貝田宿からすぐに国見(くにみ)の峠越えになる。あれが平泉藤原氏と鎌倉の源頼朝との戦いの場となった阿津賀(あつか)志山(しやま)、奥州征伐とか言われる()つかし山(・・・・)だと態々(わざわざ)表に出て説明してくれた旅籠の主人にお礼を述べて、まだ周りが薄暗い明け六つ(午前六時)前に出立した。

 目の前の山々に峠がどんな難所になるかと不安が先に立ったけど、由甫さんと話し合って無理せずに休む機会を多くした。

所々にきつい急坂道だった。坂を下ってやがて平坦な道になるとホッとした。藤田(ふじたの)宿(しゅく)を通る時には、袖を引く宿場女に私も由甫さんも少なからず驚かされた。

「峠越え、お疲れさん、疲れたべ(疲れたでしょう)。休んでけ休んでけ(休んで行け)、泊れ泊れ、若いんだもの遊んでけ(行け)」

 振り切るのに一苦労だった。旅籠の数も揚屋の数もかなりあると思う。

 化粧の匂いがまだ鼻に付く頃合いに、時折右手に阿武隈川が見えるようになった。薄雲のかかる大空の下、対岸に田畑が広がっている。

「大きな川だな」

(いや)(おら)の北上川の方が、川幅がある」

由甫さんの返す言葉に、二人で笑った。今日の最も気にしていた峠越えが終わってお互いに気持ちにゆとりが出来ていた。

 桑折(  こおりの)宿(しゅく)で早めに昼飯を食べましょうと言う由甫さんに、このまま瀬上(せのうえの)宿(しゅく)まで足を伸ばして食べよう。瀬上(せのうえ)から福島(ふくしまの)宿(しゅく)までなら残り二里、一刻(いっとき)(約二時間)も有れば着く。まだ陽も明るい(ひつじ)(こく)(午後三時)には福島に着くはずだと応えた。

 

矢張(やっぱ)り飯を食わないと元気が出ねャ(出ないね)」

二人とも握り飯を三個も食べた。熱い味噌汁で身体を暖めた。

今日は時間に余裕があるとて四半刻(しはんとき)(約三十分)も休んだ。

飯屋を出ると、途端に冷たい風が身を縮めさせた。雲行きが怪しくなっていた。急ごう。雨でも降りだしたら大変だ。

 由甫さんも私も先だけを見て歩くようになった。阿武隈川の景色を見るところでは無くなった。気温が急に下がっているのが分かる。

 とうとう丸子とか言う土地を通る時になって(みぞれ)混じりの冷たい雨が降ってきた。濡れてからでは遅い、身体を冷やしてはダメだ。由甫さんを急かせて街道筋の右手にあった大きな(けやき)の木の下で互いに合羽を着込んだ。

その分だけ歩きにくくなったものの、平坦な道がまだ救いだ。身体はそれ程寒くは感じない。だけど手足が段々と冷たくなる。それが良く分かった。

 草鞋(  わらじ)(きゃ)(はん)が雨に濡れて体力を奪う。由甫さんが太ももの痙攣(けいれん)を訴えた。顔をしかめる。

「我慢できるか。もう少しの辛抱だ。(あと)半里ぐらいのものだ、頑張んべ(頑張ろう)」

励ます言葉を口にしながら、先が分からないという不安がこんなものかと思ったりした。

 後(  あと)十丁ほどの道程(みちのり)だなと思った。疲れと冷たい雨が手足のまともな働きを奪う。由甫さんだけではない、(おら)も重い足を引きずりながらの道行きになった。旅の怖さを知ったような気がする。

 雨に煙る信夫山(しのぶやま)を右手に、左手に阿武隈川の舟運を見ながら一人旅でないのがまだ(さいわ)いだ。(ひつじ)(こく)には福島(ふくしまの)宿(しゅく)に着くだろうと思っていたけど、その宿場の米沢口の追分をみることが出来たのは(さる)の刻(午後五時)を大分に過ぎていた。

 何処の藩の旗印(しるし)なのだろう、浅い知識しか無い故に見ても分からない。(かがり)()が幾つも煌々(こうこう)と燃える黒沢本陣だと言う大きな屋敷を横目に通り過ぎ、直ぐに旅籠を探した。

