花()の葬式はその翌日から大槻家で営まれた。通夜の席にもお寺の本堂で念仏を上げる時にも涙が出なかった。花の死を受け入れられなかった。

 だけど野辺送りの行列になって涙が止まらなかった。十七歳になったばかりの()は死んだ。母の側になるという場所に土葬にふされる棺をみて涙が止まらなかった。

 流行り病に何故もこんなに簡単に死ぬのか。何故、何故なのだ。一度は己の手で診察したかった。大槻家の家族でも治作でも私の目の前に()を連れてくれば良かったのだ。いや、私を呼び出してくれれば良かったのだ。何もしてやれなかった。そう思うと余計に涙が溢れた。

 葬儀が終わって三日になる。夕餉を済まして母上の淹れたお茶を一服啜って語る父上の言葉に、また続いた母上の言葉に衝撃を受けた。驚きながら()の顔を想像した。

 あの夕、()が家に来た治作は四半時(三十分)も居なかったろう。治作は()の死という思いがけない大槻家の変事を伝えに来たとだけ思った。仕える主人の娘のために涙を流していると思った。

 あの夜に父上が帰宅したのは深夜だった。治作が下げていた提灯が父上の足元を照らしていた。表玄関口で深々と父上に頭を下げ、治作は戻って行った。

父上は大槻家に居たのだった。夕刻の()の死を看取っていた。

「咳と高熱で流行り病で死んだのは事実だけど、確かなことは言えないが労咳ではなかったか。治作は気の毒に」

それを受けて母上の言葉だった。

「奥様を亡くし、成長を楽しみにしていた娘さんにまで先立たれたんですものね」

「えっ、()は、誰の子?」

思わず母上の言葉を確かめるように聞き返した。

 花(  ・)は治作さんの娘だった。身の置きどころのない治作が、あの一時、()が家に来たのだった。

伯父さん達夫婦が花を()が子のように育てていたし、私は()を伯父さん達の娘としか考えたことが無い。

母上は()の母の産後の日経ちが悪かったと言った。二日ばかり寝込んで亡くなったと語った。

 花(  ・)は実の母の顔も(ぬく)もりも知らないで育ったことになる。周りが何度勧めても説得しても治作は後妻(ごさい)を迎えようとしなかったと言う。

 治作は()を自分の手で育てると言ったのだそうだ。五十近くになってやっと出来た()が人一倍可愛かったらしい。

だけど、治作の子育て生活を見かねた伯父夫婦が、側に何時も居ることが出来るのだからと治作を説得して()を大槻家に迎え入れたのだと語る。

 聞いていて伯父さん達の顔が思い浮かんだ。六十も半ばになる白髪混じりの治作の姿を思った。父上が、治作は花を大槻家の墓地に埋葬するという伯父の申し出を頑なに断ったのだと言う。埋葬されたところは大槻家の墓地ではないと今の今まで知らなかった。

 実母の眠るという傍に土葬されたと、その理由も(わか)った。

それからというもの暫くの間、私は喉の痛みや熱が下がらないと訴える患者を診察しながら、咳は如何か、他に痛いところ痒いところ、身体の中に異変を感じるところはないかと余計に聞くようになった。時折、()のことを思い出していた。

 また家に帰れば、机に向っても涙で目がかすんだ。興奮を覚える解体新書を見ていても、時折、()の顔が思い浮かんだ。

 

 年が明け、やっと()の死を事実として受け止めよう、諦めようと自分に言い聞かせるようになった。

その弥生(三月)の初め、父は、再び藩侯の出府に随行することになったと家族に伝えた。江戸行きに乗じて、今度の江戸詰めの期間を二、三年にして欲しいと参勤交代随行の差配役に申し出たのだそうだ。

そして、三年の期間の許しが出たと言う。この年齢(とし)でも阿蘭陀医学を学びたい、知識・技術をできる限り知りたい、身に付けたいのだと言った。

 それを聞くと、父上の喜ぶ顔をよそに私はどうなると迫った。思わず怒気を含んだ言い方になった。(おのれ)自身でも驚いたけど、父上は冷静だった。

「医は一日にしてならずだ。学べ。少しでも多くの病を知れ。

これからは阿蘭陀人のもたらす医術、医学が唐の教える漢法を上回って世に広まるだろう。

だけど、新しい施術を知るにも薬学を知るにも今までのこと(漢方医学)をしっかりと学ばなければならないのだ。それでこそ何を取り入れ何を捨てるべきかを知ることが出来る。

 其方(  そなた)は、今は先人たちの残した書に学び、患者を通じて実際を学び己の知識・技術を多く磨くことが肝要だ。

江戸に出る機会は必ず来る。阿蘭陀医学が必要とされる時代は必ず来る。

 解剖図から人体の基礎をしっかりと学んでおくことも、ABCD(あーべーつえーでー)の基礎から阿蘭陀語に馴染みを覚えておくことも江戸に上がったときに必ず役に立つ」

 それから一月(ひとつき)経って、母や私や陽助の見送りを受けながら父が出立した。

今度も梅の花の香りが周りに漂い、黄色い菜の花が咲き乱れる卯月(四月)の空の晴れ渡った日だった。

 

 全て父上の言葉を受け入れたわけでは無い。だけど自分ではどうしようもない。正直、そんな不満を心に抱きながらの診察の日々だった。

 葉月(八月)に入って七日。数日夏らしい好天の日が続いていたが、今日は(うま)の刻(午後一時)を過ぎて荒れ模様の天気だ。

強い雨風が窓を打つ。風に飛ばされた何かが施術所のどこかに当たって大きな音を出した。土砂降りの雨が屋根からザーザーと落ちてくる。

 泥水が磐井川の土手を超えないか。このままでは田んぼの水抜きをしなければ青々と育った稲も水に浸って不作になってしまう。そんなことを思いながら外の景色に目をやっていると、後ろから大きな声が掛かった。

「先生!見てけろ。清庵先生は居ねャ(居ない)。他の先生も居ねャべ(見当たらない)早くしてけろ!」

振り向くと、ずぶ濡れの(みの)(がさ)姿の男が一人を背に負い、もう一人の(みの)(かさ)男が動きの無い男の背中を(さす)っていた。

(ゆか)に二人の蓑傘から水滴が(したた)る。二人の足元は泥にまみれた草鞋(わらじ)のままだ。咄嗟に言った。

「如何した、横にしろ、寝かせろ」