あの時、奥様がタイムリミットと言った時には、壁時計も私の腕時計も午後五時を過ぎていた。先生が、よし、終わりだと言った。京子さんが、有難うございましたと言い、今日は折角の休日なのに済みませんでしたと熊谷君が奥様に言った。
私は、先生、今度奥州仕置き、葛西・大崎一揆の話を聞かせて下さい、お願いします、と次のお願いをした。
新興住宅の大きな敷地から車道に出ると、私は奥州仕置きや藤沢の陣、葛西・大崎一揆の話を聞きにまた三人で来ようと言った。京子さんがまたお邪魔して良いのかしらと言ったけど私も熊谷君も聞きっぱなしにした。
熊谷君が俺達の日本史の授業と違うね。歴史を掘り下げる。関係した文献を調べる、その面白み、楽しさが話して聞かせながら先生の顔に出ていたよと言った。そして、専門に歴史を探る、歴史を掘り起こす、研究するってどんな人がするんだろうて言った。
矢っ張り学者かな?大学でそれ専門に勉強する人、歴史学とか考古学とか、なんかそれに近い研究をする人じゃないか?って私が言うと、京子さんが考古学は違うでしょうと言った。
熊谷君は歴史学か?、大学の学部に歴史学部って無いよなって言う。また歴史家って普段どこに居るんだろう何をしているんだろう、何で生活をしているんだろう?って言った。京子さんが大学の教授?、博物館とか何とかの学芸員?、そういう人とも違うのかしら?と言った。結局、私達三人は想像で話すしかなかった。
熊谷君が、全国に埋もれている歴史、人物って一杯あるし、居るんだろうね、先生が教えて呉れた盛岡葛西系図みたいに余り知られていない物も全国に一杯有るんだろうね。自分の生まれた所だから先生の話に余計に興味が引かれたけど、歴史家というか、それを研究する人って色んな角度から色んな視点から色んな物を見る、とことん調べる、現地に行って見るってことするんじゃないか?そんな仕事も良いねと言った。今思えば、あの時の彼の言葉は自分自身の進路変更をにおわせるものだった。
あの後、京子さんは熊谷君の翌日の気仙沼行の誘いに素直に応じた。また彼から吾妻鏡の第一、二巻をまた借りして帰った。読むのに一月一冊を目標にすると言った。
四 アンケートの回答方法
「後で熊谷君自身から聞かされたけど、ゴールデンウィークの間に家族会議が開かれたのだそうだ。
彼は長男であり熊谷医院の後継者として期待されていたし、高二までは何の問題もなかったから、あの春に彼が医学部志望から歴史学、歴史研究の方向に進みたいと言い出して家族は驚いたらしい。
お父さんお母さんに弟妹を交えての家族会議に、その後、気仙沼に住む医者だという祖父までが態々彼の意志を確認しに家に来たと聞いた」
「私は中学の時に、あるテレビ番組を見ていて医者になりたいと父母に言ったわ。
大学進学の時に迷いはなかったけど、医者とは関係のない家だったから父母は修学にかかる費用の心配をした。
看護師になるのなら何とかなるけどと、自自医科大学の制度を知るまで学費等の心配をしていた。反対はしなかった」
あの年のゴールデウィークが終わった後だった。一週間ぶりに二人と教室で顔を合わせた。京子さんは私を見つけると、お早うと声を掛けてきたけど、後は女生徒仲間とおしゃべりをしていた。熊谷君の様子が変だった。机を前に座ったまま何か考えごとをしている様だったし、顔色が青くも見えた。
机の上に鞄を置くと彼の側まで行って、どうした?と聞いた。我に還ったように私の顔を見て、少し間を置いてから何でもないと言った。
私は自分の席に戻った。後で知ることになったけど、実はあの時、ゴールデンウイークが終わる二、三日前が喧嘩腰になるほどの家族会議になったという、熊谷君が一大決心をした時だった。
目の前の日記には五月九日、水曜日。新聞部の部活とある。藤高新聞最終号に全生徒仲間の将来の夢、目標を載せるという方針に変わりは無く、三人で話し合ってアンケートの回答は自由に白紙を使ってもレポート用紙でも良いから夢、目標を二十字以内にまとめること、就きたい職業でも良い。新聞部の三人の誰かに任意提出で六月三十日の期限厳守と決めている。名前の記載漏れが無いようにと依頼文に注意を喚起した。
また縦二・五センチ、横二センチの顔写真、その下に横一行に氏名、写真の左横に夢、目標を掲載すると想定して生徒三十八人分の掲載スペースを確保出来るのか事務室と調整する、とある。
五月十八日、金曜日。登校すると柔道部の金野が練習中に怪我をした、右足膝の靱帯損傷で町民病院に入院したという情報が教室の中を飛び交っていたと日記にある。
あの時は驚いた。野球はどうなると授業中もそっちの方に頭が行った。俄部員の彼が居たから秋の新人戦も出られたのだ。間もなく始まる今年の県大会予選参加はどうなる。それで放課後に部室に集まった部員五人で金野君の話になったけど、彼に代わる人材は居ないねとなった。
キャプテンの哲君と私とで帰りに見舞いに町民病院に寄った。ベッドの上の金野はゴメンと言い、ぐるぐる巻きの右足膝の白い包帯が俺は恨めしかったと日記にある。