 湯船があるのを絶対の条件にした。手引き女子の案内のままに旅籠に入ると、部屋の大きさも気にせず早速に湯船を求めた。

仕舞ったと思ってももう遅い。草鞋を脱いでしまったのだ。割合に大きな旅籠だから湯船も大きかろう、湯も直ぐに使えるだろうと思ったのが間違いだった。

 街道に出ていた手引き女子の言ったことと目の前の女中の言うこととは異なる。

今日は客が多いから風呂は順番待ちなのだと言う。しかも、湯船は一人一人が入る大きさだと言う。部屋を見渡すと四畳半の広さだ。他の客と相部屋で無いのだけが幸いだ。

 衣文掛けに濡れた合羽を掛けると、畳が濡れるから合羽は軒先に吊るせと言う。濡れた手甲(てっこう)と脚絆や足袋も軒先だと言う。

弥生も半ばを過ぎたとはいえそれが明日の朝には寒さで凍り付いているかも知れない。女中の言うことを聞きながら、旅慣れていない私達二人を馬鹿にしていると思った。

 大きな宿場だから名のある御城下だから割合に大きな旅籠だからと勝手に安心を決め込んだのが間違いだった。

部屋は大きな火鉢で暖を取れる様にだけはしてあった。兎に角、着替えて火鉢に手をかざした。

それで身体が芯から温まるわけが無い。

 由甫さんが酒を一杯貰いましょうと言った。飯の用意も頼む、その前に一合徳利熱燗を頼む。お猪口(ちょこ)は二つだと女中に言いつけた。

 風呂が使えると声が掛かったのは、酒も食事も済み、煎餅布団に横になって身体を休めている時だった。戌の刻(午後九時)を大分に回っていた。

 もたもたしていたら二人とも寝る時刻が遅くなるだけだ。遠慮する由甫さんを先にして後に湯に浸かった。寝る時には亥の刻(午後十一時)にもなっていた。

 疲れが出たのだろう由甫さんは先に眠りに入っていた。次の本宮(もとみやの)宿(しゅく)まで七、八里ある。

 明日は良い天気であれ、そう思いながら眠りに()いた。

 

 明け六つ(午前六時)に良い思いの無かった福島宿を発った。まだ薄暗かったが、確かに良い天気になる。青空が広がるだろう。そう思うと少しばかり元気が出た。

 大名行列は寅の刻七つ(午前三時)に発ったと言うが、それからみたらゆっくりも、ゆっくりした出発だ。

由甫さんも足の具合が大分に回復して元気そうだ。

 二本松まで行けば後は二里ぐらいのものだ。本宮(もとみやの)宿(しゅく)(ひつじ)の刻(午後三時)には入れるだろう。今日こそ良い宿を探そうと話した。

 清水町(  しみずまちの)宿(しゅく)を通る時に仙台屋と有る旅籠を見て、宿の主人はきっと仙台の出身だろうと話した。笑顔がこぼれた。

二本柳(にほんやなぎの)宿(しゅく)を通る時には(えん)東寺(とうじ)とかいう寺の前に大きな柳の木があった。立札(たてふだ)枝垂桜(しだれざくら)で名のあるお寺とある。蕾が膨らんでいるようにも見えたけど、まだ桜には早かった。

 二本松神社手前の茶店に入ってお茶を頼み、焼き上げ団子とか言うのを食べた。神社は鳥居と石段の先で、余計に疲れるのは()そう、またいつかの日にか見させてもらうことも有る、と二人で話して参拝を見送った。

 まだ春の陽を思わせる未の刻に予定通り本宮宿に着いた。思いのほか大きな宿場町だ。旅籠が軒をなして並び、その前に立つ手引き女子も多い。

 複数人が同時に袖を引っ張る。由甫さんが顔を赤らめて私を見た。

「男二人だけの部屋だ、湯船に浸かりたい、夕飯を頼む、何時になる?。朝は明け六つに発つが握り飯を用意できっか(出来るか)?」

私が立て続けに聞くと、誰もが愛想のいい応えだ。念を押すと口々に余計に騒々しい。

「間違いございません。ご主人(すずん)様の言いつけ通りにご用意させていただきます」

 その喧噪の中で、一番年季の入っていそうな年増の手引き女子が一歩下がり、ただ黙ってお辞儀をする。その物腰が丁寧だ。

由甫さんがまだ袖を引っ張られていたけど、構わず今晩の宿をその年増女の案内する旅籠にしようと決めた。

 年端(  としは)も行かない十やそこらの女の子に私も由甫さんも足を洗ってもらった。丁寧に一生懸命なのが分かる。

何故ここに来たのか、年齢(とし)はいくつかと聞きたくもなったが、聞いたところで如何(どう)することも出来ないと思うと口にしなかった。

 案内された部屋は一階にある六畳間だ。片隅に重ねてある布団は昨日までの煎餅布団よりも良い。女中に聞くと、この宿場は奥州街道筋に在って会津にも相馬にも至る所なのだと言う。故に客は商人(あきんど)に職人、お坊さん、薬売りにお侍さんといろいろ。宿を選ぶ目も肥えていると語る。

湯船は共同浴場になっている、二十人は何時でも一緒に入れる大きさだと言う。

 疲れを取るのに酒の効果を知った私は、夕飯の配膳に一合徳利とお猪口二つを追加で頼んだ。年齢(とし)に関係がない。清庵先生に似たのだろう由甫さんは私よりもいける口だ。ゆっくり半時は風呂に浸かる、その頃合いを見て酒と飯を頼むと言った。

 喧騒は収まったけど戌の刻(午後九時)になっても時折外で手引き女子の声がした。それを聞きながら疲れも酒の力も有る、いつの間にか早い眠りについた。