小正月を迎える頃の(一関)辺りの連山は人里を離れれば何処も雪山の景色だ。
治作が来た日の五日後になる。目的地の国見山は北上連峰の一角だ。冬山の狩りに初めて挑む私のために天候を見計らっての山行きだ。
重装備だ。普段よりも一枚重ね着して胴蓑に菅笠を被り、足元は脛木に草鞋だ。雪山近くに着いたら藁沓には履き替える。曲げわっぱの弁当と水を入れた竹筒を腰に括り付けた。背中に藁沓とかんじきを背負った。父上も清雄小父も治作も竹筒の中はまた酒だろう。
今日は父も鉄砲を肩にした。私は刺股の形をした棒を持たされた。治作が自分で作ったと言う。ちょっぴり不満に思ったけど仕方がない。
治作の言うとおりに、いざと言う時のために四人とも小刀を懐にした。治作は鉈も腰に括り付けた。小父は藁縄も背負った。獲物を運ぶために使うのだと言う。
雪道に入ると慣れないかんじきに何度か足を取られて転んだ。進む道のデコボコや山の斜面の起伏は見た目では分からない。雪に埋もれて隠れている。
転ぶたびに前を行く父や後に続く小父に手を借りた。杖代わりにしていた刺股の棒の重みも段々と腕に効いてきた。治作が先頭を行く。
「ユックリで良がす(良い)。足元を固めて。踏ん張って。・・ほら、見てけろ(見て下さい)。ウサギの足跡だ」
真っ白な原野に点々と続く小さな穴を指さした。
治作は三人にここで待っててけろ(待っていて下さい)と言う。隊列を離れ、ほどなく一つの栗の木とその近くの一本の雑木の根元に何やらを置いた。それを雪で覆い隠していた。
人里を離れて一刻(約二時間)も歩き続けた。何処もかしこも見渡す限り雪一面の山に辿り着いた。振り返って見た小枝の先も人里も眼下に真っ白だ。雪に隠された田畑が真っ白な原野に見える。その中を北上川も磐井川もまるで広げられた黒い帯のように見える。
「あれが城下の屋根々々で、もう少し行ったら清庵先生の所も藩公の館も見えて来んべ(見えて来る)」
地元の地理を良く知る治作の説明だ。城下を離れた人家は余計に小さく黒く点々と見える。こう見えるんだ、と初めて雪山から眼下に広がる冬景色に感動した。
小父は、今日の大きな獲物は鹿だと勇んで言った。
それから雑木林に入った。雪は一層深かった。治作が一本の木の幹を指さして、これが鹿の付けた傷跡だと言う。樹皮が斜めに剥がれていた。
「獣道だから必ず通る、まだ近くに居んべ(居るだろう)」
その言葉だけで俺は緊張を覚えた。
見渡したけど林立する裸の雑木が黒く広がっているだけだ。傷の残る雑木から十間ばかり離れて大きな杉の木の根本に身を寄せた。
三人は鉄砲の仕掛けを始めた。それを見ているだけで緊張感とワクワクした気持ちになる。着ているものと蓑笠でそれほど寒さを感じない。待つ間にそれぞれが喉を潤した。
四半刻(三十分)経った頃だった。治作が、来た、と冷静に小さな声で言った。治作の目の先の方に目を遣ると、角のある鹿が雑木林の間をゆっくりと横に進んでいた。
思わず唾を飲んだ。ごくりとする音が自分で分かった。
治作が父と小父に目配せをしたかと思うと銃声が立て続けに鳴り響いた。
ズドーン、ドーン。小父が一発目で、父上のが二発目だったと思う。どっちの鉄砲玉が命中したのか分からない。鹿の身体は少し上に跳ねたかと思うと、あっけないほどに前方に崩れ落ちた。後ろに続いていた一頭の鹿が踵を返して逃げていくのが木の陰に分かった。
小父が雪をかき分けて駆け出す。父上が続いた。治作に促されて私も二人の後を追った。
白い雪に鹿の鮮血が色鮮やかだ。首の辺りから血がとめどなく流れ出ている。小父と父上は獲物の前に跪いた。
走り去った鹿の方角に目を遣ると、あどけない顔の小鹿の目と合った。治作が首を縦に振ると、なぜか小鹿は後ろ姿を見せて飛び跳ねるように走り出した。その先に逃げたハズの雌鹿が居た。
治作は鉄砲を構えようとしなかった。二頭の鹿が揃って姿を消した。
夜、囲炉裏を囲みながら鹿鍋だ。治作もお相伴する使用人も女性陣も夕餉の支度をするときから声が弾んでいたような気がする。
酒もいつもより多く用意されたのだろう。(清雄)小父の自慢話が続く。それを伯父も花も笑顔で聞いている。
俺は赤黒く焼けたばかりの鹿肉を頬張りながら、夕闇の迫る中庭で一頭の鹿とニ羽のウサギを解体した時の父上の言葉を思い出していた。
「人は動植物に支えられている。動物にも草木にも生命は有る。最小限の山の恵みと海の恵みで良い。
解体には気を付けねばならぬ。捕った動物から感染する病も有れば食あたりの病になることもある。
これが鹿の心臓、これが腸だ」
内臓を取り出しながら、人間にもあると説明した。
「食べるためには血抜きと洗浄が大事だ。火を通して食べた方が良い」
肉を分割するのと皮を剥ぐのは治作の仕事だった。
治作が木の根元に仕掛けたウサギ捕り用の罠は用を足していた。帰り道にウサギを二羽手にしていた。