あの日、美希さんは案内された居間に入ると座布団を前にして私の両親に挨拶をした。いつも世話になっているので宜しく伝えてくれと言われた、と言葉を添えながら箱包みを差し出した。

 父はお礼を言いながらあの朝に出荷した野菜の出来具合を聞いた。彼女は戸惑っていた。収穫したらしい野菜の名をいくつか挙げたけど、言われた物を梱包するだけで善し悪しは分からないよなと私が助け船を出した。

 明子が対面式の離れたキッチンからキャンプはどうだった、皆でバイクでツーリングするって格好いいと言う。

その話は後にしてコーヒーは如何したと私が声を投げた。母は地元の和菓子屋のまんじゅうを一つ皿に乗せて持ってきた。父も母も明子も彼女の病気のことを知っている。三人三様で気を使っていた。

 

 両親の居る前で彼女が明子にお土産だと言って牛のマスコットと俳優滝沢秀明のプロマイド写真を渡した。喜ぶ明子がいつもの通り自分の部屋に誘った。

 しかし、私は、今日は俺に用事があって来たんだ、俺の部屋だと言った。彼女を自分の部屋に誘うのは初めてのことだった。父が母の顔を見て、明子が無頓着なまま私も一緒と言った。

 階段を上ってすぐの部屋が私の部屋だ。彼女は六畳洋間をさも珍しい物を見るように見渡した。目が大きかったのを覚えている。座高を調整して私の椅子に座ってもらった。 

 明子が自分の部屋から椅子を持ってきた。私はベッドの端に腰掛けた。落ち着くと、美希さんは明子に何から聞きたい?と話の矛先を向けた。明子は言葉が出なかった。何時もの自分の部屋と違い私の部屋で私が居るだけで勝手が違ったみたいだった。

 私は何か飲み物があった方が良いねと言った。OK、と場違いな言い方をして階下に下りて行った。その間に美希さんとキスを交わした。

 

 机の上に置かれたオレンジジュースのグラスを美希さんが手渡してくれ、私は一気に飲み干した。明子が椅子に落ち着くと、彼女は、お姉ちゃんの病気の事、知っている?といきなり聞いた。明子の顔が途端に固まった。黙って頷いた。

 緊張を和らげようとしたのだろう、笑顔を作りながら頷き、来週の水、木、二十二、二十三日に一泊二日で入院すると話した。語尾の終わりは私の方に向けられていた。

 入院したその日の第一回目の化学療法で抗がん剤の投与を受け一晩経過観察される。問題が無ければ翌日に退院。そして翌週の二十九日の水曜日から毎週水曜日の午後二時から五時までの間、外来で抗がん剤の点滴投与を二、三時間受けることになる。六ヶ月続くと言った。

 それで毎週水曜日の六時限目の授業は早退だと言った。私は検査の結果が出た八月一日に聞かされた二十二日以降の治療というのはこれかと思いながら聞いた。

 

「これも日記に有るけど、彼女は二十七日の週から約一ヶ月の間は月曜日から金曜日まで一日五分の外来放射線治療があると言ったね」

「うん、それは必要だね」

外科医らしく山口君が頷く。

「当時の高校生の私に解るはずもない、美希さんの髪の毛がどれぐらい抜けるのか、脱毛がどの程度になるのか、気になった」

「個人差が大きいから脱毛の程度ははっきり言えないけど、男性でも女性でも気にするのは変わらないね。

ウイッグで対応出来ます、暫くすれば再生しますと安心感を抱かせるように説明するしか方法はないね。何か余程のことがなければ実際に元に戻るのだから」

 

 山口君の言葉を聞きながら、あの日の美希さんの言葉を思い出した。髪の毛だけの問題ではない、病気そのものだった。彼女は、私と明子の前で、直るならいくらでもお医者さんの言うとおりにするよと言った。

 あの時、美希さんは主治医の先生に話して放射線治療の開始時刻を午後四時に設定して貰ったと言った。七時限目の授業終了時刻は午後三時三十五分だった。四時なら外来に十分に間に合うし授業にも影響は無かった。

 彼女はその放射線治療を受けた後の不安を口にした。一ヶ月間、学校の駐輪場を出る時刻を四時十分にして一緒に帰るようにして貰えないかと言った。

全然問題ない、六時限授業の日でも七時限の日でも図書室を上手く使って待つよと応えた。

私は脱毛の事も考えていた。一日(ついたち)の日に美希は尼さんになる、(かつら)を使用することになると笑って言ったけどきっと心の負担になっている。そう思った私はあの日のうちにネットで抗がん剤治療と脱毛の関係を調べていた。

 今では当然の知識としてあるけど、あの時のネットでは治療開始後一、二週間で脱毛が始まる。軽い刺激でも毛髪が抜けやすい状態になる。シャンプーやブラッシングでもかなり抜けると解説されていた。

彼女は明子の前では副作用で頭の毛が抜けるということを口にしなかった。

 明子は放射線治療が一ヶ月続くことと、抗がん剤の点滴治療を週一とはいえ六ヶ月もしなければならない事に驚いて、どうしてもしないといけないの?と言った。

彼女は直るならいくらでもお医者さんの言うとおりにするよと言った。

それを聞いて私は思わず、直るさ、と口調が大きくなった。それで明子の希望したキャンプの話は何処かに飛んでしまい、明子は下を向いてしまったのを覚えている。

 

 あの時、外は音を立てて雨が本降りになりだし雨粒が時折ガラス窓を打っていた。

八月のお昼時だというのに日当たりのいい部屋が薄暗くなっていた。そこへドアをノックして母が顔を出した。お昼だと伝えに来て、美希さんに冷や麦だけど一緒に食べて行ってねと言った。壁時計は十二時を少し回っていた。凄い雨。その言葉を残して戻って行った。

 母が顔を出しただけであの場の重くなりかかった空気がまだしも救われたような気がした。それが記憶にある。

 

 あの日、昼食が終わると明子が、今度は私の部屋に行こうと美希さんを誘い連れて行った。私は父と母に午前中の彼女の話の内容を聞かせた。そして、雨が小降りになったタイミングで彼女を家まで送って行くと言って自分の部屋に戻った。

机に向かったけど、集中できなかった。二時半を過ぎたところで明子の部屋のドアが開き、また来るね、という彼女の声が廊下でした。私は顔を出し、送っていくよと声を掛けた。

 外に出ると雨は小降りになっていた。歩きながら彼女は小さい頃この道で結構遊んだねと言った。明子がお姉ちゃん()に良く通ったよと言った。私は魚取りも泳ぎもみなこの道、この川だよと言ったのを覚えている。

 あの日、道路から三メートル程低い小川は水嵩を増して川幅を広げ、普段聞くことも無いゴーゴーという音を出していた。道路の冠水まであと四、五十センチのところを流木混じりの泥水が流れていた。

 家に寄っていかないかと誘いがあったけど、この後、雨がどうなるか分からないから今日は帰るよと言った。明子が何か言いたそうに私を見たけど無視した。

 美希さんが手を振りながら坂を上って行くのを見送って帰りの途についた。

途中、明子が下を向いたまま、美希姉ちゃんどうなるのと聞いてきた。どうなるもこうなるもこれから治療が始まるだけだと応える言葉に力が入った。何を考えていたのか分からないけど顔を上げて、そうだよねと言って明子が前を向いた。

雨脚がまた強くなり出し、急いで帰ろうと急かした。覚えている光景だ。