「須江山の登り口も屋敷の私有地の奥からだったね。山頂までは斜面を三百メートルぐらいのものだった。
桑島さんが言った通り細い山道には木の枝がはみ出し、雨や風に倒れたらしい古木が苔むして行く手を遮っている所もあった。雑草が膝丈まであるところもあった。
だけど急勾配も無く、登るのに特に困るようなところはなかった。むしろ、通る林間が殺戮の場だったのではと思うと涼しさを誘う木陰が余計に暗く深い森に見えた。
途中にサイカチの木が有ったよ。葛西氏再興を願って、ここに葛西の家臣がいると家の門柱、玄関、軒下に飾ったという、「葛西、勝つ」をもじった木の実物を見たよ。棘があって二、三十センチもあるさやに豆の実が入っていたね。
頂上らしい開けた所は五メートル四方ぐらいだった。岩城先生に聞いていたけど須江山の惨劇を今に伝えるものは何も無かった。桑島さんが言うように人々に忘れ去られていくのだろうかと感傷的な気持ちになったね。
だけど、四百年前に須江山の草木を血に染め殺された人々がいたことは紛れもない事実だ。今では泉田安芸の配下に政宗の命を受けてローマに渡り、当時のローマ法王に謁見したという支倉常長が居たこともハッキリしている(慶長遣欧使節派遣)。常長はその後クリスチャンに改宗しているね。
当時、私は大学に進学したらもっと詳しく調べて見たいと思った。今は熊谷君がそれをしているね」
「W大の職員って言っていたね。将来、准教授、教授への道?」
「多分そうだろうね。あの頃から歴史の研究に情熱を持って取り組んでいる」
「今、何処に住んでるの?」。
「小平市。西武新宿線で学校のある高田馬場に出るには一本だからね。便利だ。上京してからズーッとそこに住んでいる」
私はあの時も今もあの須江山に葛西氏と伊達氏の恩讐を超えて墓碑の一つも有ったら良いのにと思っている。奥州制覇の野望とか恰好よく評されるけど政宗も先祖伝来の土地を秀吉に没収され、新たな所領の確保に必死だったろう。
「私はあの時、お線香を持って行った。須江山の惨劇を先生に聞いた三人が同じ行動をしていたね。
梨花さんが、なるほどそういうわけかって小さく笑い、美希さんがお盆だしねと言ったのを覚えている」
青い空に高く延びて行く紫煙を見ながら、私は時を超えて焼香しようと言った。美希さんがまだ封を切っていないお茶のペットボトルをその側に置いた。
「あの山頂で私は熊谷君に、桑島さんから最後に何か質問あるかと聞かれて質問しそうでしなかったのは何だったと聞いた。
彼は昭和十五年に葛西大崎家尽士の三百五十年慰霊祭が行なわれている、それに関連する集まりが今も続いているのか聞きたかったと言った。
時間が出来たら自分で調べて見る、今日は時間が無いから質問を止めたと言った。彼の探究心に驚いたのを記憶している」
あの時、山を下りるときにお線香の灰に土をかぶせた。そしてその周辺に美希さんが提供したお茶を供養のためにと私が撒いてペットボトルを空にした。
「その後に行った石巻の日和山城址は鎌倉時代に葛西氏初代葛西清重が城を築いたところだ。本殿も立派だったけど、色んな経緯があったんだろうね。
同じ敷地内に天満宮から八幡宮、お稲荷社があったのには驚いた。梨花さんが、色んな神様に一遍に用を足すねといったのには笑った。
境内からの石巻湾の眺めも良かった。青い海に行き交う船、潮の匂いだったね。それから牡鹿半島に廻った。半島を走り出して二キロぐらい行った所だったと思う。熊谷君が路肩に停車して、カーブがきついだろう、制限速度四十キロだけど三十キロで行かないと危ない、対向車も多いし中央線をはみ出して事故ったらヤバイ、安全第一で行こうと言った。
皆が納得したね。道路は狭いし、海辺よりあたかも山道を走っているような景色だった。
キャンプ場を目の前にして御番所公園というところに寄った。そこは半島の先になる。小高い丘から視界が三百六十度だ。目の前に広がる青い海と転々とする島々に感動したね。
着いたキャンプ場には炊事場も洗面所もシャワー設備もあった。テントは借りた。初めての体験に何から何までワクワクした。
二枚目だね。二日目は丸々海沿いの道をツーリングする計画だった。走行距離が約二百キロ、時速四十キロにしても約五時間の運転になる。
だけど、初日の皆の運転技術から疑問符が付いた。熊谷君主導で事故の無いようにと予定を変え、カーブが続く海沿いの道を避けてコバルトラインと呼ばれる半島の真ん中になる整備された道を選んだ。
それで日程表にある午前中の女川原子力PRセンター見学は諦めた。
熊谷君の事前調査力というのか、受験生なのにあの時点でも彼の歴史学傾注にも驚かされたよ。雄勝湾を過ぎたばかりのコンビニの前で彼が地図を広げて指さした所を見て驚いた。
日程表には地名が出ていないけど、地図には北上川カッコして追波川とあった。葛西晴信の時代、一五七、八〇年代頃に私達の町の大籠地区で製鉄産業が始まっている。その原料となる砂鉄を採った一つの場所として岩城先生の話に追波川が出て来た。
その追波川が今の北上川の下流になって太平洋に流れていた。地名表示にも追波があり、その側に中州が有った。砂鉄を採取し易かったかもとそんなことを想像したね。
神割崎キャンプ場に寄って昼食にした。午後は大谷海岸で海水浴。海水浴は予定時間より超過した。砂浜で余計に遊んだね。
それから気仙沼お漁いちばで夕食材料を購入した」
「夏に、ツーリング。キャンプ、そして海。いい思い出ね」
「あの古城巡りで走行している時が私と美希さんの二人だけの時間だった。
初日も二日目の朝も、三日目の朝も私は運転しながら彼女に愛してると言った。美希さんはそれに応えて愛してるって言いながら、いつも私の背中に頰をこすり付けてきた」
「及川君の青春ね。御馳走様です」
「やっぱり良いな。ツーリングか。気ままな一人旅でも良いね。想像しただけでも行ってみたくなる。バイクの免許取りたくなったよ」
「あら、私は連れて行かないってこと?」
「あッ、いや、気の合った者や恋人と二人なら話し相手が居て、なお良い」
「無理しなくて良いわよ」
目の前で二人が顔を見合って微笑む。こちらこそご馳走様だ。