あの時、二人のやり取りする声が聞こえたらしく小母さんが居間側から引き戸を開けて顔を出した。聞かれて、彼女は皆でキャンプに行く、キャンプ場探しと天気予報を調べていると応えた。それを聞いただけで、私と目が会った小母さんは軽くお辞儀をして引き戸を閉めた。それも覚えている。
検索ツールに岩手県内のキャンプ場、次に宮城県内のキャンプ場と入れた。海が見えるところが良い。夏だから入浴施設が整っている方が良い。二人でそう言いながら四つ星の評価点が付いた大船渡市の「碁石海岸青少年キャンプ場」と、石巻市の牡鹿半島の先端に位置する「おしか家族旅行村オートキャンプ場」を宿泊候補に拾った。
熊谷君の誘いに一緒に行くというだろう京子さんの意見も想定してこの二つを選択した。「碁石海岸青少年キャンプ場」から「おしか家族旅行村オートキャンプ場」までの海沿いのコースはツーリングにもってこいだと思った。京子さんが喜びそうに思えた。
次ぎに長期天気予報を検索した。通過するだろう一関や陸前高田、石巻などの天気予報を検索したけど、みんな週間天気の予報ばかりだった。
でもさすが農協だった。この先二十五日間の天気予報JAとあった。農作物の育成管理等のためにはこれくらい先まで知りたいよね、と二人で顔を見合わせて笑ったのを覚えている。
日記には、ホームページから拾ったその日毎の予報、天候、気温の高低、降水確率、風向きを目の前の日記に記録してある。家に帰って書き置いたものだ。
検索した地域は何処も八月十一日の土曜日から十六日の木曜日までは晴天で、連日三十度を超える天気とある。十七日は一日雨で気温が急に下がる。十八日には最高気温が急に二十二、三度まで下がるという予報だ。
あの時、十三日から十六日までを選択するしかなさそうだった。十一日のよさこいソーラン発表が終わるまでは京子さんも出かけられない、美希さんと条件は同じだなと思った。
キャンプ場の予約が必要かなと言う彼女に、テントもテントを張る場所もどうなっているのか、水と火の確保はどうなるのか、シャワー施設があるのか色々聞いておいた方が困らない。後で熊谷君と調整して予約を入れる際に聞いてみる、巡るルートで利用するキャンプ場も変わるからねと言ったのを覚えている。
そして、天気予報と二つのキャンプ場の紹介・利用方法のデータを二部プリントアウトして彼女と一部ずつ持った。
三時半近かったと思う。彼女の部屋に戻ってすぐに熊谷君に電話した。幸い彼はすぐに携帯に出た。古城巡りに行くよと私の意思を伝えて、彼女と予想した日にちと調べた岩手県南と宮城県北の天気予報、それにキャンプ候補地を一気に伝えた。
彼は、明日、美希さんを学校まで送ったら、その後、俺の家に来いよと誘った。行き先を決めるにもツーリングのルートを決めるのにも地図とネットを使う必要があると言った。彼の言うように行き先とそこまでの距離と所要時間、見学の時間。食事と休憩を取る場所と時間等を考慮してキャンプ場を選ぶ必要があった。翌日、彼の家で打ち合わせをすることにした。
あの日、美希さん家を出たのは午後四時を過ぎていた。その夜に食事が終わってから、初めて父と母に彼女が若年性乳がんで長期治療が必要になったと話した。妹の明子もまだ食卓テーブルの前にいた。
朝から三人が揃って町民病院に行ってきたこと、美希さんの治療方針が決まったこと、治療の内容が抗がん剤の投与と放射線の治療であること、その頻度がどうなるのか、彼女から聞いたことを話した。
父は、驚きながら両親は如何してた?と聞いた。元気がないように見えたけど淡々としていた。そう応えると父は、この間、旦那の方からまだ若いのに米川の義姉さんが亡くなったって聞いたばかりなのにと言った。
私は、美希は死なないよ、馬鹿なこと言うなよって思わず声を大きくした。
それから私は家族に、明日から野焼き祭りで踊るよさこいソーランの部活のため学校に行く美希さんの送迎をする、家を朝八時半前には出る、熊谷君や何人かの友達と十三日から二十日までの間に二泊三日でキャンプに行ってくる、行く日も行き先もまだ確定していないと言った。
父は勉強の方、大丈夫かって言ったけど、母は美希さんのことに戻って、大した事無ければ良いけどねと言った。大した事有るから、皆、心配しているんだと言いたかったけど自分の不安を現わすだけのことだ。驚いて大きく目を見開いていた明子が記憶にある。
私はお茶を手に二階の自分の部屋に行った。