「丸一日間を置いた土曜日に美希さんを見舞っている。経過観察に問題が無ければ予定通り十八日の水曜日に退院と聞いてるね。日記にある。
彼女は翌日から学校に通える。ただ、オートバイの運転は無理だと主治医の先生に言われた。小父さんの自家用車で通う事になるけど、私のバイクの後ろに乗せてくれないかと言った。構わないけど外来はどうなる?と聞いたと書いてる。
それから・・・、退院一週間後の二十五日に傷口の治り具合を診る診察がある。切除した標本の病理結果が出るのが八月一日、その外来に、どなたかご家族と一緒に来て下さいって言われた、病理診断の結果とその後の治療方針の相談があるって言われた、そう言うと彼女はそれまでの口調を変えて明るい声で七月三十一日までは無罪放免よと言ったと書いてある。
そして、よさこいソーランの練習、出来るかな?と言った。私は無造作に考えることもなく、止めとけと言った。それで彼女は顔をそむけた。
足下の方の布団に目をやっていた顔を上げると、ズーッと病気と向かい合っていろって言うの?と言った。涙が頬を伝っていた。肩を抱きゴメンと謝った、と日記に残しているね」
「術後の経過、診療日程としてはその辺りだろうね。ゴメンと謝ったのは青春だね」
あの後、美希さんは私の胸から頭を離すと思い出したように、この間の日曜日、一日の先生ん家での話ってどうだった?聞かせてと言った。
私は三月の春休みに熊谷君と岩城先生の家に行って初めて知った町の人々に見られる氏、姓の話から話した。
先生の岩城も美希の佐藤も地方豪族の姓で、千葉や及川、熊谷、畠山、小野寺等の姓は平泉藤原四代を潰した後に所領を貰ってこの地域に下向してきた鎌倉幕府の御家人達のものなんだって。それだけ言うと、彼女は凄い話ね、私達のクラス仲間の殆どが千葉、及川、小野寺、熊谷、畠山の姓でしょ、俊ちゃん、鎌倉のお侍の出なんだと言った。
藤原氏滅亡の後の奥州の治安と復興を手がけたのが葛西清重。清重は所領として江刺、水沢辺りから東に陸前高田、大船渡、西に一関、栗原、南に石巻、女川辺りまで貰った。彼は藤原氏討伐の後の奥州総奉行だった。この清重から四百年も続いて葛西一族がこの町と周辺を治めて居たんだと言ったら、私や熊谷君が一等最初に驚いたときと同じように、伊達じゃないの?と言った。私は頷いただけで話を続けた。
天正十八年、一五九〇年。豊臣秀吉から私達の町一帯の土地を納めていた葛西氏十七代葛西晴信に小田原北條攻めに参加しろと書状が届いた。だけど晴信は参陣しなかった。そのため天下統一を目指していた秀吉の奥州仕置きによって葛西氏は所領没収になった。滅亡する。しかしそこに、実は伊達政宗の隠された謀略があった。そう言って岩城先生から聞いた話をかいつまんで十分、二十分話した。
葛西一族が歴史から消えたことを一気に話すと、彼女は初めて聞くことだと驚き、聞いているだけでも疲れたらしくベッドに横になった。点滴の残量が無くなりそうになっていたのを覚えている。
その後に、熊谷が夏休み期間中にツーリングで古城巡りをしないかって誘ってきた、もともと先生ん家で先生お奨めの行ってみた方が良ってとこ何処ですかって俺が聞いた。熊谷には、一応、受験生だから受験勉強との兼ね合いだなと返事したと言った。
そしたら彼女は自分のことに置き換えて申し訳ないと思ったらしい。私が時間を取って、心配かけて、ごめんなさいと言った。また余計なことを言ったなと返事に詰まった。
そして、あの後、佐藤さん、お食事でーす。といきなりドアが開いた。右手にトレーを持った看護師が、あら、ごめんなさい、と言う言葉とは関係なく入ってきた。玄関の昇降口で会った看護師だった。トレーは代わりに私が受け取った。
美希さんのベッドの左側に立つと、良かったわねーと言って点滴の袋を交換して出て行った。トレーにはご飯と味噌汁に鯖味噌とか、ほうれん草のおひたし等が載っていた。美希さんは点滴を打っている側からベッドを降りて、右側に回って床頭台の前に座ると言った。
上半身を起こすのを手伝うとき、はだけた浴衣から右胸の白い膨らみと当てられたガーゼが目に入った。ベッドを降りるときには開いた左足のため右足の白い太ももの内側が見えた。目の前に彼女の顔があった。私は身を固くした。私の肩にすがっていた彼女の手が私の首に回り、そのまま長い間、彼女の口を吸った。
ラーメンを食べて三階の食堂から戻ると、彼女のご両親がベッドサイドにあった丸イスに座っていた。少し前に長いキスを交わしたばかりなのに怖じけることも恥ずかしくもなく応対する自分に、あの時、自分でも驚いた記憶がある。
目の前にご両親が居るのに、美希は私が守る、そんな思いでいた。彼女の足下の方の布団の上には赤と紺の朝顔の花をあしらった浴衣と赤い帯が置かれていた。
小父さんが無事に手術が終わって良かった、来週の水曜日には退院できる、と彼女に先に聞いていたことを言った。
ご両親に挨拶をして、学校で待っているよと言って病院を後にしたとき、腕時計は午後一時半を回っていた。