最後に行ったのが花泉町の()(ろう)城址。そこで美希さんに驚かされた。到着は予定時刻より遅れて午後六時四十五分と日記に在る。

山並みに陽は沈んだけど周りはまだ明るかった。二桜館の歴史や本丸等の広さを語る案内板の近くに、菅笠(すげがさ)を被り赤い前垂(まえだれ)に赤い着物を羽織った六地蔵が祭られていた。

「最後に行ったのが花泉町の()(ろう)城址。六地蔵はあちこちの寺で見ることがあるよね。ただそれは、民話とは切り離されている。

()(ろう)城址の登り口に六地蔵が祀られていた。案内板には笠地蔵の民話は全国に四カ所ありますと断り書きした上で、この花泉に伝わるのがその民話の一つだと伝えていた。その伝承を主張する町が近くにあったなんて思ってもいなかったよ。

 熊谷君がこういう民話のことも学校で聞いていたらもっと郷土愛が湧くよと言った。同感だったね。

 岩城先生もこれがあるって言わなかった、と京子さんが言いながら一体毎にお地蔵さんに手を合せだし四人が続いた。

その後の六地蔵にまつわる美希さんの解説に驚かされたよ。

 私が一番最後に、最後の六番目のお地蔵さんの前でこのお地蔵さんの笠はお爺さんが被っていた笠かなと言った。

すると彼女が、ここではきっとお爺さんが被っていたのは菅笠だった。だけどお爺さんが被っていたのは手ぬぐいで、笠が足りなかった分お地蔵さんを頬被りにして上げたと伝承する地域もあるよと言った。

 

 テレビで見たのはどっちだっけと京子さんが言い、美希さんは更に詳しい話を続けた。お爺さんが町に売りに行ったのは最初からお爺さんとお婆さんが造った菅笠と伝える所と、お婆さんが造った子供の遊び道具のカスリ玉をお爺さんが町に売りに行って売れずに途中で菅笠を売りに来ていた行商人と物々交換をした。

 それでも結局、笠も売れなかった。正月のモチ代も手にできなかった。その帰る途中、雪の降る中で寒そうにしていたお地蔵様に菅笠を被せてあげた。そう伝えているところもあるよと言った」

「あら、それ、見たことがある。日本昔ばなしよね。確かにカスリ玉と菅笠の物々交換よ」

「私も見ているね、頬被りにしてあげた記憶もある。

 良い番組だったから母に言われなくても毎週土曜日夕方七時、始まる前から(いもうと)(おとうと)とテレビの前に座っていたね」

「私もテレビを見てた。美希さんは、その夜にお爺さんお婆さんが寝ていると家の外で何か重たいものが落ちた音がした。戸を開けてみると家の前に米俵や野菜、魚など様々な食料、小判が山と積まれていた。

 お爺さん、お婆さんは六体のお地蔵さんが去って行く後ろ姿を目撃したと語り、私が、お地蔵様の贈り物の御陰でお爺さんお婆さんは良い新年を迎えることが出来たと続けた。

 すると美希さんは、お地蔵様が贈り物を家に届けるのでは無く、お爺さんお婆さんを極楽浄土へ送り届けたという伝承の所もあるよと言った。

 私も皆も思わず、えっ、となったね。

 梨花さんが、それって残酷。年を越せなかった老夫婦が餓死したってこと?、どう解釈すれば良いの、そう言って本当に顔を曇らせた。

 美希さんは、花咲か爺さんは良いお爺さんと悪いお爺さんの話、舌切り雀は夫婦でも心優しいお爺さんと欲張りなお婆さんの話、善と悪の図式を対比的に使っている。 

それと違って笠地蔵の話は貧しい老夫婦が清い心でお地蔵様に菅笠を被せてあげ恩返しを受けたと言うもの。純粋に正しいことをするものは救われるという仏教思想が根底にあると説明した。

 京子さんが、凄い、美希ちゃん、何時そんなこと勉強しているのと言った。あの時、皆と同じように驚きながら、何時(いつ)か私に話してくれた彼女の絵本作家になるという夢と、彼女の部屋の本棚を思い出していた」

 

            二十一 美希の依頼事

「古城巡りから帰って二日目、小雨のぱらつく中、約束した十時に美希が来たと日記にある。

 美希さんは一人っ子で、私の妹の明子と小さい頃から本当の姉妹のように遊んでいた。育っていた。親同士もJA、農協を通じて仲が良かったしね。

 明子にお土産を渡す用も有ったけど、自分の治療に掛かる今後のことで私に頼みたいことを伝えに来た。

私の部屋で私と明子を前に、八月の二十二、二十三日に一泊二日で入院すると話した。

 入院したその日の第一回目の化学療法で抗がん剤の投与を受けて一晩経過観察になる。問題が無ければ翌日に退院。翌週の二十九日の水曜日から毎週水曜日の午後二時から五時までの間、外来で抗がん剤の点滴投与を二、三時間受けることになる。六ヶ月続くと言ったね。

 それで毎週水曜日の六時限目の授業は早退になると言った。私は検査の結果が出た八月一日に聞かされた二十二日以降の治療というのはこれだなと思いながら聞いた。

 アルコール分が含まれているので点滴の後にバイクの運転は出来ない、終わった頃にお父さんが病院まで自家用車(くるま)で迎えに来ると言った。それで私にお願いがあると言った。

 朝の農作業に忙しい父に代わって毎週水曜日の朝、六ヶ月間は通学に私のバイクの後ろに乗せて欲しいと言う。

勿論良いよと応えた」

「点滴にアルコール成分・・・、そうだね」