亮策さんの言葉を納得して聞きながら解体新書を語るのに欠かせない、私達の目を点にさせたもう一つの偉業を亮策さんに質問した。
「あの絵図、人体の細部まで絵にした小田野直武とはいかなる人物なのですか。人体を書く専門の絵師ですか?
江戸にはあのような絵図を書く絵師が多く居るのですか?」
「人体の絵図だけを書く専門の絵師というのは居ない。江戸には相撲絵や歌舞伎役者を書く絵師、江戸の名所をもっぱら書く絵師、浮世絵を書く絵師など多士済々だ。
解体新書の人体絵図は、元は阿蘭陀医書等にある物の写しだ。されどそれを出来る絵心のある者、彫師の技を生かせるように絵図を書くとて容易なことでは無い。
臓器等の絵図は隣の秋田藩角館の藩士が書いた物だ。天真楼に一緒に学ぶ先輩に、小田野氏はまだ二十代の若輩だと聞いているが会ったことはない。
玄白先生の友人の推薦であの者が選ばれたと聞いている」
驚いた。私は勝手に四、五十にもなる達者な絵師が書いた物と思い込んでいた。何時の日にか自分も書き物をまとめることが出来たら、絵図が必要になったらまだ見知らぬ小田野殿に頼もう。二十代の青年を想像した。
「江戸では今、阿蘭陀医学という言葉から蘭学と言う言葉が流行りだしている。
医業にかかる物だけではないのだ、地理に測量、天文、鉱物、産学に絵画、陶器等に至るまで彼国の影響が出ている。
カピタンを通じて彼国からもたらされる様々な書物、文物が世の中を変化させているのだ。
阿蘭陀医学が治療方法のありようを変えようとしているだけではない。これからはまさに蘭学が発展するだろう。異国に学ぶ機会が多くなるだろう。世の中が大きく変わろうとしている。
また、日本も世(世界)に知られねばならぬ。そういう時代が必ず来る」
また私と曾根君は顔を見合わせた。
それからと言うもの、私は父上の近況を聞くことよりも講義の時と言わず、昼休みの時にさえも、毎日、亮策さんに蘭学にかかる質問責めにした。
十三 清庵の推薦
肌寒い日が混じるようになった長月(九月)も終わり近く、講義の終わったところに姿を見せた亮策さんが私を呼び止めた。一緒について来いと言う。
先生が居るハズの書斎だった。先生の姿はない。何時も先生が座る位置に亮策さんが着座した。指示のままに部屋の片隅に片付けられてあった座布団を持ってきて、文机を間に対座した。
改めて亮策さんを見ると、二つしか違わないのにはるかに年上を感じさせる。三年余り見ない間に大きくなった肩幅が威厳を装っても居た。
「どうだ、診療に慣れたか?、いろんな患者が居るだろう?。診療するようになってもう三年になると父上から聞いた」
「はい。亮策さんが江戸に出てから間もなくに治療に当たるようになりましたから、もう三年になります」
亮策さんがここに呼んだこと、聞く意図を思案した。
「どうだ、江戸に行きたいだろう」
その一言に、若しかしてという思いが湧き立った。
「はい。お話を聞かせていただいているだけでも、江戸に行きたい。江戸で学ぶ事が一杯有ると思っています」
亮策さんが、首を縦にして頷く。
「前にも話したけど、江戸は華やかだ。そこここに欲しいものを売る店という店が軒を連ねている。米に味噌、野菜、お茶、海産物を扱う店から着る物に髪や身を飾るもの、化粧をするための物を売る店、酒を売る店、飯を食わせてくれる店がそこここにある。
医療の道具や薬を商う店などは数が知れている。だけど、田舎に在っては手にすることも出来ない品々がそこにあることも確かだ。
江戸は紙の文化だ。黄表紙や浮世絵など人の欲しがる書や絵も含めて版元が江戸に有る、絵師や、彫り職人に摺師が居る。医業に掛かる書は江戸に在らねば見ることも知ることも出来ないものが多くある。江戸に出てそれを実感した。
だけど、誘惑が多いのも江戸だ。廓だけではない。怪しげな春を売る茶店も有れば、芝居小屋に見世物小屋など人の気を引かぬものはない。
神社やお寺の前は文字通り日々市をなしている。毎日が田舎のお祭りみたいなものだ。否、もっと賑やかだ。
それ故にそれらに溺れて身を滅ぼした仲間も他人も居る。玄沢がそうなると言っているのではないが、江戸に行ったら自分が何をやりたいのか何のためにここに居るのか、常にそれを考える時を持つ様に心がけよ。
儒学や漢学に医学を学ぶ、歌や句を学ぶ、それに近頃は武術に加えて砲術を学ぶ、製鉄の方法を学ぶ、地理や測量、天文、化学、算術を学ぶ、江戸にはありとあらゆるものを学ぶ機会がある。
江戸を学ぶところとして捉えるならば大いにその価値のあるところだ。結果はどうであれ学ぶ目的があれば江戸はそれに応えてくれる場所だ。
昨夜、父上と話し合った。あの通り父は大分腰の痛みが酷い。それ故、足元が覚束なくなっている。辻籠を頼りにしても、呼ばれた先の診療に出かけるのが容易ではなくなっている。このことは口外してはならぬ」
そこまで言うと、亮策さんは一呼吸置いた。それから話し出した。
「父上は藩のお役を降りようかとさえ口にした」
「えっ」
驚きにかまわず続けた。
「その言葉を耳にして己は決心した。この一関に留まる。江戸を引き払って来る。今日の明日にと言うのではないが、父上の側に在って藩のお役に立たねばと思った。
いずれ建部清庵の名を継がねばならない、我が家の名跡を無くしてはならぬと思った。それ故にこの一関に戻る。
そこで、其方を江戸に遊学させたいと申し出た。この田舎にも阿蘭陀医学の教えを広めねばならぬ。
藩にも本藩(仙台藩)にも阿蘭陀医学を取り入れて行く必要がある。江戸との繋がりを絶やしてはならないと申し上げた。