午後一時前に携帯が鳴った。彼女からだと分かると、昼食の途中だったけど自分の部屋に戻った。階段を上りながら、転移は無かったと聞いた。それだけでもホッとした。

   化学治療って抗がん剤の投与のことだと言うことも、その投与期間も、また放射線治療の一日約五分も、丸坊主、尼さんになるも自分の部屋に戻って机の前で聞いた。そして今、何処から電話してる?と聞いた。

   彼女の電話は家に戻って自分の部屋からだった。私はこれから行こうか?と言った。あの時、六ヶ月かかろうが一年かかろうが直れば良い。元気になれば良い。彼女の家にすぐ駆けつけたいと思った。会いたい気持ちに強く駆られた。

   そして、彼女は化学治療の開始を夏休みが終わる二十日以降にしたいと主治医の佐藤先生に要望していた。八月二十二日からって了解してくれたと言う。そして、その後のキャンプに行こうと言う彼女の提案に驚いた。

   京子さんや梨花さんも誘えばきっと行くと言う。それを聞いて私はやっぱりこれから美希の家に行くよと言った。しかし彼女は、明日朝八時半、坂下のいつものところで待っている。送迎お願いしますと言った。授業があって登校する普段の日よりも四十分遅い待ち合わせ時刻を指定した。

 

   あの日、私は中断していた昼食を済ますと、結局、一時半頃彼女の家に行った。小父さん達も昼食を終えたばかりだったと思う。居間に彼女の姿は無かった。ちょっと前まで私と電話をしていたのだ。自分の部屋だろうと思った。

   小父さんが診断結果を話してくれた。彼女から電話があったと言わないで聞いた。話が一段落すると、私に出来ることは何でも手伝いますと言った。小父さんはありがとうと言い、美希は今、部屋だよと言った。前に彼女の部屋に入ることを許した小父さんは元気づけて欲しいという気持ちもあったのだろう、誘導するような言い方だった。

 

   ノックして返事のないままドアを開けた。ベッドの上に体を横たえていた。病院に行ってきたときのままの服装なのだろう白いシャツに紺のスカート、白いソックスだった。背中の後ろに何か入れているらしく上半身をやや高くしていた。来るのを予想していたかのように驚いた顔を見せなかった。

   私がベッドの側に立つと、上半身を起こして右手を伸ばし、私の左手を握った。私はそのまま彼女の目線に合せようと(ひざまず)き、自然とキスになった。

  すると梨花さんと京子さんから立て続けに電話が来た。彼女は二人に応えながら。癌が外に転移していなかったことを強調していた。今後の治療方法等の事を話し、明日からよさこいソーランの練習に参加すると言った。野焼き祭りで踊るメンバーから絶対に外さないでよと言う。一緒に踊ろうと言う梨花さんの声が携帯(電話)から漏れて聞こえた。彼女は(朝)九時に遅れないように行くと言っていた。

 電話が終わると美希さんは私に、十一日の土曜日でよさこいソーランは終わる、キャンプの日程を立てなきゃと言った。顔を見ながら、本当に行くのか?体は大丈夫なのか?って聞いた。平気。大丈夫よと言うと、キャンプだもの天気の良い日に行った方が良いよねと言った。

 よさこいソーランの本番が十一日の土曜日。夏休みが十九日で終わる。その間は僅か八日しかない。折角行くんだから二泊三日。それで天気の良い日を選ぶって結構大変かもと言いながら、彼女はネットで調べてみようと言った。

 

「美希さんは化学治療の開始を夏休みが終わる二十日以降にしたいと主治医の佐藤先生に要望して、八月二十二日から始めましょうと了解を取っていたね。

 自分としては治療の方法等に急かれる気持ちがあって彼女を心配して訪問したのだけど、冷静になると、あの時、治療方針について私が言えることは何もなかった。(おの)ずとキャンプに行く日程調整に行ったようなものだった」

「うん?。それでどうしたの?。手術した美希さんを連れてまさかキャンプ計画を立てた、キャンプに行ったんじゃないだろうね」

「そのまさか何だよ。無知と言えば無知。怖いことを何も考えなかった。若かった。

 リンパ節を切除して一か月足らずでバイクでツーリング、キャンプ場使用の計画を立てたのだからね。

二泊三日のキャンプに行った。主治医の佐藤先生だって、化学治療の開始を夏休みが終わる二十日以降と許可したのは患者さんにどうしてもの所要があるからとしか考えていなかったと思う」

 

 彼女の部屋から廊下に出て目の前の座敷の障子を開けると、その左奥の方に木製の袖無しテーブルの上にパソコンが置かれていた。その右横のスチール製の棚の上にはプリンターが有った。パソコンの置いてある二畳ほどの所は板の間になっていた。

 昔はタンスなど家具を置く場所だったのだろう。パソコンの左横の木製の黒い引き戸を開ければその先が土間のある居間になるという位置関係だった。畳は二十畳もあった。

 床の間があり違い棚のある脇床もあり、床の間と脇床の左右には天袋付きで襖が建てられていた。座敷に入るときの障子の左横が書院造りにもなっていた。あの座敷を見て、家にも歴史のある家なんだなって思った。

 私がパソコンの前の椅子に座った。行き先を決めるのに熊谷君の考えることも想定した。葛西一族関連の地域と言えば岩手県南から宮城県北になる。

 一関から大船渡沿線で気仙、陸前高田市の方。合戦の場になった佐沼城、登米市寺池の方と石巻。二泊であることを前提にしてキャンプ場を気仙と石巻辺りで調べることにした。