第四章 高三の秋(九、十、十一月)
一 バンダナ
「九月十日、月曜日の所に美希さんの髪の毛にかかる騒動を書いてるね。朝、美希が学校を休むと、理由も言わない小母さんの電話に驚いたとある。
それが髪の毛がまとまって抜けた初めての朝だった。
日記には、学校に行く途中、美希の家に寄ってみるよと家族の前で言うと、他所の家の事に早まって入り込む物じゃないと父に窘められたとある。
学校の帰りに彼女の家によって、休んだ理由が髪の毛が抜けるショックだったと解った。ソーシャルワーカーのアドバイスから早急にウイッグを手配することになったと聞いた。
俺は美希が頑張っていることをクラス仲間の皆が知っている、休んだ事の方がどうしたって皆が心配する、抗癌剤や放射線治療の影響でウイッグを使用するようになっても友達は当たり前に受け入れてくれるよと言った、とあの時のことを書いてるね」
あの日は朝から雨だった。明子に電話だと呼び出された。階下にある黒電話に出ると美希さんのお母さんからだった。美希は今日学校休みます、済みません。ただそれだけ言うと電話は切れた。
いつもの坂下で待ち合わせる必要が無いことを伝えてはいたけど、彼女がどうしたのか何も言っていなかった。
どの授業時間にも彼女の事が気になった。学校の帰りに彼女ん家に寄った。
休んだ理由は髪の毛が抜けるショックだった。朝、学校を休むと聞いたとき病院はどうするんだろうと思ったけど、彼女は治療を継続していた。私が行ったとき、付き添ったご両親は美希さんの放射線の治療を待って病院から帰ってきたばかりだった。
小父さんは、美希がショックを受けて今朝は学校へ行くどころではなかったと言った。ひと騒動になったと言った。あの朝、美希さんは髪を解いてかなりまとまって毛が抜けたらしい。すぐ病院に連絡して、ソーシャルワーカーのカウンセリングとアドバイスを受けることになった、その結果、早急にウイッグを手配することになったと語った。
私はあの時、掘炬燵の隣でゴメンなさいと小声で言う彼女に、髪はまた生えてくるよ、頑張って治療していることをクラス仲間の皆が知っている、休んだ時の方がどうしたって皆が心配する、抗癌剤や放射線治療の影響でウイッグを使用するようになっても友達は当たり前に受け入れてくれるよと言った。
「美希さんの気持ち分かるわ。ショックよね。男性が思う以上に女性にとって髪は大切なのよ。ましてや高校生、十七、(歳)でしょ。かなりのショックよ」
「うん。でも及川君の励まし、適切だったんじゃないかな」
「九月二十八日、金曜日に彼女の一ヶ月間の放射線治療照射が終わっている。祝日二日の分の治療が加わって今日が照射の最後だと日記にある。
今日は花柄のバンダナを被っていた、美希は笑顔を見せた。バンダナキャップにヘルメットを被ってはいるけど白のブラウスに紺の制服、スカート、白いソックス姿で通学で見る他の女生徒と変わりは無い。何時もの通り俺のホンダPCXを先に出して、行くぞって声を掛けて出発したとある。
彼女はソーシャルワーカーが奨めてくれた町の美容院のショートウイッグを利用したけど、なじまないと言ってすぐ止めたね。
その日によって花柄、格子縞、勾玉模様のオーガニックコットンのバンダナを被っていた。同じ柄でも色違いという日も有った。その方がウイッグのズレや髪と顔の形を気にしなくて済むと言った。
クラス仲間は最初のうちは彼女のウイッグの色や分け目を話題にしたり、バンダナの柄や色に関心を示していたけど、一週間も経つと誰も何も言わなくなった」
「周りの反応が分かって参考になるね。患者さんに似たような人が居たら、その話もできるね」
山口君の言葉に、百合さんが頷いた。
ニ 初体験
今日は十月初めの三連休初日だ。受験勉強の息抜きだと言って彼女に夕食に誘われ訪問した。出かけるとき、明子は自分が誘われなかったことに不満たらたらだ。
彼女と小母さんの手作りの牛シチューをごちそうになった。小父さんが購入してきたと言う前沢牛は特に美味しかった、と目の前の日記にある。
その後の三週間は、私は受験生らしく勉強に集中した。彼女も抗がん剤の点滴のある日を除いて学校を早退することも休む事も無かったと記憶している。
