第六章 十年経って

             一 熊谷君の結婚

「熊谷君が博士課程の後期大学院に進んだ春だから、彼が大学生活六年を過ぎた五月の連休の時だったね。

五年ぶりに高田馬場駅近くの喫茶店で会った。

 彼の次の進学を祝うのと、医学に進んだ私の近況を伝えるためでもあった。夕方に近くになってその近くの居酒屋に飲みに行った。その時に、初めて彼から高校卒業後の進路を変更した理由と経過を聞かされた。

 勿論、恩師岩城先生の郷土にまつわる歴史話に触発されたことは間違いなかった。彼に言わせると、岩城先生の話を聞いているうちに自分で歴史を探りたい、歴史文学をやりたい、歴史学の研究職に進みたいとあの高校三年の春に思ったんだそうだ。

 医師である祖父もお父さんも、そして家族も親戚等の周りの人も同級生仲間も自分が医学部を選択する、医師を目指すと思っている。皆がそう期待している。しかし、どうしても自分は何をしたいのか、何を職業として選択するのか、何故医者になるのかを迷っているうちに、あの岩城先生の吾妻鑑や葛西一族の歴史話だったと語った。

 それからが大変だったと言った。あの年のゴールデンウイークの間に、家族の前で自分の進路選択、目指す大学と学部を宣言して父母も弟妹も驚くと同時に猛反対だったと言う。

 彼のお父さんが、面と向かって言っていないけど自分の普段の仕事ぶりを見せることで(じゅん)が医師の道を選択することを期待していたと語ったのだと言う。彼は、その時まで見たこのない怖い顔をした父だったと言った。

 父と何度か何日か話し合い、口論の末に、結局、()の人生だから、準の情熱を燃やせるものがそれだというなら反対しないと最終的には理解を示してくれたと語った。熊谷君の名前は標準の準の字だ。

 そして彼は、あの高校三年の七月に、友として及川から進路相談を受けたとき、及川ならきっと出来るよと文系の受験を後押しした。そうしていながら自分が重なっている文系志望に進路を変えたこと、歴史文学を選択した事を言わなかった。それだけに及川が自治医科大に入るまで後ろめたい気持ちをズーっと抱えていた、と語った。

 ごめん、という言葉をいただいたけど、むしろ私はあの食って掛かった日に、三月末近くに熊谷君から全寮制で入学金や修学資金の準備を必要としない自治医科大学が有ることを教えられた。その後になって、自分の進路を決めることが出来たのだ。

 彼のお父さんからあの年の五月の連休に自治医科大学がどんなところなのか、医師の目標とするところが何なのかアドバイスを受けた。

 私が受験浪人だったあの年、彼はゴールデンウイークや夏休み冬休みの長期休暇の時には帰郷して私を励ましに顔を見せた。私を勇気づけてくれたし、良い意味で緊張感を持続させてくれた。

 岩手県の自治医科大学推薦入学、学生の選抜試験を受けるときは受験浪人の身だから自分が選ばれるかどうかと相当心配した。しかし、彼は、受かるよ、自信を持てと励ましてくれた。勿論、私はあの浪人期間は来る日も来る日も受験に必要な科目の勉強に集中した。 

 今の私があるのは美希さんの死に直面したことに有る。だけど、父や母よりもアドバイスして支えて呉れた熊谷君と彼のお父さんが居たからだ。感謝仕切れない。

 彼が届けて呉れた学校新聞最終号も卒業証書も、今、私の手元にある。田舎を出るときに持ってきた」

「及川君は良い人達に恵まれたね。良い友人、先輩だ」

「目の前に、君達もいるよ」

             ニ お墓参り

「早いねー。あれから十年になる。大学に入ってからは、後は遮二無二、何が有っても振り返らず医師になるための勉強だった。

先生、先輩に教えを請い、君達同僚と意見交換をして支えられて医者としての道を歩き出した。君らと一緒だよ。

 熊谷君と梨花さんの結婚式の翌日、日曜日には私と司会を一緒に務める京子さん、地元で農業と酪農に励む哲君、それに北海道で獣医として働く佐々木愛さんの六人で美希さんのお墓参りをすることにっている」

「二人の新婚旅行は?」。

「うん、改めて別の日に出かけると聞いている。梨花さんが小学校の先生だから生徒の居ない夏休みとか冬休みを利用するらしい。

 私は日曜日の夜の遅い時間に帰って来ることになると思う。一関までの往復乗車券を買ってあるけど、帰りの時間がまだどうなるか分からないので帰りの新幹線の指定席券は買っていない」

「結婚式の司会進行って、ちゃんとできるの?」

「初めての経験だからね、心配はあるさ。でも、熊谷君とは電話で何回か打ち合わせをしたし、先週の日曜日には大宮駅近くの喫茶店で熊谷君と梨花さん、それに仙台から駆けつけた京子さんと会って打ち合わせをした。

