第二章 青雲
一 江戸へ
二年間の江戸遊学が許された。
先生に告げられたその夜に、天にも昇る気持ちで母上に報告した。
側で陽助がおめでとうございますと言った。そうか、陽助も清庵門を叩く必要があるなと思った。江戸に行ったら、そのことを父上に相談すべきなのだろう。弥生の三月も半ば頃に江戸に向かうと父上に喜びの状(手紙)を認めた。
出立の準備にかかる一カ月余りはあッという間に過ぎた。この間、心が浮き足立っていたせいもあるのだろう、患者を診ていても江戸を想像する時が多かったような気がする。
今日の空は肌寒い。朝早いだけではない、雪でも降ってきそうな空模様だ。
由甫さんも同行するのだからと、一旦、出立姿で先生の自宅に寄ることにしていた。
それが、この施術所に働く皆の見送りを受ける形になった。清庵先生は杖をつき、亮策さんが傍に立つ。あの賄いの小母さんと誤解した亮策さんの許嫁が寄り添っていた。
普段より半刻(約一時間)も早くに出勤した藩医の方々がその横に並び、一緒に学んでいた曾根君や結城君や小田君が私の旅姿のあちこちに触りながら、良いな、良いなと言う。身に着けた物の品定めでは無い。江戸行きを羨ましがっているのが分かる。
先日に祝いの膳を設けてくれた清雄小父(大槻家六代目大肝煎り)も駆けつけた。傍に治作さんの姿もある。大槻家に出入りしている手伝いの小母さん達までもが見送りに来た。
いざ出立の段になると、ここまで付いてきた陽助に念を押した。
「母上を大事にな、頼まれごとは何事も手伝えよ」
私の腹かけ、木綿の衣装、股引きに脚絆、足袋は全て母上の手によるものだ。笠と帯と印籠は母が買い揃えてくれた。腰にした草鞋は治作さんが造って届けて呉れたものだ。
目の前に並ぶ皆さんに出立の挨拶をしながら、別れが辛いからと、玄関口で見送ってくれた母上の姿を思い出した。
由甫さんと一緒にそれぞれ振り分け荷物を肩にすると喜びよりも緊張が走った。生まれて初めての長旅だ。この年齢になるまで本藩のある仙台にさえ出たことが無いのだ。
街道筋の木や田畑やお地蔵さんに目をやりながら進んだ。一関を発って半刻(約一時間)もしたろうか、まだ辰の刻(午前八時)だろう。
雲間が切れて時折青空が見えるようになった。田畑はまだ冬のままだ。霜が降りたハズの畑は昇った陽に濡れて今は黒ずんで見える。日陰になるところに霜柱が見える。水のない無い田んぼは稲の切株を残したままだ。だけど何を見ても今は心が浮き浮きしてくる。
一日八、九里を目安にして進め。己の足を過信してはならぬ。日に十余里歩いたのは良いが、後で必ずどっと疲れが出てしまう。それがために思わぬところで宿を探すようになる。それは難易な事になる。また流行り病に気を付けろ。体力の回復のために一つ所に逗留が長くなれば道中が長くなる。お金も余計にかかる。
道々、由甫さんと一緒に聞いた亮策さんの忠告を思った。江戸までの道、どの宿場で休み、宿を取った方が良いか、三人で作った事前の計画書は懐にある。
最初の休憩は有壁宿で、一泊目は築館宿だ。
途中の古川宿で仙台まで十二里の道標を見た時、余計に心が躍った。逸る気持ちを抑えて予定通り二泊目を吉岡宿にした。二日間で一関から凡十八里(約七十二キロ)歩いたことになる。今朝、旅籠を出るときには両足の裏はパンパンに張っていた。
由甫さんの足も同じだろうけど彼も弱音を口にしない。
まだ三日目だ、道中は長い。今日は本藩のある仙台だ。どんな街並みなのだろうと道々語り合う。それが互いを元気づけた。宿場端の道標には松島に至るとあり、その追分にお地蔵さんが立っていた。
旅籠の女中が教えてくれた政宗(伊達政宗)が整備したと言う富谷宿も、街道筋の右手の高台に仙台藩の刑場が見えて来ると言っていた七北田宿もただ通り過ぎた。
城下に入った。まだ未の刻(午後二時)を回ったばかりだ。これが仙台の城下かと周りを見渡したのが人々で賑わう国分町の札の辻と言うところだった。
