あの日、腕時計は正午を回っていた。美希さんの連絡が遅いのが余計に気になっていた。先生は古城めぐりに佐沼城址と須江山、石巻城址、唐梅館跡、案内板に城主千代竹丸十四歳、須江山で謀殺されたとハッキリ書かれていると言う大原城址などを挙げた。最後に私達の町の館山に有る亀ケ城の話にもなったけど、その古城の規模や広さよりもあの館山にある句碑に関わる江戸時代後期の高橋東皐の説明に驚かされた。
東皐は田舎に在りながら与謝蕪村の俳号の春星を受け継いだ程の俳人だった。自分達の知らない郷土の偉人、歴史をまた知ることになった。
先生は、古城巡りは歴史を知るだけでなく風光明媚なリアス式海線の青い海と白い波、断崖絶壁、緑濃い松林に癒されると言った。私は熊谷、古城巡りもいいねと声を掛けた。返ってきた言葉は佐藤さん遅くないか?だった。彼も気にしていた。
それで電話をしてみると言ってベランダに出ようと立ち上がったら学生服の内ポケットで着信音が鳴った。
彼女より先に、どうした?皆待ってるぞと言うと、時間がかかったから今日は失礼する。先生に済みませんと謝ってくれということだった。体の方は大丈夫か?って聞くと、大丈夫と言う。
京子さんと交代しても、心配しないでと言っているのが漏れて聞こえた。京子さんが、美希さんは来られなくなったと先生に報告すると、先生は頷いて、皆、お腹すいたろう、下に行こうと言った。奥様が用意をしているという昼食の誘いだった。三人で顔を見合ったけど、京子さんが立ち上がると私も熊谷君もその後に続いた。
食卓テーブルの真ん中に大きなホットプレートが据えられていた。その周りにあった具材や調味料からお好み焼きを作るのだなと分かった。奥様の指示で私と熊谷君が焼き担当だった。スープはバターの匂いが漂うオニオンスープだった。
話をしながら食べよう、それでいいんだと先生が言った。
京子さんが、先生、オートバイの免許を取りました、といきなり報告した。熊谷君が何時取ったの?と聞くと、一昨日取ったばかりと応えた。それで金曜日に休んだんだと彼が言い。ズルかよと私が言った。最初含み笑いをしていた先生が声をだして笑い、バレたね。で、免許取る急ぐ用事があったのかと聞いた。
彼女はゴールデンウイークに熊谷君と私と三人で気仙沼に行った時のことを話した。後ろに乗せて貰って風を切る爽快さと広がる海の景色を見たとき絶対免許を取ろうと思ったと言った。反対する両親を説得したと言った。
美希がカブの先輩だから色々話してみようと思っていたけど今日は残念です、と美希さんが来れなくなったことをフォローする言い方もした。
「昼食はお好み焼きだった。奥様が用意してくれた具材を卓上コンロのホーロー鍋で自分達で焼く。及川君はお好み焼きだけでは足りないかもね?おにぎりも作れる、スープのお代わりもある、と言った。
私は、要りません。その代わりお好み焼き全部食べますと言った。皆に小さな笑いが生じたけど分量に美希さんの分も入っていたのかも知れない。ゆっくり食べましょうと奥様の声が優しかった」
「良い奥様ね。いい先生。高校生時代に先生の家を訪問するなって、そもそも私は考えたことも無かった」
「私にもないね。先生とはあくまでも学校の中での交流だった。勉強の事でも進路指導でも部活でも、学校でのこととしか考えていなかったね」
「生徒が休みの日に家に押しかけたら先生も休まる日が無いものね。及川君達の場合はきっと例外ね」
「うん、かもしれない。田舎でのんびりしたところ、刺激が余りないところ、そういった環境で熊谷君や私の行動を許せる部分と言うか、岩城先生ご夫妻が受け入れてくれた面があると思う」
十 初めてのキス
「あの日の帰り道、美希さんの家に寄った。初夏の時期、町を外れると私の田舎は田畑も野も山も緑だ。
近寄らなければ水面が見えないほどに稲も育っている。山間の畑には茄子やキュウリ、トマト、大豆など丈のある緑にレタスや小松菜などの緑の畝が広がる。収穫期を迎えた小麦の黄ばんだ畑も混じる。
キリスト教会入口の標識が右に見えてくる。そこを通り過ぎて宮城県側になる平山牧場入口の立看を過ぎると彼女の家が左手に見えて来る。
家は舗装された県道から外れ、斜めに緩やかな坂道を三十メートル程上った所にあった。平坦な土地に築二百年以上になる大きな造りの家が美希さんの家だ。
周りは畑で茄 子やトマト、枝豆、トウモロコシなどの畝がかなり先の方まで続いて見える」
「聞いていると田園風景が浮かんできそう。及川君の田舎、やっぱり行って見たいね。私の島根の生家辺りも田畑が広がるけど、また違った風景、野菜畑みたいね」
「私の育った長崎は坂また坂で、何処からでも振り返れば港が見える、船が見える。島が見えるで、二人の景色とは全く違っている。
海の見える港町ってのも良いよ。時折、外国船が入港し、青い海に白い大きな船体が浮かんでいる景色は絵になる」
「うーん、そっちにも行きたい。欲張りかしら」
「ズーっと勉強、勉強、臨床、研修のこの十年だったからね。それでもこういう話が出来るようになったんだから少しは気持ちにもゆとりが出来たということなんだろうね」
山口君の言葉に、私は首を縦にした。
「ごめんなさい、途中で言葉を入れちゃって。話を続けて」
あの日、コーヒーを御馳走になって帰り道に着いたとき、腕時計は午後三時半だった。まだ青空が広がり、陽射しが強かったのを覚えている。京子さんは、先生に貰ったばかりの秀吉軍に対抗する葛西氏方の陣割一覧のコピーを大事そうに手にしていた。
町に戻る途中、熊谷君が古城巡りをしたいねと言った。京子さんが、二、三日、夏休み中に行ってみない?美希も誘ってツーリング、と応えた。自分で言いだしていながら彼は即答しなかった。
私は行っても良いなと思いながら美希さんの名前が出て、医療相談の結果が余計に気になり出した。行くとも行かないとも口にしなかった。
二人と別れて学校の駐輪場に着くと、陽が周って屋根の部分からはみ出していたバイクの後部は熱くなっていた。当然、あの朝に横に停めた美希さんのカブは無い。彼女ん家に途中寄ってみよう。そう思いながら学生服を脱いで後ろの荷台に括り付けた。
彼女ん家に着くと、家屋の右側になる空き地に耕運機とタウンエースと彼女のカブがあったけど小父さんのカローラは無かった。そこにPCXを停めて玄関口に回った。
「彼女ん家は玄関口の左横に植え込みが続き、庭があってその先がガラス戸の入った縁側になっている。ガラス越しに来訪者が見える。
私の玄関口での二度の声掛けに、縁側から美希さんが顔を出した。ガラス戸を開けた彼女に、どうした、大丈夫かと声を掛けて庭に回った。バイクの音がしたから私だと思ったと言った。
彼女の格好にちょっと驚いたね。あの朝に見た白シャツに細めの黒ズボンの姿とは違っていた。襟にピンクと黄色の小さな花柄の刺繍をあしらった白の半袖ブラウスに緑と黄色と赤のタータンチエックの膝上スカート、黒いストッキング姿だった。
ちょっと前まで一緒だった京子さんの淡いピンクのシャツに緑のスカート肌色のストッキングの姿よりも大人びて見えた。