 結婚する二人は今、所沢に住んでいるから武蔵野線と埼京線を継いで一時間程で大宮に来れたと言った」

「もう一緒に住んでるの?」

「詳しくは聞いていないけど、かもね。熊谷君は式場では二人の履歴紹介みたいなことは要らない。二人が現在何をしているかと将来の目標等を披露して、新しく家庭を築く二人を支援してくれるよう参列者にお願いする。そういった場にしたいと言っていた。

 一週間後の七月二日にも東京の池袋のT方会館という結婚式場で二人の結婚披露宴の司会を務める。田舎で親戚を中心に結婚式を挙げるけど、東京では彼の研究職場に関わる人、梨花さんが勤める学校の同僚や校長先生等を招いての披露宴だ。

 司会は田舎でも東京でも千葉京子さんと私だ。二日の日、京子さんは仙台から当日の朝に上京する。

 勤務先の病院も慢性的な人手不足で病棟の看護スタッフの数が運営基準の配置定数ぎりぎりだと言っていた。何処も人手不足は厳しいね。

 夜には帰るからとんぼ返りになると言っていた」

「東京の披露宴にご両親は参加するの?」

「うん、田舎にいる親戚と弟妹は来ないけど、両親は来ると言っていたね。

彼の弟さんは岩手医大に学び、今は我々と同じ研修医の身だ。いずれ代々医師である熊谷家の後継者になるね。

妹さんの方は岩手県のなんと言ったかな?、テレビ局に勤めているらしい」

「及川君も仕事が忙しいから身体だけは大切にしてね。今でも時間外勤務が多いでしょ。

及川君も山口君も僻地医療に貢献するのはこれからよ。(身体を)大事にしないと・・・」

「そうだね。今は研修医の身でまだ大学付属病院と医療センターで診療経験を積ませて貰っているけど、いよいよ来年辺りからは僻地に勤務するようになるね」

「何処に行くようになるか分からないけど、三人とも行った先で頑張るしかないね。ドクター、コトーだ」

「百合さんは島根の推薦だし、山口君は長崎県だね。二人の結婚はいつになるの?」

「付いてきて呉れるか?」

「勿論でしょ、って言いたいけど、僻地の勤務地はお互いに別々になるもの、私達の結婚はしばらく無しね。

でも結婚はするわよ。逃がさないから覚悟しておいて」

 二人は顔を見合わせて微笑んだ。私も笑った。腕時計はもうすぐ正午になる。

「少し休んだら、久しぶりに三人で昼飯食べに外に行こう」

「良いわね。行きましょう。何を食べようかしら」

「私は朝食兼昼食だ。腹減った。及川君の青春賦、動機、聞きごたえがあったよ」

                                              (了)

 

[付記」 凡そ二カ月、この作品をお読み下さりありがとうございました。今年の一月からブログに作品を公開し始め、継続してお読みくださっていた方はこの作品が、前に投稿した「サイカチ物語」の姉妹編であることが分かったと思います。

 サイカチ物語も度々に日に百を超えるアクセス数がありましたが、最高を超えたのはこの作品、青春賦でした。日に197ものアクセスう数(読者)を頂き、ありがとうございました。

 北海道から沖縄県まで広い地域から多くの方がお読み下さっているのは分かっていたのですが、今回、この作品はハワイ在住の方から、またアメリカはカリフォルニア州でお仕事をされている女性医師の方から、励ましのコメントと良いねポイントを頂きました。嬉しい限りです。間もなく76歳になる小生の今後の作品創造の励みにもなります。ありがとうございました。

 投稿した作品は「確認する」で最終確認をしているのですが。パソコン仕様では問題が無くても、スマホで見ると改行がうまくできていない。その修正方法が分からずにそのまま投稿し、スマホでお読み下さっている方には読みずらかった美希の日記だったかもしれません。スマホでお読み下さっている方が半分の方と、アメーバ事務局の解析があり気になっていたところです。小生の電子機器取扱いの知識不足をご容赦下さい。

 

    次回作は、「小説・大槻玄沢抄」を予定しております。前篇だけで400字詰め原稿用紙にして約1300枚にもなりました。

解体新書を現した杉田玄白の所で医業を修業し、前野良沢の所で和蘭語を学び、長崎に遊学して江戸に戻る、一関藩から仙台藩に身を移す、そこまでが前篇です。

 令和3年4月から文献調査等の傍ら執筆をはじめ、この秋にやっと前篇の加筆修正をほぼ終えました。ブログ投稿中に後編を書き終えるつもりで取り組んでいますが、今までの経験から果たしてそこまで行けるかとの不安がありますが頑張ってみます。

後編も既に原稿用紙にして360枚に至っております。まだ寛政3年、玄沢33歳、34歳を執筆しております。

 

 今日はここまでの投稿にさせていただきます。

 明日(13日)に、これまでに読んだ、参考にした文献、図書一覧を掲載させていただきます。執筆するにあたって、この資料が抜けているよとのご指摘、ご指導等があれば幸いです。

 作品の投稿は11月26日(日曜日)からとさせていただきます。