七 病気の再発
「文化祭が終わって約二週間、十一月十六日、金曜日だね。学校の帰りに、三日続けて学校を休んだ美希さん家を訪ねた。
日記には、休んで三日にもなるのだからバイクの上でいやなことも想像した。だけど、彼女の笑顔を思い出してはそんなことは無いと打ち消した、とあるね。
山口君がさっき口にした通り、彼女の家に行って、小父さんから美希さんの癌の転移を告げられている。ご両親の涙を見た」
十一月十四日、水曜日。美希から風邪を引いたみたいだ、体調が悪いから今日は学校を休む、お父さんの朝の仕事が終わり次第病院に行ってみると連絡があった。夕方にでも連絡をくれと言って携帯を切ったけど、夜になっても連絡が無いと日記にある。
あの日、気にもせず、気を付けてなと言った。しかし、その日の夕方にも夜にも電話が無かった。それどころか翌日の木曜日も金曜日も学校を休んだ。朝の電話も無かった。
金曜日の一時限目の授業が終わった後だった。京子さん達が私の机の前に来て、美希如何かしたの?及川君が知らないこと無いよねと詰問された。
彼女が受診した日にやはり確認の電話を入れるべきだった。それを丸一日何故か油断した。今も何故あの時連絡しなかったんだろうと思うことがある。
あの金曜日の学校の帰り、急かせられるように私は彼女の家を訪問した。秋と言っても田舎はもう冬の一日だから着いた午後四時を過ぎた頃には周りはすっかり暗くなっていた。坂を上るとき、あの一軒家の灯りの中に美希さんが居る。そう思うと、何故か一人で宝物でも探しに行くような気がした。
チャイムを押すと、小母さんが顔を見せた。美希さん学校を休んだけど、どうかしましたか?と挨拶もせずに率直に聞いた。灯りを背にした小母さんの表情は暗くて分からなかった。お入り下さいという言葉に誘われて家の中に入った。
小父さんと彼女の姿が蛍光灯の灯りの下にあった。何時もの掘炬燵には炬燵布団が掛けられ、それ用のテーブルに替わっていた。離れた食器戸棚の前で赤々と石油ストーブが燃えていた。
土間に立つ私に、小父さんが上がりなさいと言った。彼女はズボンにセーター姿だった。居間の片隅から座布団を持ってきて私に席を譲るようにしたけど、そのまま小父さんに近い方に座って貰って私は彼女の右横に席を取った。
四人が堀炬燵を囲むと、小父さんが何か言いたそうで言い澱んだ。彼女が私に顔を向けると、俊ちゃん、と一言言って、癌が転移したのとキッパリと言った。
彼女の顔をまじまじと見た。少し前にバイクの上で頭の隅に浮かんだりした事だったけど、そんなことは無いと打ち消していただけに直接聞かされてショックだった。
転移した箇所は胸壁、胸椎、肺でCTでも腫瘍マーカーでも確認されたと言った。ステージⅣの段階で肝臓への転移も疑われていると言う。
そして彼女はもう治療はしない、毎週点滴を受けに病院に行く必要も無いと言った。それを言う時、少し微笑んですらいた。
私は、そんな、と言ったきり言葉が出なかった。ご両親の頬を涙が伝っていた。病院に行ったあの日からあの時までの二、三日はご家族に取って医者の声は地獄からの声だったろう。どう対処すべきか、親子で何度も話し合っていたと思う。
「今の私達は、本人や家族にどう伝えようかと何時も悩むけど、職業柄離れることの出来ない事だね」
「私はあの時、医者は何をやってんだ、町民病院は何処を見ているんだ、そう思ったね」
「外来に何度か通っていて、改めて告知されると、そう思う患者さんは多いと思う。責任を感じるけど誠意を尽くして精一杯やって、それでも受け入れざるを得ない疾病の現実を私達自身が患者さんを通して突き付けられるのよね」
あの時、沈黙が流れた後、小父さんが経過を話した。水曜日の朝になって、体調が悪い、風邪を引いたと彼女が言う。早退して午後から抗がん剤の点滴もある日だからと学校を休んで午前中に見て貰う事にした。
風邪だろうと思って受診したけど、咳が取れないと言ったら、念のため検体検査、放射線で見てみましょうとなったと言う。あの日は抗がん剤の点滴治療だから二、三時間は掛かる。その後に、結果が伝えられたのだと言った。
帰りの自家用車はどう運転したのか覚えていない。よく事故も無く運転できたものだ。母さんに診察の結果を伝えるのは前のこともあって如何したものかと迷った、小父さんはそう言った。
しかし、話さざるを得ない。ショックの余り小母さんはまた体調を崩して横になり、小父さんは昨日も今日も何もする気にもならないと言った。
聞きながら、私は左手で炬燵布団の中の彼女の右手を握った。言葉を失うってあの時を言うのだろう。私は掛ける言葉も思い浮かばず左手に力を入れるだけだった。
それこそ私自身が小父さんと同じように、あの時どのようにしてあの場を離れ、PCXを運転して自分の家に帰ったのか覚えていない。ショックが大きかった。
翌日の土曜日、私は朝から部屋に閉じこもった。彼女の事を家族に言えず、何もする気にならなくて机の前で泣いた。
朝食を抜いた。昼食を午後二時頃に家族とは別に一人で摂った。家族は私の勉強の進み具合で食事を摂るのもそうしているぐらいにしか思っていなかったと思う。
夕食は食べなかった。食事が喉を通りそうになかった。