稲刈りが終わり、漬け樽等の作業の時が終わると、父上は何時の年も山に向かう。清雄小父も治作も同行する。秋の山菜採りが目的だけど、この時期、ウサギやムジナに混じって鹿やイノシシや熊が出る。狩りが一番の目的だ。
父上は初めて私を山行きに誘った。嬉しい。それだけで顔が紅潮した。
防寒着になる蓑笠に、行く道々の邪魔になる小枝落としのためだと言う鎌に似た刃物を手に持たされた。また、指図通りに山菜入れと弁当箱を兼ねた小籠を腰に結んだ。水の入った竹筒も一緒に括り付けた。父上も同じ身支度だけど籠の大きさが私のより二回りも大きい。
清雄小父と治作はマタギの格好だ。腰の籠は父上と同じだけど、二人は蓑笠に鉈と鉄砲を背にした。
小父は自慢そうに、治作に教えてもらって去年の秋から鉄砲も持つようになったのだと言う。二人は山菜採りと獲物捕りと、父上と私の護衛役でもある。
神無月(十月)も半ばを過ぎた山中は一段と寒い。だけど辺り一面紅葉した雑木林は桃源郷を思わせる。
カエデや山モミジやブナの木の葉は黄緑、橙々、赤と色鮮やかだ。ナナカマドの赤い実と葉の色は殊更に美しい、目を奪われる。
踏む枯葉は静かにサラサラと音を立てて付いて来る。白髪の混じる五十も半ばを過ぎた治作が一番の健脚だ。
父上は時折立ち止まっては懐にした紙を見る。それが去年までの山歩きで書き置くことの出来た山菜やキノコを採る場所の覚書だった。キノコは何時も同じ場所とその周辺に生えてくるのだと教えてくれた。
山の斜面を上り、時には下る。途中、お腹が空いたなと思ったけど栗拾いにもキノコ採りにも、またアケビや山ブドウなど自然の山の恵の収穫に時を忘れた。
腰の籠がかなり重くなった。清雄小父が少しばかり平らな場所を見つけて、そろそろ休みましょうと父上に声を掛けた。既に、陽が傾き始めていた。
大きなブナの木の下で四人揃って腰を下ろした。それぞれが腰にしていた握り飯と、父上が自分の籠から取り出したアケビと山 ブドウの一房を分けて舌鼓を打った。持参した竹筒で喉を潤した。
微かにいい匂いが流れた。私の竹筒の中はお茶で、大人三人の竹筒の中は酒だった。
治作は小刀で自分の足元に穴を掘り一服点けた。吸殻を落とすためのもので、山火事を防ぐための配慮だった。
それから小父と治作が、手にしたキノコと父上の持つ紙の束の絵柄とを照らし合わせ始めた。私の籠と父上の籠の中のキノコも足元に広げた。採れたキノコの種類は多い。シイタケにマツタケ、マイタケ、なめこ、しめじ、しめじの中には紫しめじと言うのも有る。
小父がこれがホウキダケだと言って横に一尺、縦に五、六寸は有るにょきにょきした薄茶色の塊を手にして見せてくれた。見たこともないものだ。だけど似たようなものに毒キノコも有るのだと言う。
三人の(判別)作業を私は見ているだけだ。父上の判断で良く分からないものは捨てることにした。小父も治作も納得顔で頷いている。
父上は足元にもう一つの布袋を置いていた。キノコを取り出すときに大事そうに置いたものだ。
「何が入っていんだか(入っているのですか)?」
「この時期に採れる薬草だよ。保存食にもなるナツメと葛根とカラスウリだ」
取り出して三人に見せてくれた。リンドウやオミナエシ、せんぶりの花の根や茎も採取されていた。乾燥して使うのだと言う。
「口にするまでの処理の仕方や効能は其方もこれから学ぶようになる。家に帰ったら教えるよ」
そう言いながら、懐から民間備荒録を取り出して見せた。耳にはしていたけど私は初めて目にする。興奮を覚えた。山中で目にするとは思いもしなかった。
「上巻には飢饉に備えるために棗の木や栗の木、柿の木、桑の木を身近に植えておくようにと書いてある。また、その栽培方法と、得た実の加工方法に保存、貯え置くやり方まで書かれている。菜種を栽培することの得なことまで書いてあるよ」
小父も治作さんも驚いた顔をしていない。父の携帯は例年のことなのだろう。
「下巻には糠味噌や玉味噌の作り方が書かれてある。また、普段口にすることもない草木の葉を食べるための方法と、その保存方法についても書き記している。
万が一、食べて中毒を起こした時の毒消しの方法も書かれてある。飢饉の世だから余計に役立つね」
煙管から足元に掘った穴に灰を落とした治作さんが言った。
「俺は満足に文字を読めねャ。んだども(だけども)、餓死す(し)そうな人や、水ん中に落っこった人(落ちた人)、凍死す(し)そうな人の応急手当の仕方など、書かれてあるど(と)いう救済方法を、読んで聞かせてもらえした(もらいました)。
山ん中で蛇やムカデ、野良犬に咬まれた時の処置方法は、お役に立つべ(立つと思います」
一段と民間備荒録に興味が湧いた。何故か嬉しくなった、興奮した。家に帰ったら改めて父上に貸してくれるよう頼もうと心に決めた。
それから父上も小父も私も持参した布切れを籠の蓋にした。治作は傍らのカエデの木の色鮮やかな大きな葉っぱを二、三枚採って蓋にした。治作が出発前の一服を点けた。
私もまた竹筒を口にして空にした。まだ冷めやらぬ心を鎮めた。すると、何故か泣いて同行を頼んだ花が思い出された。
出がけの小父の説得の通り、後二、三年もしたら花も連れてキノコ採りだなと思う。
傍にある紅葉の木に小父が手を伸ばした。色鮮やかに赤く染まった小さな葉を二枚手にして私の方を見てニコリとした。
「如何すん(る)の」
「持って帰る。丈作(後の大槻清臣。大槻家七代目大肝煎り、)に遣るよ」
一歳になる小父の長男の顔と小さな手が思い出された。
不意に頭上で鳥の鳴く声がした。キジバトだ。一声残して飛び立って行った。その先に目を遣ると、傾いた陽を背に北上連峰が黒く大きく横たわっている。
あと二月もしたら野も山も雪で真っ白だろう。熊が冬眠した頃に山鳥にウサギと鹿とイノシシを狙って山に入ろう。自分を誘ってもらおう。
四人で冬山に入る楽しみを残すような気がした。
年の暮れに弟、陽助(大槻茂賢)が生まれた。父上と一緒に母上の安産を喜ぶと同時に、人の生命の誕生を不思議に思った。