十二 若年性乳がん

「家に帰ると私は部屋に入ってすぐパソコンを開いたね。検索項目を若年性乳がんに変えて検索した。幾つかの回答が並ぶ中で、若年性乳がんについて知りたい方へ、特徴や原因を知り早期発見に繋げようと書かれていたのを選択した。

 日記に書いてあるけど、目次に一、乳がんとは、二、若年性乳がんの原因、三、早期発見するためのポイント、四、まとめ、とあった。調べた中で一番分りやすそうだった。

 女性にとって恐ろしい「乳がん」とあり、乳がんは四十代から六十代の発症率が高いが十代、二十代、三十代でも発症する人が年々増えてきているとあった。

 前の日に私が中途半端に調べた中に十代、二十代の乳がん患者は無かった。あの日のものには若年性乳がんの殆どを三十代が占めているとあった。あの時私は、美希さんの場合は特異な例ということになるのかな?と思った。

 若年性乳がんは進行スピードが速い。発見したらすぐ第二ステージに突入していたり腫瘍が大きいとあった。

十年前になるけど日記には若年性乳がんのしこりは平均二・九センチと書いているね。

 進行が早い分、自己発見が多い。若年性乳がんは片方の乳房だけに発生することが多い。身内に乳がんを発症した人が居れば発症の確率が高く遺伝的要素が強い。肥満より痩せ型に多いとあった。

あの時、美希さんの状況と一致するところが多かった。 

 しこりの大きさ四センチを思うと一層不安になった。癌の原因、早期発見のポイントを書き写しながらどうすれば良い?と日記に自分の心情を吐露している。

 あのネットの説明で一番気になったのは、若年性乳がんは進行スピードが早いということだった」

 

 あの日の夕食は父がいつもより早く帰って来て早めの六時ちょっと過ぎだった。妹の声かけで階下に下りると、食卓の父は大好きな天ぷらを前にして梅干し入りの焼酎をお湯割りにして飲んでいた。昨日の岩城先生のところでの話はどうだった?と聞いてきた。

 先生の所で聞いた葛西清重、葛西一族の奥州下向、そして葛西一族の滅亡、伊達政宗の謀略、藤沢の町へのキリスト教伝来の謂れ等の話をした。

 高校に入ってからは父との会話も途切れていたけど、あの時、話が受験勉強の進捗状況にもなったりして久しぶりに自分の近況を語ることにもなった。しかし、あの日の彼女の発病の事を父にも母にも言わなかった。しばらくは誰にも言わないで欲しいと言った小父さんとの約束を守った。

 九時過ぎに部屋に戻ってネットでW大学の学部紹介を開いた。選択に政経学部と商学部しか頭になかったけど文学部を開いてみた。その中に英文学とか仏文学とかロシア文学とか専門的に自分が進みたいコースを選択出来るようになっていた。

日本史コースの演習テーマが古代、中世、近世、近現代とあり魅力を感じた。外に東北大学や他の大学の文学部も調べてみたけど気に止まる所は見当たらなかった。文学部もW大学だな、そう思うと私は初めて目標とする進学先が決まったような気がした。

 消灯してベッドに横になると、父との会話も学部検索も忘れて彼女のお父さんの頬を伝う涙が最初に思い出された。

美希。焦点の定まらないまま天井を見て私は彼女の名を口にした。彼女の手を両手で包んだ時のことを思い出して涙が出た。涙が止まらなかった。

 

「翌朝、彼女が学校に行くのか行かないのか、どうするんだろうと思いながらPCXを走らせた。彼女はいつもの所で待っていた。嬉しかったね。

 私はバイクから降りてカブの傍に立った。大丈夫かと言うと、彼女は学校に行くことにした。その方が楽しいものと言った。小母さんは如何した?と聞くと、お父さんが()ていると言う。私は、カブに跨がったままの彼女の口を吸った」

「青春」

百合さんの声だ。微笑んでいる。

 

 あの日、駐輪場に着くと自転車通学の小野寺君が声を掛けてきた。お早うと応じながらヘルメットを脱ぐ私に、大変だぞ、陸上部の佐藤、昨日の夕方、事故った、と言った。  

 思わずエッと声が出た。前日の放課後に昇降口で見た佐藤君の姿が頭に浮かんだ。毎年秋に行われていた男子生徒全員参加の十キロ校内マラソンコースの折り返し点の関田橋から戻る途中、見通しの悪い坂道のカーブのところで反対方向の千厩町に向かっていた乗用車とぶつかったのだと言う。

 救急車で町民病院に運ばれたと聞かされた。ケガの程度が判らないと言う。あの時、校舎への坂道を上りながら人数が揃わない野球がダメ、ケガ人のでた柔道部もダメ、そして陸上もダメ、と地区大会への参加が遠のいていく現実の出来事にイヤな事が続くなと思った。

 

 授業が終わったら美希さんと一緒にすぐ帰るつもりでいたけど、彼女はよさこいソーランの練習に参加した。図書室で待っているよと言った。

 小さな高校の図書室だ。三方に二列の本棚が並び、真ん中と窓際の一角に閲覧台が有るだけの普通科教室の広さの図書室だ。同じクラスの芳賀俊郎君一人だけが居た。

 彼は殆ど毎日授業が終わると図書室を利用していた。何時か彼に聞いたとき、家に帰っても自分の部屋がない弟妹達と一緒では受験勉強をしづらい、だから図書室の閉まる午後六時までは利用するのだと言っていた。 

 私は彼に再調査の趣旨を説明して、アンケートの再提出を頼んだ。場所のせいか自然と小さな声になった。だけど思いがけない言葉が返ってきた。

 なぜ再提出しなきゃいけないんだ。まだ分らないから未定と書いたんだ、それ以上の何物でも無いと言った。外に誰も居ないせいか声は大きくてきつい言い方だった。

 私は趣旨を説明したのだ。それ以上何も言えなかった。もう一度、協力を頼むと言ってすぐに彼の居る場所から離れた。

 離れた窓側の席を確保して芳賀君の言葉の意味するところを考えてみた。そういえば俺はどうなんだ。提出した回答に商社マンなんて書いたけど今は違う。歴史学なのか歴史文学なのか、職業としては何と書くんだろう。そう思いながら私の将来の目標は本当の所は何なんだと自問自答した。

 美希さんが図書室に姿を見せたのは閉まる六時に近かった。部活で身体を動かしてきたせいか顔に紅が差していた。体に影響しないのかと声を掛けると、大丈夫、何も変わらないと言った。芳賀君は少し前に退室していた。