「及川君の実際の三者面談はどうだったの?」
「うん、二週間後に有った私の三者面談には父が参加してくれたね。父に事前に言っておいたけど、あの時、私の将来は商社マンか銀行員だった。
岩城先生が希望校のW大の政経学部は厳しいかもしれない、商学部も併願した方が良いと言われた。W大学の外にも経営学部とかそれに関した大学、学部を選択しておく必要がある、と日記に書いているね。
あの時点では、夢にも医者になるなんて思ってもいなかったよ」
ニ アンケートの回答状況
「日記だと六月二十七日、水曜日の放課後、予定通り新聞部の部活に参加している。その終わりの時になって顔を見せた岩城先生に奥州仕置きで葛西晴信、その一族がどうなったのか、熊谷君と一緒にまた先生の所にお邪魔していいですか聞いているね」
あの年、六月二十七日、同級生全員に実施したアンケートの回収状況を三人で確認した、三十八人全員が回答したとある。
あの時、調査依頼書の下三分の一のところに切り取り線を入れ二十のマス目を設けて回答用紙兼用で配布したのに、広告紙の裏を使って回答したものも有った。
また、女子生徒の回答にはカラフルな用紙が混じっていた。熊谷宛に個人的に相談に乗って欲しいというもの、卒業したらズバリ交際して欲しいと添え書があるのも有ったのを覚えている。
日記には、「将来は分かりません」「未だ見つかっていません」「未定」「なるようになるさ、将来は無限大」の回答をみているうちに、(私は)商社マンと書いたけど本当にそうなるか分かったもんじゃないって気持ちになったと書いてある。あの時の実感だったなと思う。
途中から顔を見せた岩城先生に、未定等の回答の取扱いについて相談した。先生は正に将来の夢、目標だ、何々の方向に進みたいとか何々に携われたらとか、そういう分野を示す書き方で、その前段に「未定」とか「まだ決まっていませんが」を入れる、と新聞に掲載する方法をイメージしながら言った。
それで該当する生徒に一度交渉してみたらどうかとアドバイスを受けたのを覚えている。
「日記だと、五時半を過ぎていた。俺は先生に間もなく小田原城陥落ですね。奥州仕置きが始まる前ですよ。伊達政宗と葛西晴信の運命やいかにの季節ですねと言った。先生が声を出して笑った。熊谷はすぐに、先生、期待していますと続いたとある」
三人一緒に学校の坂道を下った。私はあの時、なるようになるさ、将来は無限大という佐々木良二君の回答が一番心に響いていた。俺達の年齢で将来をこうする、ああするなんて言える奴は極少数だ。俺も熊谷も京子も生徒仲間ひとり一人が将来は無限大なんだ、そう話しながら駐輪場まで下ったと日記に書いている。
「日記だと二日後、金曜日。野球部の練習の帰り、七時半を過ぎていたけど職員室にまだ岩城先生が残って居た。
日曜日、一日にお邪魔していいですかと聞いて承諾を貰った。連絡したら熊谷も京子も一緒に行くと了解した。
先生の家に十時。赤坂神社前に九時四十五分集合だ。楽しみだ。今からワクワクする。先生は俺の耳元に受験勉強もお忘れ無くと囁いた、良い先生だ、と書いてる」
三 伊達政宗の謀略1
「日曜の朝、出かける段になって佐藤美希さんからの電話だった」
「あら、やっと、サトウミキさんの登場ね。どんな字(を書くの)?」
「サトウは普通に佐藤、ミキは美しいに希望の希だね。今日、出かける予定があるか?って聞いてきた。
隠す必要もないから、日曜日だけど(午前)十時の約束で岩城先生の家に行く。新聞部の部活の一環だから熊谷と京子と一緒だと言った。日記を見なくても当時のことを覚えているね。
この町の歴史に伊達藩の前に鎌倉時代から四百年も続いた葛西一族があった。その隠れた歴史を先生が話して聞かせてくれることになっている。美希や私の住む大籠地区にもかかる歴史だよと教えた。
美希さんも関心が沸いたみたいだね。鎌倉時代から四百年と言ったら・・江戸時代も前、町に残るキリシタン弾圧の歴史より前ってこと?、古いってこと、と聞いてきた。そうだと応えて、それから用事は?と美希さんに聞いた。
彼女は町民病院に行くと言った。日曜日なのでどうしてと思いながら、体調が悪いのか?って聞いた。
病院の先生との約束で医療相談になっているという応えに大したことないなと思った。でも小母さんが付き添って一緒に行くことになっていたと聞いて、私が一緒に行こうかと言った。
彼女は大丈夫、先生の所に十時に行くのなら町まで一緒。病院の予約は十時だから町まで一緒に行ける。駐輪場まで一緒だねと言った。
私は、多分、先生の家に二、三時間は居る。医療相談が終わったら先生の所に来るか?と誘った。先生の話は私達が知らない、聞いてビックリするようなことが多くて面白いよと言った。
行ってもいいの?と聞く彼女は熊谷君や京子さんに了解を取らないとねと言う。赤坂神社の前に九時四十五集合となっているから、そこで二人に私が言うよと言った。彼女はそれから出かけても病院の予約時間には間に合うと言った。
家を出たのは午前九時十分過ぎ。学校に通うときと同じように彼女の家の坂下の道で一緒になった。学校の駐輪場にバイクを並べて駐輪した。
二人と約束した赤坂神社の前に着いたのは私と彼女が先だった。間もなく京子さんが来た。
美希さんが町民病院に行くのだと知ると、付き添ってあげないのとちょっぴり批難めいた言い方だった。
私は、彼女が大丈夫だというんだ、診察が終わったら連絡呉れるって、先生の家に後から来るよと言った。
そして熊谷にも京子にも了解をとらないとねって彼女が待っていたんだと言った。
京子さんは了解なんて要らない。それより先生の家、分かる?って聞いて、その後、女性二人だけの話になったね」
あの日、熊谷君が一本道の町中の遠くから手を挙げて自分の存在を知らせ、目の前に来るとまた右手を挙げて三人に向かってお早うと言った。アレ?って顔をしたのを覚えている。
京子さんが、美希は病院。後で先生の所に来ると言い、何処か悪いのと聞く彼に余計な事は聞かないのと言った。美希さんは後で連絡すると言って町民病院へ向かった。