十月二十五日、木曜日。朝の冷え込みは厳しかった。秋晴れ。岩城先生に提出するとき少し後ろめたさを感じた。先生は、無理をするな、ユックリ休んで早く治る事だ。これから三、四ヶ月が尤も大事な時期だからな、と受験生の俺を気遣い励ます言葉を呉れた、と日記にある。忘れもしない日だ。
あの日、三時限目の国語の授業が終わって、風邪を引いて熱っぽく体調が悪いから四時限で早退させて下さいと、私は岩城先生に嘘の理由の早退届を出した。
美希さんはあの朝、体調が悪くて学校に行けないと何時もの場所での待ち合わせを断ってきた。それが二時限目の授業が終わった休憩時間に彼女から私の携帯に電話だった。
今来て、来られない?と聞くだけで理由を聞いても何も言わなかった。小父さん小母さんは?と聞いても応えがなかった。私は何か思わぬ事が発生したんだろうと、午前中で早退するよ、それで良いか?と確かめて電話を切った。メールではなかった。
PCX を走らせながら、途中、何が有ったんだろうと頭の中は緊急事態を思っていた。庭に耕運機はあったけど、小父さんのカローラはなかった。
チャイムを押すとすぐに彼女が玄関口に出た。花柄のバンダナキャップを被り、腰から下に花柄の前掛けをしていた。
その格好に私は一瞬、アレッて思った。顔色も悪くなかった。ピンクの長袖のポロシャツの袖口に白い粉が付着していた。
私を家に引き入れて玄関の鍵を閉ると、目をつむってキスを催促した。小母さんも居ないらしい。そう思うと私は鞄を傍の床の上に放り投げるように置いて、肩を抱き、キスをした。胸に抱いたまま、どうした?と聞いた。
今朝は本当に気持ちが悪くて学校を休むと連絡した、でも元気になったと言う。ご両親は?と聞くと用事があって十時頃に二人で志津川に出かけ夕方まで戻らないと言った。私は、十時ってことは出かけて三十分しないで電話を寄越したんだ、と考えた。
彼女はお好み焼きが出来るように準備した、一緒に食べようと言った。道々に想像したりしていたこととのギャップに正直、拍子抜けした。彼女は四時限目が終わったらすぐ来てと言った。その通りにして母の作った弁当は手つかずのまま鞄の中だった。
テーブルに向かい合って座ろうとすると、ダメ、こっちと言っていつも小父さんが座っている場所を指さした。彼女は小母さんが何時も座る席に座った。テーブルの上にはホットプレートと、溶かれた粉の中にキャベツとモヤシと青ネギ、天かすが入ったアルミ製のボウルが置かれていた。
暖まったホットプレートにそのボウルの具材を落とすと、豚バラ肉を乗せてねと言った。卵を割ってとも言った。
あとは焼いた後に青のりや削り節に紅ショウガ、マヨネーズとソースで味を取る。そう言う彼女の生き生きとした説明を聞きながら私はズル休みの詮索も止めて段々と楽しくなったのを覚えている。あの時、壁時計が後ろの方でいきなりボンと一つ音を出した。出来たお好み焼きを戯れに美希さんの箸から私が食べ、私の箸から彼女が口にした。
自分ん家で作ったお好み焼きよりも岩城先生の家で御馳走になったお好み焼きよりも、二人だけのお好み焼きが美味しかった。
食べた後、キッチンに立って並んで洗い物をした。あの時になって、初めて彼女のあの日の装いに目が行った。ピンクの長袖のポロシャツの袖を少しまくり、厚手の明るいグリーンの膝上スカート、素足で、スリッパが格子縞の緑と黄色だった。
ホットポットを持って彼女の部屋に入った時、ミッキーマウスの壁時計が二時を回っていたのを覚えている。あの前沢牛のシチューを御馳走になった日にパンダや子犬のぬいぐるみと一緒に本棚の上に見たキャンプの時の五人で撮った写真が無かった。
彼女は部屋に鍵を掛けた。何度かあの部屋に入っていたけど初めてのことだった。窓はカーテンが引かれていた。照明の無い部屋は日が遮られて薄暗い。ドア傍にあるスイッチに手を伸ばすと、彼女はそれを抑えた。そこに立ったまま首に手を回してきた。
抱いてと言う。キスをして舌を絡めた。自分の胸を誇示するかのように何時もより強く私の胸に押しつけてきた。息苦しさに我慢できず唇を離して、美希、と言ったけど声がかすれた。