせるようになるのに何年かかるのだろう。自分でも分からない。分からない不安が頭の中を占めた。如何かしましたかと由甫さんの声に吾に返った。
「良い宿でしたね、足腰の疲れがすっかり取れましたし、良く眠れました。
旅籠じゃない、お宿と言った方が良いですね。(宿賃が)結構したでしょう」
由甫さんの言葉に頷きながら足を進めた。亮策さんが特に持たせてくれた金子はまだ懐に重いくらい有る。