「・・・・」

 沈黙の二人に構わず続けた。

「また、政宗の残党狩りでは、処罰を問わず所領安堵を約束するという政宗の呼びかけに旧葛西一族郎党が一縷の望みを託すのは当然でした。政宗は一揆を支援してきたのです、一揆軍の中に伊達の旗印も有ったのですと記述していた。

 その後の記述も大体前に話した通りだね。須江山に葛西一族郎党が集められ泉田(いずみだ)安芸(あき)率いる伊達軍に有無を云わせず皆殺しにされた、犠牲者は百名を超えていたと岩城先生が話した内容の紹介だった。

 あの文化祭の時、伊達政宗の謀略とナデ斬りだって、驚くよな、知らなかった、と廊下で興奮気味に話す生徒仲間の光景が今も記憶に残っている。

 岩城先生に聞かせていただいた話と、あの展示物から葛西一族にまつわる歴史を私は忘れないね。隠されていた故郷の歴史だもんね。

 熊谷君は、ここに約四百年続いた葛西一族は滅亡しました。サイカチ、「葛西、勝つ」にはならなかった、お家再興は出来なかったと記述してサイカチ物語を締めていた」

「サイカチの木、葛西勝つか・・・」

「彼は、隠された町の歴史の事実をやっぱり生徒仲間や町の人々に伝えたかったんだ。学校新聞に掲載しなくてもあの場で自分の目的を達成していた。

 話の内容は岩城先生からでも、それを自分なりの立派な展示物にしていた。そして、最後に今でも宮城県立石巻高校の校歌の中には葛西氏を現わす『三つ柏 葉風さやけく』と歌われています、また同校の校章は葛西氏の家紋である三つ葉柏の葉となっています。正月は門松の代わりにサイカチの枝を軒先に飾る家々が昭和の中頃まで私達の町にも見られたそうです、と紹介していた」

(参考、宮城県立石巻高等学校校章、校歌)

「町の人々にも、生徒仲間にも良い地元史だったね」

「うん。写真は古城巡りに行った三日間の行程表の順番に従って貼り出された。

 米川キリスト教会や佐沼城址、石巻城址碑など歴史に関わる物に、キャンプの楽しさを伝えようとバーベキューで焼かれたリブのアップ写真や神割岬の海と松のある風景、碁石海岸の海に昇る日の出の太陽などを展示した。

 今君達が見ている辺りの写真だね。 

 その写真。展示した二十七枚の写真の張り出しを横に、文化祭が終わった後に京子さんのデジカメで撮った記念写真だ。右側が千葉京子さん、真ん中が佐藤美希さんで左が高橋梨花さんだ。

 あの朝、生徒の人だかりに続いて午前九時半頃だった。校長先生や教頭先生も二階に姿を見せた。サイカチ物語の前に出来た生徒の人だかりに校長先生は驚いていた。 

 例年、文化祭の時の廊下には色テープがぶら下がり、あちこちを短冊や花紙等で作った飾り物や各教室を示す看板と呼び込み用のPR紙しか無かった。その廊下の変わりように先生達は目を見張っていた。

 各催し教室を巡回した後、校長先生がサイカチ物語は十分やニ十分では読み切れない、内容がとても良い。また後の時間に観覧させて貰うと帰りがけに声を掛けて呉れた。私達三人は揃って有り難う御座いますと挨拶をした。だけど、あの後、二日間のどの時間に校長がまた見に来たのか、私は姿を見なかったね。

 美希さんのご両親は文化祭初日の午前十一時頃に来た。彼女が、古城巡りのリーダーだと熊谷君を紹介した。そのすぐ後に私の父母も顔を出した。お昼ちょっと前、約束した通り、帰りがけに父が私に声を掛けた。

 彼女のご両親、私の両親、美希さんと一緒に一階の臨時食堂に行って豚汁とおにぎりを食べた。混んでいて六人が一緒に座る席を確保するのに苦労したね。

 一杯百円の豚汁は生徒にも町の人達にも人気が有る。米は農業科の新米だ。気仙(けせん)海苔(のり)でぐるり包まれたおにぎりは鮭と梅干しの二種類だけだけどコンビニで売っている物より一回りは大きい。一個百円。

彼女のお母さんも私の母も良い味、美味しいと満足を口にしながら食べていた」

「聞いているだけで美味しそう。食べてみたい」

「廃校だものね。幻の豚汁、おにぎりだね。一個が大きいドカベンだな」

「そう言えば、豚汁の豚も農業科が飼っていた豚だ。一頭がそのために犠牲になった」

「あら、可哀想」

少しばかり三人の笑いが漏れた。

 

「初日はそんなところかな。天気が悪くて寒い日だったからね、それが影響したと思う。午後三時を過ぎると途端に来場者が減り、三時半には観覧する人がほとんど居なかった。だけど熊谷君の所に四人が合流して、京子さんも梨花さんも廊下の展示物に人だかりが出来たなんてこの三年間で初めて見たと口々に言った。また、美希さんありがとう、大丈夫?と二人は感謝と心配をしていた。

 熊谷君が明日も期待して頑張ろうと言った。皆で展示物を前に廊下でハイタッチをしたのを覚えている。

あの日、美希さんのために時折休むための椅子やホッカイロを用意したけど、彼女に何事もなく済んで良かったよ」。

 

 文化祭初日の午後には岩城先生の奥様も来た。見学に少しの時間付き添った時、昨夜(ゆうべ)主人から出来映えを聞かされた、凄く賞めていたと言ったのを今も覚えている。

 また、その後に、寄席も終わって改めて見学しに来たゲンちゃんのこともよく記憶に残っている。農業科の高橋(はじめ)君だ。

彼が寄席で演じたままの着流し角帯姿のままで展示物を観覧し始めると、周りは余計に賑やかだった。凄ェー、ちっとも知らなかったと声が大きかったと思うと、おのれ許せん伊達政宗と来場者を前に仕草入りで声色(こわいろ)が入る。笑いが起きたりもした。

 彼は古典落語を一人で勉強していて一年生の時に「饅頭が怖い」、二年の時に「目黒のサンマ」、そしてあの年、「時そば」を文化祭で演じている。あの時点でもう生徒仲間にも町の人達にも人気があった。今は上京してプロの落語家の道を歩んでいる。

 駐輪場まで皆一緒だった。防寒着を着た美希さんは咳もせず大丈夫そうだった。明日は九時十五分だねと熊谷君が言い、集合時間を確認し合った。走り出した私と彼女の乗るPCXの後から、美希ちゃん明日もネー、と梨花さんの声だった。