熊谷君は、葛西晴信はかなわないまでも上方軍と戦う事にしました。その陣立ての記録が残されていますと紹介していた。その写真だ・・ね。
桃生深谷庄和淵村に出陣八百余騎。大将千葉左馬助胤元・登米西郡城主、大将千葉十郎五郎胤永・桃生女川城主、千葉修理亮胤則・登米狼河原城主、及川紀伊守頼貞・登米鱒淵城主、岩淵近江守経平・磐井東山藤沢城主等と有る。
次ぎの写真が、それ。二、桃生軍中津山香取に出陣千七百余騎、大将千葉飛騨守胤重・磐井東山大原城主、大将及川掃部頭重綱・気仙蛇ケ崎城主、千葉九郎三郎胤時・磐井東山奥玉城主等と有る。
もう一つが三、栗原郡高清水の森原山に出陣千五百余騎とあるやつだ。それ、それ。その写真だ。
大将千葉甲斐守胤勝・磐井東山薄衣城主、千葉大膳亮胤村・磐井東山長坂城主、昆野小次郎定住・磐井東山千厩城主等と有るね。熊谷君は君達が手にして見ている写真にある通り四、五十人の武将とお城、館を上げていた」
「記録が残っているんだ」
「誰でも身近な地名が出てきて、凡そ四百年も前にそこに知らなかったお城や館が有った、武将が居たと初めて知ったら驚くよね。凄くない?こんなの初めて知ったよという声が群がる生徒に多く聞かれた。
その側の机には岩城先生手作りの「葛西軍と上方軍 対陣想像位置図(天正十八年八月)」のコピーを置いていた。持って行かないでね。と注意書きもしていた。
葛西軍四千余りに対し秀吉の上方軍は二万を超える大軍。しかも当時の近代的な武具を身につけ戦う専門集団の秀吉軍に対し、昔ながらの古い武具に普段は農林漁業等に従事する俄武士ではかなうハズが無い。
天正十八年八月半ばに合戦の火ぶたが切られたけど余り大きな合戦にはならなかった。お家再興を願う葛西晴信が後々の事を考えて余り抵抗しなかったと岩城先生から聞いた通りに書いていたけど、彼は納得して記述していたと思う」
「成るほどね」
「そしてその後に葛西晴信と伊達政宗との関係を項立にして、葛西氏が滅亡に至る奥州仕置きの裏にあった事実を伊達政宗の謀略としてまとめ、四つ書いていた。
先に話した通りだ。岩城先生から聞かせていただいた歴史話の内容ではあるけれど、それをコンパクトにまとめ生徒仲間や町の人々、読んでくれる人に分かりやすくしたのは彼の努力だね。
見ている写真のどこかに、小田原参陣について我々も近日罷り上がる覚悟とか、出立の談合の話し合いが出来ているのにその後の家臣の中に変心、はなはだ以て奇怪なりとある書状の写真があるハズだ。うん、それだ」
山口君の指さす写真を百合さんが覗き込む。
「また、晴信の重臣に切り崩しを働きかけていた政宗の文書、晴信の甥に当たる葛西重俊に宛てた文書も展示の中で紹介していた。写真のそれ、それだ。葛西流斎へ被下候御書写とあるやつだ。
熊谷君は書状にある弥太郎の「弥」の字は「いよいよ」と読みます。いよいよ晴信当方へ一統のお刷らいとは、葛西晴信は独立大名として対外的に行動してきているのに葛西の重臣重俊が政宗と通じていて伊達への従属を画策していたことを示します、と書いていた。政宗の葛西内切り崩しの謀略が証拠立てられると記述していた。
政宗のマッチポンプの事も読む人の大きな話題になっていたね。政宗は味方のふりをして旧葛西領内で起きた一揆の拡大を煽り、その後に一揆鎮圧に自分が出動する。自分の手柄にする。葛西晴信の後の新領主、木村吉清の失政を浮き彫りにして秀吉から旧葛西大崎領の加増を自分が勝ち取る考え、行動だったと記述していた」
「ちょっと前までは佐藤美希さんと及川君のラブロマンスだったのに歴史話に戻ったね。でも話を聞いていて面白いよ」
「ええ、私も面白い。文化祭の状況も分かって良いわ、続けて」
「熊谷君は佐沼城に籠る葛西・大崎一揆軍の中に伊達の旗差物が翻っていたと古書に記録されていますと書いていた。
また、あの須田伯耆の密告の事も聚楽第の大広間での秀吉の審問の事も書き出していた。政宗の花押のセキレイのコピーも資料として展示していた。うん、写真はそれだね。
資料と言えば、記述の文面に合わせて奥州仕置き前と審判後の時点での政宗の所領図も机の上に置いていた。没収された所が何処か、一揆を鎮圧して領地になる葛西・大崎領がどこか、読んで見てくれる人の理解し易いようになっていた。
勿論、彼は伊達のナデ斬り、須江山の惨劇も伝えていた。政宗は一揆勢を支援していた証拠を消さなければ自分自身の身が危くなった。
また一揆勢を討伐しなければ家臣達に与える土地が無かった。葛西一族の殲滅を図らざるを得なかった。そのために一揆討伐は佐沼城の三重のお堀が真っ赤な血に染まるほどの殺戮だった、政宗の第一の闘将と言われた伊達成実の日記「成実記」には女子供、侍百姓、老若を問わず二、三千余討ち果たした、殺したとある、と書いていた。
成実は城中死骸多く土の色も見えずと書いています、後世に伊達のナデ斬りと言われているのがこれです。佐沼城の悲劇、知っていましたか?と読んでくれる来場者に語りかけていた」
「・・・・」
沈黙の二人に構わず続けた。