二 約束

 十二月五日。水曜日が美希さんの再入院の日だった。手伝いたかったけど小父さんから、自分達で出来るし、美希が勉強して、と言っていると告げられた。

 

 放課後、勿論、私は町民病院に寄った。病室を覗くと彼女一人だった。午前中の入院から見れば五,六時間は経過している。小父さん達は帰宅していた。

 会うのは、皆が彼女の家に寄った二日の日以来だった。私を見た彼女はベッドの上で上半身を起こそうとした。急ぎベッドに寄り、鞄を床頭台の側にあった丸椅子に投げて手伝った。

 回した左手が彼女の左肩を掴んだけど、いつの日にか感じた弾力が無く、痩せたなと思った。私の左胸に顔を寄せ、そのまま目をつむり唇を突き出した。躊躇(ためら)うこと無く抱き寄せ唇を吸った。それから何を話したろう、余り覚えていない。

 彼女は帰り際になって毎日来なくて良い、週一で良いと言った。受験生である私に配慮してのことだけど、日記に、毎日でも会いたい俺は、話し合って週二回、火曜と木曜日の学校帰りに寄ることにした、と書き残している。

 

「彼女が再入院した翌日だった、十二月六日の日記に、朝のガイダンスの時間に岩城先生からクラス仲間に明日から三日間、日曜日まで美希との面会が許された。ご両親から連絡があったと伝えられた。

 日記には、何がどうしたと言うのだ。美希と話し合って週二回、火曜と木曜日に会う、見舞いに行く約束をしたのに不安だとある。私にはお見舞いの許しが思いがけないことだった」

 

 あの時、熊谷君は八日の土曜日に病室を訪問した。ちひろの絵をもう少し借りると言ってきたと後で聞かされた。また京子さんと梨花さんは花束を持って日曜日に一緒にお見舞いに行ってきたと言った。

 美希さんと一緒によさこいソーランを踊った仲間も金曜日の学校の帰りに見舞いに行っていた。野球部のキャプテンの哲君も行っていた。

 今は落語家になっている高橋元君も、実業団の駅伝で時折テレビで活躍する姿を見せる陸上部の佐藤浩君も見舞いに行っていた。

 あの三日間の後の数日は、顔色が良かったねとか、笑顔を見せていたとか教室で彼女を話題にする声が聞かれた。中に顔が小さくなったねとか痩せたねと言う言葉もあった。 

 それを聞く度に私は複雑だった。誰かに向かって、何かに向かって叫びたい気持ちと、何故美希で無ければならないんだ、何故美希が死ななければならないん(の)だと心が揺れた。

 

「自宅療養の五日間はホスピスと同じだものね」

「そのホスピスの意味するところを、当時、私は曖昧にしか捉えていなかった」

「(病室訪問の)許可は最後の別れだ。伝えた美希さんのお父さんの気持ちは張り裂ける思いだったろう」

「十二月十五日、土曜日。俺は美希との約束を破って午前十時過ぎに病院に行った。

 日記には、気分転換に彼女を屋上に誘い、病室に戻ると熊谷が約束通り来ていた。前日の授業の合間に、借りているちひろの絵を如何(どう)すれば良いんだろう、学校で渡せないし彼女の居ない家に持って行くのも変だし、お見舞いを制限されているし、と熊谷が言わなければ俺は美希との約束を守った、病院には行かなかった。

 熊谷が与えてくれたチャンスだった。美希と少しでも一緒にいる時間が持てた、良かったとある。

 その後に、床頭台にちひろ(・・・)の絵の水色の紙袋と一緒に日記帳があった。美希は何時から日記をつけているのだろう、と書いている」

 

 北風が吹く曇り日だったけど時折青空が見えていた。彼女が再入院した日の帰りに、二人で見舞いは週二日と決めて十日経っていた。前日に熊谷君に相談されなければ私は約束を守っていたろう。明日、美希の所に見舞いに行く。午前十一時には病院にいる、来れるか。来れたら絵を持って来いよと言い、午前十一時と約束した。

 風が冷たかったけど気分転換に屋上に出て陽に当たり、澄んだ空気を吸い込んで彼女と病室に戻ると小父さんも熊谷君も来て居た。

 小父さんはテーブルを前に椅子に座り、お茶を淹れていた。熊谷君はその側に立って居た。

 おう、来たか。と私が後ろから声をかけると、彼は驚いたような顔をして振り返った。

 彼女が今日(こんにちは)はと挨拶した。小父さんは二つ目の茶碗にお茶を注ごうとしていた。熊谷君と私に椅子を持ってきて座れと言った。

一つは目の前に背掛けの椅子が有ったけど、もう一つは床頭台の前の丸イスを指さした。振り向くと彼女がベッドに上がろうとしていた。私が寄ったけど、大丈夫と言い、自分でリモコンを操作してベッドに上半身を起した。

 彼がちひろ(・・・)の絵、床頭台の上に置かせて貰いました、有り難う御座いました、とテーブルの側に立ったまま、クラス仲間でも聞いたことも無いような丁寧な言い方でお礼を言った。床頭台に目をやると、水色の紙袋と二〇〇七年と表紙に書かれた日記帳が見えた。私はあの時、美希さんは何時から日記を付けるようになったのだろうと、そっちの方に気が行った。初めて見るものだった。

 

「それから雑談になった。熊谷君と私の進路など殆ど小父さんの質問に二人が応える形だった。そして、聞いていた小父さんが、若いし夢があって良いと言ったのを機に熊谷君がそろそろお暇しますと言った。

 見ると壁時計が音も無く十二時を過ぎていた。 小父さんはお見舞いに来てくれて有り難うと言いながら、お昼だし、食事をしてから返れと言った。

 私は病院の食堂だからメニューが限られているけど味は良い、一緒に食べようと彼を誘った。部屋を出るとき、小父さんが私にそっとお金を握らせた」

「日記はどうか分からないけど、小父さん?、美希さんのお父さんの、若いし夢があって良いねと言った言葉はぐさりと来るわね。自分の娘の今と比較しているものね」

「えっ。百合さん・・。今の言葉・・。そうか、そうだったのか・・・。鈍感だね。今の今まで私は小父さん自身の思い出の中からの言葉としか思っていなかった」