四 美希の日記

「私は美希さんが亡くなった日から受験の事など何も考えることが出来なかった。葬儀も終わった翌日、昼前に美希さん()に行った。

 仏壇があればお線香を上げにと言うのだろうけど、棺に手を合わせようと出かけた。ご両親は何時もと変わりなく迎え入れてくれた。

 棺の前の白布の掛かるテーブルは小さくなっていたけど座敷の光景は通夜の日のままだった。

遺影の中のセーラー服の美希さんはふっくらとして微笑み、私に話しかけているようでも有り、死んだことを嘘と思わせるものだった。死を受け入れられない自分がいた。遺影に向いながら泣いた。

 涙で目が曇る中、目の前の白いテーブルの上の胡蝶蘭の鉢の横に日記帳が置かれているのに気付いた。下が2008年とあり、書く人を失った翌年のもので、上が2007年の日記だった。

 十一月になって日記を付け始めた、闘病日記になったと彼女が言ったあの日記帳だ。

躊躇(ためら)ったけど私はそれを手にした。

 日記は十一月十九日から始まっていた。十一月二十二日の所で日記を入手したと書いて有ったから、三日遡って記録したと分かった。

 十一月三十日から十二月五日の病院に戻るまでの間は一時退院を素直に喜び、友達との再会の喜びを記録しながら、三日の日の欄に私の人生って何だったんだろうと書いていた。自分の死をうすうす予測していたのだろうか。

 そして病院に戻った後の六日の日の欄に、見舞いに来た生徒仲間から見舞いの出来る日が三日間と知った。悲しい告知だ、自分の死が近いのだろう、知らなければ良かったと書いていた」

「・・・」

「彼女はその日から自分の死と向き合う事になった。亡くなる日までの約二週間、彼女は死と向き合っていたのだ・・・。

それを知って、あの時、私は読みながら涙を抑えることが出来なかった。

 見舞いに来てくれた生徒の名を日記に記していた。皆の元気が羨ましいと書いていた。

十二月十日の欄だった。背中の痛みも呼吸の苦しさも父にも母にも見せないようにしてきたけど今日はダメだったと書いていた」

「・・・・」

「お母さんが背中を(さす)ってくれたけど、痛みに耐えられず自分でも何とかしてと叫びたくなったと書いていた。

 夜になって岩城先生が見舞いに来た。生徒皆が待っていると残して行った言葉に涙が止らない、俊ちゃん助けてと書いていた。私が見舞う日にした週二日、火、木曜日の設定を、あんな約束しなければ良かったとも書いていた。

 翌日の欄には私と彼女との時間を意識的に作っていたご両親の気配りに気付いて、ありがとうお父さん、ありがとうお母さん、俊ちゃんがこの世で、世界で一番私の(いと)しい人、(あい)する人ですと記していた。

その翌日の欄には、抗がん剤の点滴よりも痛みを止める薬の方が良いと書き、またその翌日の欄には、呼吸が苦しく咳が止らず、当てたハンカチに鮮血が残った。驚きに体が震えたけど、何処か心の奥底に神様が居たと記していた。

そして十二月十四日の欄だった。学校新聞最終号に皆の夢、目標はどう語られているのだろう。見てみたいと記し、今の私は看護師でも絵本作家でも無い。私の夢、天国で俊ちゃんの赤ちゃんを産むこと、と書いていた。

私は驚き、涙が出て、涙が(あふ)れて、それ以上の先を読めなかった。私は、二つの命を同時に失っていたのだ」

「そんな・・・」。

 百合さんの腕にそっと手をかけた山口君が首を横に振った。

 

「私が嗚咽しているのが聞こえたのかも知れない、戻って来ない私を心配したのかも知れない。何時の間にか側に来た小父さんに肩を抱きしめられていた。

 肩を振るわせ嗚咽する私に、小父さんは、読んだのか?、有り難う。美希に最高のプレゼントをして呉れたんだよ。美希はきっと天国で淋しい思いをしなくて済むと言った。

涙が止らなかった。肩が震えた。彼女の遺影の前で小父さんも一緒に泣いた」

 

(参考、美希の日記)

「美希の日記」

十一月十九日。月曜日。 再入院。俊ちゃん、学校休んで手伝う。感謝、感謝。

            涙を見せるお母さんが心配だ。お父さん、お母さん、心配

            掛けてごめんなさい。我がまま言って手こずらせてごめん

            なさい。

            俊ちゃんにもごめんなさいだ。俊ちゃんの「愛する家族、

            俺のために治療はしてくれないのか。」の言葉が胸に痛か 

            った。若いから治癒力がある。やれる治療はやろう。俊ち

            ゃんのあの励ましの言葉に掛けてみたい。生きたい。

             生きたい。元気になりたい。

            父母が帰った後も、私が夕食を摂るまで俊ちゃんは居てく

            れた。有り難う。

             一人、淋しくなって泣いた。涙が出てくる。後から後か

            ら涙が出てくる。何故、私が・・・と思う。

 

十一月二十日。火曜日。 寝付けなかった。ウトウトして夜が明けた。午前中横にな

           る。

           父母が午後二時頃に来て、四時近くに帰った。父母に涙を見

           せてはいけないと思う。治療すると決めたのだ。

            帰り際に振り向いた母の顔が急に老けて見えた。

            学校の帰り、俊ちゃんが寄ってくれた。感謝。岩城先生か

           ら生徒皆に私が再入院したと知らされたという。

           俊ちゃんは、やさしくお休みのキスをしてくれた。