起きるにはまだ早いなと思いながら目を開けた。まだ障子の外は暗い。足腰に疲れを感じるものの少しばかりの酒が大分疲れを取ってくれたなと思う。

 由甫さんは隣でまだ(いびき)をかいている。もう少し寝よう、寝なければ。そのまどろみの中で江戸にいる父上の顔が浮かんだ。すると、仙台城下に在って修行したと言うが、その間に学んだ施術のことも草木の気味や効能のことも、また師匠や出来たであろう友人のことも語ることのなかった父上だったなと思った。

 師でもある仙台藩藩医松井玄潤先生との間で何か(いさか)いがあったのだろうか。(げん)(りょう)玄沢(げんたく)(げん)(りょう)と父上が何度か名前を変えている事がこの年齢(とし)になって初めて気になった。

 決して良い思い出だけではなかったのだろう。清庵先生の推薦が有ったからだと言った父上だけど、四十四(歳)になってやっと仙台藩支藩の一関藩医の口が掛かったことと関係しているのではないか。推測しながらの二度寝は浅い眠りだけで終わった。

 

 次の宿を(かね)()(せの)宿(しゅく)に取った。一つ手前の大河(おおが)原宿(わらのしゅく)で泊まれと言った亮策さんだったけど、一時(いっとき)道行(みちゆき)が一緒になった商人の話から大河原から金ケ瀬宿まで一里と離れていないと分かると、歩けます、足を伸ばしましょうと言ったのは由甫さんだ。

 だけど途中から由甫さんの顔が歪むようになった。足の裏に出来た豆がつぶれていた。大丈夫か大丈夫かと声を掛けながらの道中になってしまった。

金ケ瀬に付いた時は(とり)の刻、暮れ六つ(午後六時)にもなり周りはすっかり暗闇だった。出立してから凡そ半日を要した。予定通り大河原宿で旅籠を探した方が良かった。二人とも己の足を過信した。

「済みません。申し訳ない。お荷物になって申し訳ねャ(ない)。

まだ医療の医の字も未熟な(おら)が江戸に行くこと自体間違っている、身体の丈夫でねャ(ない)俺が江戸に行くこと自体難儀なのに、分かっていだごどなのに・・・。

元節さんに申し訳ねャ。俺の江戸行きは間違っていっぺ(いる)」

 敷いた床の上で涙顔で言う。十六(歳)にして初めて親元を離れる心細さと先々の生活に不安を抱く由甫さんだ。

「余計な心配をするな。とにかく軟膏を良く塗って、休もう、体を休めよう。明日の朝の出立は辰の刻(午前八時)過ぎで良い、少しゆっくりにしよう」

それ以上の返す言葉が無かった。

 床について悶々とした。自分が十六(歳)と言えばまだ草木の気味や効能を学び、薬になりうる草木を木小屋に吊るし乾燥させていた。

 それから先生方の指示に従ってやっと薬研を使うようになった、それから亮策さんの江戸行きの後を受けてやっと十七、八(歳)になって診療のイロハを学ぶようになったと思い返した。

 二十一、二(歳)になるこの年齢(とし)でやっと他国で学べる。江戸で学べる。そう思うと、恵まれた環境に有るだけで江戸に行ける。学ぶ機会を特別に得ることが出来る、何を今更嘆く必要がある、其方の江戸行きはまだ早いのだ。横で眠る由甫を見ながらそんな思いがこみ上げて来た。朝方にこれで大丈夫かと思うほどの煎餅(せんべい)布団だ。

 寒さを感じて朝方に目を覚ました。まだ弥生(三月)も半ばなのだと改めて思いながら肌着を重ね着してまた床に就いた。

由甫さんは目を覚ますこともなく鼾をかいている。予定通り貝田(かいだの)宿(しゅく)まで行けるだろうか、確か六里ちょっと。女子の足でも日に七、八里歩くのだ。何とかなるだろう、そう思いながらもう一度眠りについた。浅い眠りだった。

  

如何(どう)だ、足の具合は大丈夫か、軟膏を擦りつけ直して膏薬を貼った方が()え(良い)」

 旅支度をする前に言った。道程の計画書を確認すると金ケ瀬宿から貝田宿まで凡そ六里半と有る。その先の貝田(かいだの)宿(しゅく)から福島(ふくしまの)宿(しゅく)までが五里二十四丁。二日で十二里ほどの道だ。 

 先々の山坂(やまさか)が如何なのか分からないけど一日十里近くも歩いた日もある道行きから見れば楽な計画だ。由甫さんにそのことを伝え、頑張ろうと声にした。

 三里ほど歩いて白石(しろいしの)宿(しゅく)だった。歩き出すときに覚束(おぼつか)ない足運びだった由甫さんは途中から、大丈夫です。歩けますと思いのほか元気になった。

)私の方が道々大きなくしゃみをするようになった。今度は由甫さんが心配する。

 白石は大きな宿場だ。うどん、飯と木の看板に黒々と墨書されて有る飯屋に入ると、二人とも昼飯におにぎり一つと熱いうどんを注文した。

 くしゃみをしながら食べる私に由甫さんが、大丈夫ですかと言う。

「平気、心配ない。今日はこのままだど申の刻(午後四時頃)には宿に入れる。明るいうちに旅籠を探せるね」

返す言葉の間にも鼻水が止まらない。

 番所前を通り過ぎて貝田(かいだの)宿(しゅく)に入った。探すのにも早い時刻だったけど、小さな宿場で湯のある旅籠を見つけることが出来なかった。

「早めに夕食を食べて早めに床に就こう、ゆっくり休むべ(休もう)」

二人で話した。俺は印籠を探り、持参した葛根湯を飲んで床に就いた。

 神経が休まらないのだろうか。一関を出て五泊目、疲れも有ると言うのにまた早めに目が覚めた。清庵先生の側に立って見送りに出ていた亮策さんが頭に浮かんだ。

「身体が決して丈夫ではない由甫だ。まだ医学のイロハも碌に分からぬ未熟者だ。由甫を頼む。叱るべき時は叱って欲しい」

 亮策さんの言葉が思い出される。漢方よりも阿蘭陀医学を優先的に学ぶべきだと言う考えは正しいと思う。江戸に出ていた亮策さんが実感した事だったろう。医業を志す者は江戸に出た方が良い。その言葉が思い出された。

 由甫さんが江戸に出られるのも亮策さんの筋の通った考えと行動だったろう。私の事と一緒に由甫さんの江戸行きを父親でもある清庵先生を説得したのだろう。亮策さんは私にとっても兄上だと思う。感謝の気持ちがふつふつと湧いて来る。

 足腰に疲れは有るものの体の節々が痛いと言うことはない。幸いに熱はなさそうだ。弟と思えば、由甫さんの面倒を見ねばとも思う。