父上の考えは、其方をまずは仙台に使わし、漢方の素養をしっかりと身に付かせて、それから江戸にと言うものだった。

私は、解体新書に見るようにそもそも人体の捉え方が阿蘭陀医学と漢方医学とでは違っている。今江戸に在る医者は皆あの解体新書にみる人体絵図を頼りにしている。人体の構造等にさえ変に先入観を持つよりも最初から阿蘭陀医学を学んだ方が良い。

阿蘭陀医学を学んで漢方医学が教えるところの良いところを後で選択して取り入れて行く。 

阿蘭陀医学を学ぶ方が先になっても良い、江戸に()るとそのことが良く分かると父上に申し上げた。

 父から見れば、其方はまだまだ未熟かも知れないが、仙台遊学で漢方を学ぶことに費やす時を阿蘭陀医学を学ぶ時間に当てさせた方がよい。玄節は人一倍の勉強家だ、より阿蘭陀医学を身に付けることができるだろうと言った」

 亮策さんに感謝だ。そこで一区切りしたけど直ぐに続けた。

「父上の推薦が無ければ江戸行きは実現しなかろう。

しばし考えた父は、世の流れは阿蘭陀医学だろう、外科に内科に目や耳、歯に着目した専門分野や、これからは婦人、子供に特別に配慮した医療が必要になる。それがこの老いぼれにも分かると言った。

 父上が婦人科、小児科と言葉にしたことに改めて驚いたよ。江戸に在った頃に目にした阿蘭陀医学書に、既に婦人になるものの医療分野、小児に関わる分野なるもの等が有ったのだそうだ。それ故に、段々と私の言うことに耳を傾けてくれた。

 江戸に行きたいと言う其方の気持ちを確かめるまでもないのだが、やはりことが重大だ。其方の今後の行く末に大きく関ることになる。故に、こうして呼んだのだ」

 思わず後退りし、両手を畳について頭を下げた。

「有り難く存じます。是非に江戸へ行かせてください。そのようにお取り計らいお願いします。是非に、改めて清庵先生にお願いして下さい」

               十四 吉報

 年が変わった。安永七年(一七七八年)になる。あの話は何処まで進んだのだろう、如何なったのだろうと気が気ではない正月を迎えた。

 満二十一。数え二十二歳にもなるのだ。診療に携わってかれこれ四、五年にもなる。江戸で学ぶ妄想(もうそう)は日に日に増している。

父上の手紙と金子(きんす)と江戸の品々が届いたのは暮れの(なか)ばだった。あの時も、江戸に行きたい、行かねば、父上に会いたいという気持ちに駆られた。

 亮策さんから江戸行きの話があってから三、四カ月も過ぎている。その間、清庵先生から特別な話は無かった。呼ばれることもなかった。秋の実りや紅葉の景色の見られた季節から流行り病の患者を診るようになって、積る雪を見る正月になったのだ。

 一月も半ば、その日一日の多忙な時が過ぎた。患者が多く、夕方に講義どころでは無かった。曾根君も結城君も小田君も忙しく患者の対応に追われた。

 亮策さんの患者を診る姿も見慣れた。窓の外はとうに暗い。暮れ六つ(午後六時)を告げる太鼓の音が聞こえてきた。

腹が空いたなと思いながら台所を覗いた。水瓶の前に立つと、後ろから賄いの小母さんの声が掛かった。

「身体を冷やしてすまうべ(しまうでしょう)。先生(だづ)大事(だいず)なお身体なんだがら、待っててけろ(下さい)。今、お茶を淹れんべ(ましょう)」。

 ふっくらした笑顔を見せた。何時からここに勤めるようになったのだろう、余り見かけない顔だ。年齢(とし)がそう行っていないように思う。そこへ、亮策さんだ。父上の部屋に来てくれと言う。亮策さんが、小母さんに三人分のお茶を淹れて先生の部屋に持ってくるよう指示した。

 先生は何時もの文机を前に座って居た。(うしろ)にある違い棚には正月らしく、松と榊の枝に赤い実をつけた南天が花瓶に飾られてある。

 読んでいた書物から目を離して首を縦に二、三度振り、無言のまま座る位置を指さした。亮策さんが部屋の片隅に積んであった座布団を二枚持ってきて文机の右横に一つ、もう一つを先生と対座するように敷いた。

思わず亮策さんに、済みませんと言った。

 着座した二人を確認すると、先生はそれまでの顔と違って、笑みを見せた。

如何(どう)だ?。今の患者は流行り病の者が多かろう。良く聞いてやってる(いる)か。

医者は何事も良く患者の話を聞くことから始まる。何処に居ようと、それは変わらぬ」

何度耳にした先生の言葉だろうと思う。そして、言った。

其方(そなた)の江戸行きが決まった。去年の秋口から藩の方々に、田村公に其方の江戸遊学を許可して下さるよう何度か申し入れた。

なかなかに良い返事はもらえなかった。少しは耳にしているだろう。藩の財政が厳しいのだ。

 民のための医療の充実にそれが必要であろう、藩のためにもなるだろうと(われ)の言うことに理解を示すものの、誰ぞが(藩医の)役を退いて、その扶持(ふち)を回せなければ如何とも出来ないとか、良い返事ではなかった。

 其方を避けるようにしたのも余計に期待を持たせてはならぬ、声を掛ければこの老いぼれもついつい甘い言葉を口にしそうで其方との距離を置いた。勘弁してくれ」

頭を下げる先生の姿に、思わず私は身を引いた。

「勿体なきお言葉に御座います。お骨折りいただき誠に有難うございます」

 頭を畳にこすり付けた。上げた顔で亮策さんを見ると、亮策さんは笑顔で頷き、側にすり寄って私の左肩を右手でポンポンと叩いた。嬉しかった。直ぐにも万歳を叫びたかった。

「失礼します。お茶をお持ちしました」

声がかかると、障子が開けられて、廊下には膝をついた先ほどの小母さんだった。ふと、()がそこに座って居るようだった。

 小母さんが退出した後に、由甫も一緒に江戸遊学を許可された、其方と一緒に江戸に向かうようになる、と亮策さんの言葉だった。