「入院は手術前日、乳房温存で右の脇の下のリンパ節切除、入院期間は一週間程度、その後一週間は外来受診と安静が必要。
術後二週間程度で切除した標本の病理検査結果が出るので、その後に治療方針を改めて相談することになる。明後日の水曜日にベッドを準備できます、という町民病院の先生の説明を受けながら小父さんは気が動転して入院日を決められなかったと言った」
「私達は淡々と説明するけど、患者、家族の側から見たら何もかも驚きだものね」
「無理も無いよ、自分の事よりも自分の娘、息子、子供の事となると、親御さんは余計に気が動転するよ」
「告知の仕方って、私達は慎重に、しかも気を使っているけどその度に緊張するね」
「あの後、彼女に誘われて彼女の部屋に行った。部屋に入ると体をぶつけてきた。キスを何度繰り返したろう。それから彼女は右頰を押しつけたまま私の胸の鼓動を聞いていた。私は彼女の左耳に初めて、愛してると告げた」
「カッコイイ、最高の薬よ」
山口君が科学的根拠はないけどね、と言いながら百合さんの言葉に相槌を打って顎を引いた。目を私に向けたままだ。
あの時、小父さんは入院を一週間待って貰うことにしたと言った。それを聞きながら彼女の左手を握る右手に自然と力が入った。美希さんは俊明君を部屋に連れて行って良い?、少し二人で話をしたいと言った。少し驚いた顔を見せた小父さんだったけど間を置いて、俊明君が良ければ・・と言った。
それで彼女は、あの日初めて私の方に顔を真面に向けた。腫れぼったい瞼をしていた。立ち上がるときも、部屋から縁側に出たときも先に立って歩く彼女の左手は私の右手を離さなかった。
部屋に入ると体をぶつけてきた。キスを何度も繰り返した。前日とは違って彼女の体の温もりを腕にも手のひらにも指にも感じることができた。
それから感情を抑えることが出来るようになった彼女は右頰を押しつけたまま私の胸の鼓動を聞いていた。
「ベッドの端に並んで座り、前日のネットで知ったたばかりの言葉で、乳がんのステージ(進行状況)がどの辺になるのかと聞いた。
聞きなれない言葉だったとおもうけど、彼女ははっきりと言ったね。
腋窩リンパ節レベルがⅡの転移ありという診断でⅡB期に当たる、リンパ節の切除が必要だと説明された。腫瘍の大きさ四センチは中程度。石灰化が広がっていないから乳房温存手術が可能。術後に放射線治療をすることになる。必要なら薬物療法も行なうようになる、そう語った。
そこまで言うと、病院の場面を思い出したのか、その先のことを思ったのか、乳房切除は絶対イヤだと言い私の胸に縋り付いてきた。
肩を抱き占めるしかなかった。しばらくそのままでいたけど彼女が不意に体を離し、私の右手をつかんで自分の右胸に押しつけた。この辺りだと言い、見る?と聞いた。
返事を待たないで白いシャツのボタンを胸前から外し始めた。その彼女の両手を私の両手で包み握ったまま、愛していると言い、今は良いと言った。
私を見つめる緊張した瞳も顔も純粋に綺麗だった。胸を見たいという邪推の気持ちが無かったと言えば嘘になる。
だけど私は自分の胸の鼓動を感じながら、頭の片隅で小父さんの信頼を思っていた」
「うーん。及川君、歩く道を間違えたわね。表現が上手い。作家になるべきだったんじゃない?」
「おい、おい、茶化すなよ。及川君がマジで話して(い)るんだ。医者を目指す過程の青春賦さ。誰にでもある体験じゃないから、黙って聞こうよ」
「ごめんなさい。茶化してるんじゃないの。ヒロイン?、女性だったらどこかに自分が主人公で悲劇の女性を演じる、そういうヒロイン願望って有るのよ。
及川君の表現の仕方が女性の心をくすぐるのね。話を途中にしちゃってごめんなさい。続けて」
私は思わず百合さんを見て、それから山口君を見て、黙ったまま首を縦に頷いた。
「私達は今、患者さんに症状等が出るまでの経過等を聞いたりするだろう?。あの時も同じように聞いている。症状に気づいたのは何時、知るキッカケきっかけがなんだったのかを聞いたね。
一ヶ月前の六月初め頃に入浴しようとして脱いだブラジャーに血が混じったような跡があって浴室で乳頭を障ってみた。その分泌物だと分ったと言っていた。
その痕跡があったのは一度で、その後の生活では普段のブラジャーの着脱の後にも入浴の時も何もなかった。病院に行く一週間前ぐらいにその分泌物が三日続けて見られるようになってお母さんに相談して町民病院に行ったということだった。
部屋を出るとき、私は、一緒だよと言った。一緒に病気と闘う、そういう思いだった」
あの時、居間に戻ると小父さんの姿が無かった。彼女はお母さんの所だろうと言った。寝室に当たる和室が居間から右奥に続いていると言った。