五 それぞれの道

「あの日、どうやって家に辿り着いたのか今も思い出せない。ショックが大きかった。私に年末も年始もなかった。受験勉強どころではなかった。部屋で(ゆか)に座り、机に向かい、ベッドに横になっても、考えるのは彼女の事ばかり。

 楽しかったときの笑顔、すねて頰を膨らませた顔、小さい頃に川遊びの浅瀬で転んでベソを掻いた顔、鬼ごっこの原っぱで突然出てきた蛇に怖いと言って震えた顔、よさこいソーランを踊る美希、朝顔柄の浴衣姿の美希、古城巡りの時の写真に収まった笑顔の美希、闘病中の美希、それらが走馬燈のように頭を()ぎるが、何時も最後は遺影の写真の中の彼女が頭の中にいた。

 そして見ることの出来なかった赤ちゃんが思われた。一日中、何度も繰り返し涙を流した。

 あの時、自分の家で行う正月用の餅つきも、注連縄(しめなわ)を玄関の軒先に飾ることも私は手伝うこともなく、また正月三が日に家族が揃う祝い膳の食卓にも出ず部屋に閉じこもりきりだった。

 冬休みの間に熊谷君や野球部の哲君等が何度か電話をくれたけど私は出ることもなかった。

 長い冬休みが終わり正月も二十日を過ぎて、登校しない、電話にも出ない私を心配して熊谷君が訪ねてきた。明子の案内で部屋に来た彼は、食べるものも食べないで痩せ、無精髭のままの私を見て驚いたと思う。

 大学入試の願書を提出したかと言い、受験対策の進捗を聞かれたりしたけど、私には何もかも無意味に思えて返事もろくにしなかった。

 受験勉強の、いや、受験の合間だったろう、別な日に学校新聞の最終号を持って来て呉れた。しかし、あの時、私は一年掛けて編集を討議した新聞ですら開く気にも見る気にならなかった」

「・・・・。」

 声の無い二人だ。

「二月も末近くになると、誰が何処に就職が決まった、誰が何処の大学に受かった、誰が何処の県に行く、誰が東京に行く、関西に行くと生徒仲間で話題になっただろう。しかし私は、結局何処にも願書を出さず、受験することもなかった。

 毎年三月一日があの岩手県立藤沢高等学校の卒業式の日だ。あの校舎が最後の卒業生を送り出す日なのに、自分が最後の卒業生なのに、私は卒業式も欠席した。私は二度とあの校舎に入ることはなかった、

 卒業式の翌日だった。熊谷君が岩城先生と校長先生の了解を取ったと言って私の卒業証書を家まで届けに来て呉れた。しかし、あの時も私は生返事で、有り難うの言葉さえ言わなかったろう。俺が美希さんを治してやる。俺が美希さんを助ける。俺が治療する、美希さんが亡くなっているのに私の頭の中はその思いで一杯だった。彼がいつ帰ったのかさえも覚えていない。

 今思うと、あの二ヶ月が私に取って美希さんとだけ向き合う、美希さんのことを思った本当の期間だったような気がする。

十年経った今、私はあの時、異常な精神状態に有ったと言えるだろう」

「そうね。及川君の取った行動から見て精神は錯乱状態ね。病的よね」

「特効薬はない。一時の精神安定剤の投与は考えられるけど。それよりも美希さんの死は予測できることだけど、そのほかのことは想像を超えていたね」

「及川君が医師を目指した動機を聞かせてと軽い気持ちで言っていたけど、聞いて、何と言ったら良いのかしら・・・、今は思いつかないわ」

「一気に語ったけど、美希さんの死が医師を目指す動機だった。それは間違いない。だけど、その後の、熊谷君のプッシュも忘れることが出来ないんだ。聞いてくれるか」

「ここまで来て、聞いてくれるか?も無いだろう。是非に聞きたい」

「私も。話は美希さんだけの事だけではなさそうね」

 百合さんが少しばかり笑顔を作って催促した。

 

「三月中頃だった。キャプテンの千葉哲君が私の家を訪ねてきた。地元に残って農業を継ぐことになっていた彼は言わば生徒仲間の中で数少ない田舎での居残り組だった。 

 夢を抱いて故郷を離れる友達が羨ましかったのかも知れない。私の部屋で皆が地元を離れて行くのが寂しいと言った。

 野球部仲間が皆いなくなると言った。バッテリーを組んでいた由利君と佐藤君が東京の大学に進学し、セカンドの菅野君が神奈川県の相模原にある住宅建設会社に就職が決まって行くのだと言った。

 彼が秘かに好いていた佐々木愛さんは北海道大学の農学部に進み獣医の資格取得を目指すのだと言う。

私は相変わらず引きこもりの状態でボンヤリ聞いていた。しかし、哲君から熊谷君がW大学の文学部に進むことになったと聞いて、馬鹿な、なんで医者の道を選ばないんだ、と自分を呼び起こされた気がした。

 病気に苦しむ人に寄り添い治療にあたる医師の仕事の素晴らしさを思い、亡くなった美希さんの治療さえしたいと思い込んでいた私にとって熊谷君の進路変更はまさに青天の霹靂、驚きだった。

 翌週だったね。熊谷君が東京へ旅立つからと私の家に最後の別れの挨拶をしに来た。

 私のことを心配しての訪問だったろうけど、部屋に入ってきた彼に私はいきなり、なぜ医者にならないんだと食って掛かった。

医者を志望していたじゃないか、素晴らしい職業じゃないか、代々医者の家系だろう、経済的にも困ることはないだろう、それを何故無駄にするんだ。可笑(おか)しいだろうと迫った。

 身近に自分のお父さんの仕事ぶりを見ているだろう。子供にも、爺ちゃん婆ちゃんにも町の人に愛され信頼され、どんな時だって診てくれる、往診もする。目の前に人のために働くお父さんが居るじゃないか。病気を代わってやれないけど病気に苦しむ人を助ける。素晴らしい仕事じゃないか。成りたくたって誰もが出来る仕事じゃない。お前に相応(ふさわ)しい仕事じゃないか。そんなことを言った」

「・・・・。」

二人が同時に首を縦にして頷いた。

「彼は、俺は俺の道だ。自分でやりたいことに進む。決めたんだ。一年前、父や母、家族とも話し合ったんだ。及川だって自分のやりたいことにチャレンジするだろう。そのやりたいこと仕事の選択は何時どんな時にそれに気付くか人様々だ。

 目標を決めて進学する人も居れば、大学に入ってから職業を探す人だっている。いや大学や専門学校を終わっても模索し、就職してからも模索し続けて、やっと自分のやりたいことを見つける人だっている。及川だって医者になれるよ。冷静に、そういう言葉が返ってきた」

「それで自治医科大学の制度を知ったのかしら」

百合さんの言葉に、今度は自分が首を縦にした。