一関城下と比べものにならない。商家の街並みと行き交う人、人。人の多さに改めて驚いた。
通りすがりの一人が旅装束の我々を見て、ここが仙台でも有名な芭蕉の辻だ、少し離れてこの四つ角の蔵造りの屋根を見上げて見るが良いと言う。
驚いた。四つ角で商売を営む金物打掛の暖簾のある奥田屋の屋根の上に、その真向かいで呉服の暖簾を垂らす伊勢屋の屋根の上にも、また筋向いで若と言う文字を二つ松葉で囲んだ暖簾の若松屋の屋根の上にも、その真向かいで履物や傘を売る安達屋の屋根の上にも鯱ならぬ見事な二匹の龍の飾り物が鬼瓦の側で四方を睨みつけていた。
(仙台市博物館所蔵)
凄いねと言いながら由甫さんとしばし見とれた。見上げている人は自分達だけではなかった。
それから、荷物というほどにはならないだろうと思案しながら、江戸に在る父上への土産にと若松屋に寄って御茶を買った。
辻の道標の石には南、江戸まで六十九次、日本橋まで九十三里とある。
綺麗に建ち並ぶ町屋を驚きをもって横目に見ながら足を進めていたら、医者、鍼、灸の看板を掲げる一軒が目に付いた。そうだ、ここは若き日の清庵先生や父上が学んだ土地だ。そう思うと、ゆっくりと城下を見学をしたいと気が動いた。
だけど、足の具合はそれどころではない。予定通りなら三日目は六里ちょっとで仙台に早目に着くはずだ。着いたら湯に浸かれる旅籠を探せ、金を惜しむな。疲れを取ることに専念しろ。亮策さんの忠告を思い出した。
少し遅れ始めていた由甫さんに声を掛けて、今日の宿、旅籠を探すことにした。お腹がかなりグーグー言っている。
国分町の賑わう街並みを抜けてしばし歩き、次の長町宿に向かう街道筋に湯と飯、宿と染め抜いた二つの布を軒の右左に下げている旅籠を見つけた。
手引き女子のするままに足を洗って貰い、案内された部屋は二階だった。階段を上がってすぐの六畳間だ。他の客や女中の上がり下がりの音が煩くないかと気になったが、空いているのはこの部屋だけだと言う。
足の具合に、改めて他の宿を探す気にもならない。
代わって顔を見せた女子に早速に湯に浸かりたいと言った。
「一日中いつでも入れん(る)べ。それがこの宿の自慢でがす(です)。
露天風呂になっていっぺ(なっている)」
応えながら愛想のいい笑顔た。まだ二十歳前なのだろう、幼さが顔に残っている。
「何処まで行くんだいが(行くのですか)」
「江戸だ」
大げさに驚いた顔をした。
「何をす(し)に行ぐんだべ?」
「医者になる。その修行に行く」
「へー、吾も江戸に行ってみてゃ(みたい)。取柄になん(る)ものは無がす(無い)けど身体だけは丈夫。どこででも働けんべ(働ける)」
屈託のない笑顔をまた作った。左耳の側にある小さなほくろが微かに動いた。私も由甫も同じような世代のその女子(女中)の笑顔に元気を貰った気がした。
時間をかけて湯船に浸かった。湯から上がると、既に飯の膳は用意されていた。
先ほどの女中が顔を出した。
「酒こはどうすんべ(どうする)」
由甫さんと思わず顔を見合わせた。築館宿でも吉岡宿でも酒を口にしなかった。
「疲れをとる薬だ、一合徳利を貰おう」
僅かばかりの酒でも酔いが回った。清庵先生の所に通っている間はよほどのことが無い限り口にすることは無かった。由甫さんは初めての酒だと言う。
酔い冷ましを兼ねて障子窓を開けると、旅籠から漏れる薄明りの中にまだ街道筋を行き交う馬子や商人等の姿があった。亥の刻(午後九時)も前だった。
「明日は大河原宿まで凡そ九里ある。明け六つには必ず出立しよう」
二人で決めて床についた。
[付記] 江戸時代の仙台、芭蕉の辻は錦絵にもなって残されています。絵図は見事です。同博物館(仙台市青葉区川内26)は仙台駅からもそう遠くありません。仙台にお寄りの方等は是非に閲覧してみてください。

